見出し画像

幕間:レイダン・ミミットの約束 (5) - 乱心


 レイダンの報告に対してドラクル公爵は目立った反応を見せなかった。そのうちに彼はゴブレットに手を付けたが持ち上げることはなく、そのまま石像のように動かない。
 やがて結局ゴブレットは口をつけることなく手放してしまい、公爵は腕を組んでしまった。

 レイダンは公爵の反応が重々しかったため、先を語るのは待つことにした。

「……レイダン・ミミット。白竜教の幹部たちが本当に自らバウナーを排除すると?」

 長い沈黙のあと、公爵は確認するように改まって厳粛にレイダンに訊ねた。

 レイダンは「時期は分かりませんが……可能性は高いと言えるかと。既に水面下で何らかの動きがあってもおかしくはありません」と、眉をひそめていかにも不満げに答えた。

 そうか、と今度は公爵は言葉少なだったが反応があった。反応が鈍いのは当然だろう。今公爵がもっとも聞きたくない部類の報告のはずだから。

 レイダンは公爵の反応をうかがいながら説明を追加していく。

「王城内にいる聖職者たちへのバウナー様への応対はバウナー様、従士のバッシュとそれ以外で明らかな違いがあります。王都外の聖職者となると多少風当たりは弱まりますが……アラニス司祭をはじめとする一部の聖職者たちは鼻で笑ってくる、話し振りがずさん、ひどい場合には聞こえないふりをする、あげく“タマなし騎士”と陰口を言うなど、侮蔑的な態度を隠していません。さすがに若い神父になると目線を逸らす程度ですが、おそらく……アラニス司祭、あるいは別の人物の息がかかったものと思われます」

 公爵は「アラニスめ……」と顔にも口にも怒りをあらわにした。どうやら公爵の方でもアラニスには思うところがあるらしい。

 司祭アラニスは陰険な聖職者だ。レイダンに限らず、嫌っている者は多い。公爵も嫌っていることを知れたのは収穫だ。
 レイダンは“タマなし騎士”の侮辱文句に関しては、賊が口にしていたこと以外では実際に言われたことはとくにない。ないのだが、別の七騎士党員が口にされた話は聞いたことがある。

 バウナーへのタマなし騎士という呼称は、ドラクル公爵はさも自分の仇敵のごとくに嫌う。

 なるほど、教義により七騎士は確かに輩や賊がタマなしだと侮辱していることはあるが、特定の誰かを名指しでタマなし呼ばわりするのはバウナーくらいのものだ。
 いつからかバウナーには女を抱かないという話が広まった。この話の出所は各貧民区であり、酒場や通りで女の誘いを断ったり、店の者との会話などでバウナー自身が広めてしまっていた。この不名誉な事実を知った時、公爵はひどく落胆したことだろう。

「バウナーは相変わらずなのか?」
「はい。陰口なんて誰でも叩かれる、気にするなと言っています」

 公爵はため息交じりだが親しげにバウナーと名前を呼んだ。
 レイダンは「もはやお前個人の問題ではないのだぞ」「神話には妬み嫉みからの失脚はつきものだ」などと公爵の内心では言葉が続いていそうだと想像した。近頃直接本人に言っていたこと含め、何度か聞いている言葉だ。

 しばらくしてレイダンはさらに続ける。

「気にするなと言っていますが……<金の黎明>内でも不和が始まっています」

 ドラクル公は目線を上げた。

「不和? どのような不和だ?」

 レイダンはヴァレリアンに話した時と同じく、2月前の<白蛇を食らう獣>討伐遠征の話を例に挙げた。

 ニコロを“安全圏”に開放したことについては予想通り「バウナーらしいな」と、理解者らしく不問とするような頷きを見せていたことはともかく、バウナーの側に立てる派と、そうとは限らない中立派ないし白竜教派、中にはバウナーの地位に対して何らかの働きかけを強いる派閥に加担していると目される派があること、そしてこの派閥には<金の黎明>の党員が関わっているかもしれないことなどを説明した。

「その派閥についての検討はついているのか?」

 レイダンは「いえ、残念ながら」と小さく首を振った。アラニス司祭の一派が黒いが、確証はない。
 ラドリックもあれ以来、不穏な言動はとくに何も動きはなく、今となっては本当に関与しているのかすら疑わしい。相変わらずバウナーにはときどき説教じみたことを言うのだったが。

「相手は古竜将軍です。後ろには王家もありますし、閣下もいます。動くなら入念に調査を重ねた上で事を運ぶでしょう。探りを入れていない私の耳に入るようでは身を滅ぼすだけかと」
「……そうだろうな。アラニス一派が疑わしいが」
「はい」

 それらしい話をした上で、レイダンは事を早めるべく話を続ける。

「ただ、……」
「ただ、なんだ?」
「段階はかなり進んでいるのかもしれません。党員が派閥に関与している話をしたのも討伐時が初のことでしたし、我々<金の黎明>の立場もどんどん悪くなっています。このままでは……」

 レイダンは言い淀み、俯いた。

「あまり時間はかけられんか」
「はい。おそらくですが……」

 公爵はゆっくりとようやくゴブレットを傾けた。

 実際のところ白竜教徒が<金の黎明>に対して侮蔑的な態度を隠さないのは、バウナーが彼らを気に留めなさすぎることも原因の1つだとレイダンは理解していたが、このことには触れなかった。
 もっとも気に留めたところで彼らの信仰心を逆なでするのはバウナー自身――古竜の血が根本的な原因なので、どうにもしようがないところではあった。とはいえ、だからといって遊び呆けていていいわけもない。

 推挙した前王が玉座に就いていたからこそ、白竜教は全面的にバウナーについては静観し、1人の類稀な将、救国の英雄として扱っていた。
 果たして革命的な若き王がバウナーその人について今現在どう思い、今後どういう扱いをするのか。

 レイダンはいまいち分からなかった。推測するにしても王は自らの若さのままに、堕落した、あるいは必要ないと踏んだ古い縁故を切り、冷酷なまでに政腕を振るっている。
 レイダンもかつてはバウナーの共として一緒に狩猟に出かけ、穏やかな日々を過ごしたこともあったものだが、戴冠以来はない。ときどき話をすることはあれど王らしくなったとは誇れる一方で、冗談の1つも言われなくなってしまった。王が関与しているかは定かではないが、戴冠後にはバウナーへの当たりは強まったし、王自身の性急な政治ふくめ、あまり良い未来が予測できないのは確かだ。

「近頃バウナーには白竜教の信頼回復のため、鴉の仕事をさせているが。……昨日オルフェの間者と寝たそうだ」

 そうして公爵は自分が信心してやまない英雄の一過の過ちを言いにくそうに語った。
 レイダンはつい素で「……寝たとは?」と聞き返した。この一件はレイダンの内心では今のところは言う算段ではなかった。ただ公爵が知っていることが意外だった。誰から聞いた?

「間者は娼婦だった……。始末する前に客として寝たそうだ。サロモンが言うには女の不幸を憐れんだのと、間者がバウナーの好みそうな容姿だからだろうと言っていた」

 公爵は俯き、眉をシワで繋げながら詳細を語った。なるほどサロモンかとレイダンは納得する。
 それから言われてみて、確かにそういえば女はバウナーが好みそうな顔をしていた気がした。

 公爵は「これではオルフェの間者と疑われても何も言えん。だいたい真実の指輪で調べただけでは安心はできん。娼館など諜報の巣窟だ……」と、両手で頭を抱えた。
 レイダンは聞きながら確かにそうだと公爵に同調した。事実、娼館に出入りした死体処理班までは手が伸びていなかったし、真実の指輪の精神操作力は万能ではなく、抵抗力の強い者であれば効果は薄れる。もっともそのような者は聖浄魔法の達人や白竜の加護を得た人物くらいのものなのだが……。

「私も再三言っているのだ……貧民区に行くのはよせと。お前の稀有な人徳を失墜させるだけであり、白竜教の幹部たちからさらに反感を買い、パトリックが推挙した筆頭騎士の地位も危ぶまれると。だがバウナーは善処すると言うだけだ……」

 レイダンは公爵の震えたような声を聞き、公爵の懊悩のほどを痛感させられながら、バウナーはもはや自分の地位に執着がないのではないかと勘ぐった。

「しばらくは止めるようだが、またすぐに貧民区に行くようになる。女も抱きたくなったら抱けと、好みの女がいないのなら用意すると言っているのに奴は『不躾の身なのでそういうのは好まないのです、閣下』と“丁重に”断るばかりだ……この前は『もし国が自分を必要としないのなら身を引くまでです』とまで言ってくる有様だ。まるで清貧の勇士セルギウスのようじゃないか? なあレイダンよ??」

 とうとうと語った末、歪んだ笑みを張り付けた公爵に、レイダンは言葉が詰まった。バウナーにはやはり身を引く覚悟はあるようだが……。

 ドラクル公爵は<金の黎明>の後援者筆頭であり、バウナーを敬愛する信奉者の1人でもある。
 信奉者は年々減り続けているようだが、彼は今もなお最大の信奉者だ。しかしもはやレイダンには一介の哀れな男に見えた。

「そうですね、確かに……セルギウスのようです」

 レイダンはかろうじて公爵に相槌を打った。

 「自分は確かに腕が立つが、人としては凡夫だ」と、いつか冗談交じりに言ったバウナーのあまりにも低すぎる自己評価の言葉がよぎった。
 また、「俺は英雄ではない。殺しが人よりも数段上手いだけだ」と己の絶大な武功と比してこのような発言をする人物を擁立するには、ドラクル公爵という信者はいささか過ぎた人物に見えた。

 ちなみにセルギウスは伝説上の英雄の1人だ。モデルとなった人物はいそうだが、同名の英雄の存在記録はない。
 彼は万夫不当の人物とされながら、名誉・褒賞を一切受け取らず、国にも正式には仕えなかった。恋人はいたが、陰謀により死に、セルギウスも敵将に利き腕を斬り落とされ、いつの間にか一人孤独で死んだとされる。数ある英雄譚の中でもっとも人気がない悲哀の話の1つだ。

「このままでは……バウナーは白竜教の奴らに殺されてしまう……このままでは……」

 ドラクル公は再び俯き、両手で自分の顔を髪ごと掴みだした。撫でつけた髪が乱れた。そうして、「どうすればいいのだ……私はどうすれば……再び神話を世に広めるためには……」とうわ言を言い出した。

 実際にバウナーを殺害するのは難しいだろうが、レイダンはかける言葉が見つからなかった。いよいよ哀れだった。バウナーは目の前にいる人物であり、決して寓話の類ではない。武勇は寓話めいた部分はあるが、そうではない。
 公爵は近頃、バウナーの件でとりわけ精神的に不安定なのだという噂話は聞いていたが、まさにその通りらしい。

 レイダンが今回公爵に話をするにあたっての狙いは、「公爵がバウナーから身を引く」ことだ。
 もちろんこの場で突然そうなるとはレイダンは考えてはいなかった。自身のバウナー信奉はもちろん、これまでずっと<金の黎明>を支援してきた矜持もあるだろうし、公爵としての威信もあるだろうから。精神治療も時間をかけるのがもっとも有効だろう。

 いずれにせよ、バウナーの失脚は最大の擁護者の1人がいなくなることで起きやすいとレイダンは踏んだわけだった。
 実力が国一番であり、毒物も効かず、強大すぎる後ろ盾もある人物をどう引きずり下ろすのか。くわえて自分の立場も案じながら。悠長な策ではあったが、他に妙案も浮かばなかった。たとえ<白い眼の鳶>という素晴らしい後援者を得たのだとしても、自滅か自ら身を引いてくれる方が収まりがいいことには違いなかった。

 しかしその前に公爵が狂ってしまうのでないかとレイダンは危惧した。

 そこまでのことは望んでいないため、レイダンは少々胸が痛んだ。公爵は公爵で今まで通り国の重鎮でいてほしいものだった。
 バウナーが武力で大陸を揺り動かし、守護の大剣ともなるなら、ドラクル公爵家ならびに公爵自身は頭脳と資金力で国を支える巨大な支柱であり、なくてはならない存在だ。

「……戦果……大きな戦果を挙げるしかない……」

 やがて公爵はそんなことをつぶやいた。
 そういう方向になるか、とレイダンは内心でため息を吐いた。ちょうどオルフェとの戦いも控えている。“いつも通り”戦果を挙げる方向にいく可能性は大いにあった。

「戦果とは……?」
「バウナーをこの戦いの最大の立役者にするのだ」

 公爵は顔を上げた。顔には正気が戻っていた。
 だが、額には汗がにじんでいた。こころなしか貧血じみた顔色で、耳の上の髪が数房落ちていることもあり、病床にあると言われても頷けそうな人相だった。

「最大の立役者ですか?」
「みな、英雄の武勇伝に飽き飽きしているのだ。いつもとは色合いの違う著しい戦果を挙げればバウナーの立場は回復することだろう。反バウナー派の白竜教の奴らも動きづらくなるはずだ」

 “いつもとは色合いの違う著しい戦果”?
 何をするのかは知らないが今のバウナーの立場を回復するほどの戦果とは何か、レイダンはとっさには考え付かない。

「バウナー様なら出陣するだけでもじゅうぶんな戦果を挙げるかと思いますが……」
「それではいかんのだ!!」

 公爵は額の青筋を目立たせながらそう怒鳴り、机に手を叩きつけた。
 ゴブレットが転がり落ち、ワインが絨毯にこぼれていく。扉の後ろで待機している従騎士ユレックの気配が揺れた。

「それでは白竜教の奴らは何も態度を変えんッ!! クリスティアンもいつものように他の並みの将と同等の扱いで武勇を賞賛するだけだ! 奴らの嫌味の種になるだけで現状の打破とはなりえんに決まっている!」

 公爵はそう半ば叫んだ。公爵の言っていることは事実らしいこともあり、レイダンは反論ができない。

 ただ、内心で扱いについては同意した。前王は表彰の際、バウナーをいつも順番の最後に呼んで盛大に賞賛した。拍手喝采もみなに強いた。やがてみな自ずと拍手喝采していた。
 だが一方のクリスティアンは呼ぶ序列こそ倣っていたが、賞賛の言葉は控えめで、父王と比べてずいぶん理性的だった。後の拍手喝采を遮るように別の話を始め、そのうちにみなが拍手をすることはなくなってしまった。なるほど、確かに前王の時代が公爵にとって幸福の時間であったことは想像に難くないし、クリスティアンに不満が溜まるのも分からない話ではない。

 応接間に沈黙が訪れる。やがて。

 声を荒げていたのから一転して公爵の顔つきは落ち着きはじめたかと思うと、思案の顔になる。額の筋もうっすらと見える程度に戻った。なにか思いついたようだ。
 レイダンもこの悪い流れを変えるべくとっさに何か考えるが、感情的になった公爵の考えを翻しかつ頷かせるような奇策は何も浮かばない。

 そもそも公爵は前王の治世では優れた知略家として執務室や会議室に頻繁に出入りし、軍師ときには執政として国政を助けていた人物だ。優秀ではあるが若さと経験不足ゆえにまだまだ知略家とは言い難い息子が今後どう扱うかはいささか不安も残るが、王城内の「メイデンの三翼」の誉れはいまだに健在だ。
 レイダンはレベルが党内で2番手であるのと同時にバウナーの補佐として優れ、剣士にしては賢いため副党首の座にあるが、決して知略家と名乗れるほどではない。あくまでも1人の戦陣に立つ将であり、党員の足並みをそろえ、人的被害、物資の過剰な消耗を抑えるための戦闘指揮官程度にすぎない。

「……セルトハーレス山の麓にはフィッタという都市があったな」

 そうして公爵は口を開き、不可解な発言をした。

 セルトハーレス山はオルフェ北部とアマリア南部の間を長い国境線のように連なっている山連の1つだ。
 オルフェ側の山麓には都市がいくつかあり、フィッタはその1つでもある。レイダンは話の意図が分からないながらもはいと同意する。

「ふむ。…………セルトハーレスの魔物を掃討中にフィッタを攻め落とせばセティシア侵攻はより確実のものとなる、か」

(掃討中にフィッタを? ――陽動作戦か)

 レイダンは公爵のつぶやきの内容をすぐさまかみ砕いた。

 セルトハーレス山はアマリアとオルフェを隔てるゲラルト山脈の西部に位置する山で、魔物が再現なく出現する地域――永久降誕区域リスポーン・エリアの1つだ。
 永久降誕区域に出現する魔物の数は倒さずにおくといずれ飽和する。放っておけば魔物たちは下山してくるため、治安のために定期的に退治する必要がある。この事案はオルフェでもアマリアでも変わらない。

 アマリアではこの魔物の退治、山の警戒は隣接するフランツォース領および旗下のグレーシャ家が担当し、2つの警戒拠点が存在する。
 オルフェでも同様に2つの拠点がある。マイアン公爵旗下のピオンテーク領とベルガー領だ。そうあることではないが、過去にはオルフェと連携した過去もある。

 この警戒拠点にはアマリアと同様、兵士たちが駐在している。
 たいていはセティシアと拠点の兵士にくわえ、セティシアより南にある都市ケプラの兵士、攻略者、傭兵などの助力で事足りるようだが、山麓にあるフィッタもまた山の魔物の討伐に協力している都市とされる。フィッタは<七影魔導連>という貴族を中心とした精鋭部隊の隊員が駐屯し、場合によっては助力している。<七つの大剣>の部隊であったケースもあった。

 セルトハーレスの魔物は下位の魔物はレベル20前後だが、稀に出現するミノタウロス種にはレベル40台の首領格も存在する。オルフェで<七影魔導連>が助力しているように、アマリアでも<銀の黎明>の党員が助力している。
 確かに魔物の退治中ならセティシアの人員は割かれるし、フィッタを攻め落とせばオルフェの注意は削がれ、ただちにフィッタに相当数の兵が動員されることだろう。戦いの内容にもよるだろうが、隙は生まれるし、悪い策ではないように思われる。

 ただ、レイダンの脳裏に1つの気になる点が浮かんだ。
 「どの部隊がフィッタに向かうのか」という点だ。

 どちらも喋らない時間が続いた。しばらく待ったが公爵は口は閉ざしたまま動かない。
 レイダンはひとまず、「……フィッタはどの部隊が落とすのですか?」と質問してみた。公爵はさほど間を置かず、視線もやらないままに答える。

「セルトハーレスには<山の剣>という大規模な山賊団がある。奴らだ」

 レイダンは眉をひそめた。

「聞かない山賊です」
「アマリア兵だった奴もいるそうだが、オルフェで活動している山賊だからな。規模は200人ほどだが、山の地形を利用して討伐隊をうまく迎撃し続けている。七騎士も無視できん賊と言えるだろう。奴らを買収するのだ」

 山の地形を利用する賊ともなれば討伐に時間もかかるし、隙も生まれるだろうとレイダンは推測した。
 だが、賊を買収するのは暗躍方面ではたまに取られる手段ではあるが、しょせん賊だ。200人いようが、狡猾な一団だろうが、大事な作戦に賊を参加させるほど不安なこともない。

「……信用できる賊なのですか?」
「信用などなくともよい。金と武器を渡し、動けばそれでよいのだ。襲撃後のフィッタも奴らにくれてやればよかろう。であれば忠実に働くだろうからな」

 武器も街も渡すとはかなりの大盤振る舞いになる。それでも信用ならないのが賊なわけだが……。
 ドラクル公爵の視線はいまだにレイダンになく、まだ作戦を練っている様子だ。が、やがて公爵は視線を持ち上げた。さきほどの乱心は微塵も感じさせない、鋭い知性を垣間見える頼れる軍師の眼差しだ。

「この交渉にバウナーを向かわせる。金と武器にくわえて筆頭騎士が来たとなれば賊どもが妙な気を起こす可能性も減り、セティシアを占拠した暁にはバウナーの働きにみなが賞賛を送ることだろう」

 そうして公爵は不敵に笑い、さも自分の計画を自賛するように頷く。

 しかしレイダンは公爵に不信をいくらか抱いた。確かに作戦が成功すればバウナーを賞賛するかもしれないが……。
 レイダンは賊と幾たびも交戦してきた身である。不意打ち、人質、恐喝、誘拐、強奪、強姦、馬殺しに殺人。救援を要請してきた村の要人が実は賊の一味であり、魔法道具マジックアイテムを奪われたこともある。奴らは憤懣やる方ないろくでもないことしかしない。

 だいたい、ニコロの時に続いて“またオルフェ”だ。敵国と戦うのに敵国を使うとは。レイダンは抵抗感を否めない。
 自分の頭が固いのか、公爵の戦略的頭脳が国をまたぐほど優れているのかもはやよく分からなかったが、公爵が自分より戦略に長けているのは事実だと考え直した。

「我々<金の黎明>を向かわせるんですね」
「いや? お前たちは行かなくていい。行くのはバウナーとバッシュ、サロモンの3人だ」

 レイダンはいよいよ狼狽えた。

 「たったの3人ですか?」と訊ねると、公爵はさも当然のように「そうだ。問題なかろう。賊をより確実に動かすのであれば、褒美は盛り、かつ交渉人の武力と地位は高く、人数は少ない方がよい。バウナーであればやられることもなかろう」と豪語してくる。

(確かにバウナー様だけなら賊の根城からでも生還するだろうが……。だいたい3人で本当に交渉が上手くいくのか? サロモンもいるが……相手はオルフェの賊だぞ? 得体が知れない相手だ)

 レイダンの疑念をよそに公爵はレイダンへの視線を鋭くした。

「レイダン・ミミット。これよりこの作戦内容の口外は禁ずる。命令だ。いいな?」

 告げ口はしたいが、この場にはレイダンしかいない。無闇に告げ口をすれば自分の首を絞めることにもなるかもしれない。
 ひとまずレイダンは背筋を伸ばして、「御意」と真摯に頭を下げた。頭を下げながら、この件に関しては先に動いてはならないだろうと自戒した。

「すまないがしばらく1人にしてくれ。計画を煮詰める」
「はい」

 公爵の執務室から出て扉を閉めると、「レイダン・ミミット」とユレックが呼び止めた。

「閣下に何を言った?」

 声には明らかな怒りと敵意があった。レイダンは話が流れが悪い方向になってしまった落胆を抱えたままに、「いつも通り報告しただけだ」と、すげなく返答した。

「主にバウナー様周りのな。……俺だって毎回言いたくて来ているわけではない。近頃はとくにな」

 後半はもちろん嘘だった。もっとも、誰が見ても迫真だった。
 レイダンはレイダンなりに自分の「望みの日」が遠ざかってしまった失望がある。<白い眼の鳶>によりゼロが現在不在であることは分かり、チャンスだったが、かえって事態を悪くしてしまったからだ。

「……バウナー殿に何があった?」
「色々あってな。お立場が危うくなっている」
「俺の知る限りではこれまでもじゅうぶん危うかったように思えたが」
「今の方が危ういよ」

 そうか、とユレックがレイダンの横に立った。
 そうしていくらか声音を落として続けた。

「お前には悪いんだが、正直私は……閣下にはバウナー殿を見限って欲しいと考えている。見ていられなくてな……」

 あの豹変ぶりと妄執ぶりを見れば、そう考えもするだろうなとレイダンは内心でユレックに同意した。

「俺もそう思うよ」
「……なぜそう思う?」
「以前のバウナー様なら違ったが、今のバウナー様は昔のようなお人ではない。若い頃に戻られたとでもいうべきなのか、少し……戯れが過ぎている。バウナー様にも思惑は色々あるのだろうが……今のバウナー様には閣下は過ぎた人だ」

 レイダンはつい本音をこぼしていた。一応ユレックとは付き合いが長く、友にも類する人物だ。
 レイダンの真意でも探るがのごとく半ば覗き込むように話を聞いていたユレックだが、やがて眼を逸らし、頷いた。

「……妹が身ごもっている。閣下の御子だ」

 レイダンは反射的にユレックの方を向いた。振り向いた先にはどこか憂いを帯びた横顔があった。
 ユレックの妹――セリーナはドラクル守護団の副団長だ。レイダンの知る限り2人の関係性はいたって普通の主人と忠実な兵士だった。

「ほんとか?」
「ああ。……御子はドラクル家でお育てになるそうだ」

 ユレックやセリーナの立場が危うくなるようなことはないようだが。
 レイダンがどのような言葉をかけるのか悩んでいると、「近頃閣下は部屋にこもりっぱなしだ。その時妹が部屋に呼ばれることが何度かあったようでな」と事の次第を説明した。

「閣下には落とし子は多いのか?」
「……さあな。だが今回のようなことは久方振りのことらしい」

 報告は突然だったが、ユレックは詳細は話す気はないらしい。ユレックにも公爵のことで色々と思い悩んでいるようだが、その辺の公爵家の内訳に関してはレイダンはバウナーからおおよそ聞いてしまっている。
 ドラクル公爵の妻ラクシャーは体が丈夫だったようで、嫡子が4人いる。他にも庶子が3人おり、ある年を境に3人とも本邸に住まわせるようになった。近頃は純血思想が強くなったが、男爵家だった頃まではたくさんの子をもうけ、競わせ、より優秀な者に家督を継がせていた。公爵の前代当主は私生児だった。

 ユレックからあまり来ないことを願うよという送り文句を言われながら、レイダンは公爵邸を後にした。

 ・

 翌日レイダンが朝食を食べたあと部屋に戻ると、ふと「レイダン・ミミット」と名前を呼ばれた。誰もいないはずの背後から。

 振り向く間もなく、喉元には鈍い輝きを放つ短剣が添えられる。刀身に一筋の意匠があるだけのシンプルな得物だが、鍔は魔鉱石と思しき灰色の素材でできており、首を切るくらいは容易そうな一品だった。
 手の肌はずいぶん浅黒く、声色は男だがそれほど屈強な手ではない。大男ではない。

 それよりもレイダンは名前を呼ばれるまで何の気配も感じ取れなかったことが気にかかった。
 これが、これが……ゼロを上回るダークエルフの実力なのだ。レイダンは間もなく恐怖心が芽生えるのと同時に鳥肌が立った。

「主がお呼びだ。招集に応じよ」
「……何の用事だ?」
「俺は連れてこいとだけ言われている」

 会話をしたことでいくばくか心を落ち着けたレイダンは深く息を吐いた。こいつは仲間なのだと自分を納得させ、安心させた。
 鳶がレイダンを迎える理由は情報を守る用途であり、それとは別に鴉の情報を入手する仕事もあるらしいが。だがそれにしたってこのやり方はなかった。

「分かった。……もう少しまともなやり方はないのか?」
「俺の仕事は裏仕事だ。まともではない」

 そういうことではない。レイダンはため息をついた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?