臨書する。
今日久方ぶりに臨書した。
臨書とは、書道で手本を見てそのとおりに書くことをいう。
古典を見ながらそっくりその通りに書くという練習は、筆使いの練習にとても有効である。
どのように筆を立てたり寝かせたり持ち上げたり止めたりしているのか?
手本を食い入るように見つめながらも手元の筆の流れは止めてはならないから結構難しいのだ。
今日は空海の「風信帖」を臨書した。「風信帖」とは、空海が最澄に宛てた3通の手紙である。
その中の2通目の「忽披帖」(こつひじょう)を臨書したのである。
大きな条幅紙を畳の上に置き、手本を見つめながら体を浮かして紙を跨ぎながら一字ずつ丁寧かつ繊細に書き進めていった。
時間にして2時間弱で6枚書いた。
その中の1枚が今までの書道人生の中でも最高と思える臨書に仕上がり、今日
はなんだか心がうきうきしている。
これをUnsendoに掛け軸として販売しようかどうか散々悩んだ結果、どうしても手放す気にならず、雲泉40歳の書として我が家の床の間に飾ることに決めたのである。
8歳から始めた書道。通算30年以上かかって、ようやく手本通りの理想に近い形状の書を書く筆使いがこなせるようになってきた実感を得ることができた。
長くやっているから書けるようになるわけでもなく、何枚も書いたから傑作が生まれるというわけでもないのが書道の面白みであり、厳しさでもある。
今現在の自分が書いた書がまた進化していくのか、このままの状態で平行線を辿るのかは自分自身の今後の歳の重ね方にかかってくる気がしてきている。
自分の手によって生み出される、まだ見ぬ作品に出会えることを願って、明日からもなお書き続けていくのだろう。
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