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⑬鯛の刺身


父が心臓の病気で大好きだった船から丘に上がったのは58歳の時である。

その後60歳までは元の職場から連絡がたびたびあり、

「船舶免許を持っている人がなかなか見つからない。お願いだから手伝ってほしい。」と依頼され、月に10日程度であるが、船に戻って働いたりしていた。しかし家族は心配である。

「海の上で船を操縦中に発作が起きたらどうするの!」という私たちの反対に押し切られ、船を降りたのであった。

完全に丘に上がったあとの父の姿は本当に心もとない感じで、普段はかなり能天気で明るい人なのに、海ばかり眺めてとても寂しそうにしていた。

しかし、ここが父の良いところなのか、第二の人生を謳歌するために、新しい趣味を見つけて地域の友達をたくさん作ったのである。

その趣味はなんとカラオケである。

とにかくなんでも凝り性な人なのでかなりの入れ込みようである。

ちゃっかりが小さいときには合言葉なるものをしっかり教え込んでいた。

「じーは〇〇(地域名)の~!」と父がちゃっかりに問いかける。
するとちゃっかりはこう応えるのである。

「歌手!」

二人で手を叩いて爆笑するというオチつきであった。やはりこういう人なのである。

昨日、ドカ弁が帰宅後おやつを食べながらPCを触っているときに、父と母が我が家にやってきたときのこと。

「ドカ弁!ちょっと調べてほしいんや!」

「何?おじいちゃん。」

「鯛の刺身ゆー歌なんやけどな、誰が歌ってるんか調べてくれるか!」

「なんで?」

「今日な~その歌詞の歌をカラオケでめっちゃ上手に唄ってる人がおったんや!」

「おじいちゃん、ライバル出現やな!」

平和すぎるじいさんと孫の会話である。

そんな二人の会話を聞いていた母が

「お父さん!またそんなアホなことばっかり言って!」

いつものようにツッコミを入れるのであった。

「昔の歌やろ。こないだテレビで誰か名前知らん人が唄ってはったわ。」

こう母が言うと、すかさず父がこう言ったのだ。

「松前ひろ子か!」

「ちゃう!そんな人ちゃう。」

「男の人か?」

「なんや覚えてない。」

かみ合わない会話である。

ドカ弁が近づいてきて小声でこう言った。

「なぁなぁ、おばあちゃん全否定やな。男か女も覚えてないのに”ちゃう!”ってな~。」

本当にそうなのだ。父と母の会話は毎度こんな感じなのである。

「暑いね~。」と言えば
「ほんま暑いね~。」と返すような、あ、うんの呼吸がないのだ。

「たしか祝い唄みたいな歌詞や。」父が言うと

「鯛の刺身ゆーくらいやからそうやろね。」と母が答える。

またドカ弁がクスクス笑いながら肩を震わせている。

「おばあちゃんどんだけ必死やねん!知らんのに知らんって言わへんな、絶対に!」

「おーい!ドカ弁!ほんで調べてくれたんか?」

父に聞かれてドカ弁が答えた。

「おじいちゃん!正解や!鯛の刺身の歌詞のタイトルは”祝いしぐれ”で、歌っている人は、松前ひろ子っていう女の人!」

なんと父の予想が正解だったのであった。

「ふーん。」と母が答えるのを聞いたドカ弁が、堪えきれずに大声で爆笑したのである。

「なんでー?ドカちゃんなんで笑うの~?」と母。

「おばあちゃん!おじいちゃんが正解やったけど、リアクション薄っ!”ふーん。”って!そこは、”あー、おじいちゃんが言うので合ってたな~テヘッ”ってゆーとこ!」

孫にたしなめられる羽目になった母は気まずそうに、

「そ、そうやねっ。おじいちゃんが正解やったねっ・・・。」と仕方なく負けを認めたのであった。

小さかったドカ弁が成長し、父と母の方が子どもに帰っていっているようだ。

”祝いしぐれ”の歌詞を見てみた。父がいい歌だといった歌詞の意味を知り

「あぁ、お父さん自分らが結婚するとき寂しかったんやなぁ。」
今さらながら父の心境を慮ることができたのであった。

鯛の刺身の わさびの辛さ
怒るあなたの 目に涙
夫婦ですもの わかります
娘を嫁に 出す心
せめて今夜 せめて今夜 水入らず
明日の祝いの門出酒


あれ、そういえば。
両親が2人で晩酌している姿を見たことがない。
父はゲコで、母はザルであるから晩酌相手にならないわけである。

夫婦で晩酌しないまま歳を重ねた結果が、”あ、うん”を、”あ、そう”にしてしまったのであろうか。

母の心境は分からないでもない。
ザルの自分はザルの夫と結ばれ、毎晩のように晩酌しているが結果はいかに?
”あ、うん”の老後を無事迎えることができるのだろうか。

そう遠くない将来に、ドカ弁やちゃっかりがお嫁に行くことが決まったとき、強がり体質な夫が、わさびの辛さに怒りながら目に涙をためる日がやってくるのだろうか。

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