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海を眺めて。

強い風に吹かれ、潮の香りを思い切り吸い込み、じっと荒ぶる波を見つめていると、何もかもが小さなことのように感じる。

子どもの頃は台風が近づいてくる前の海に、ザバーンと打ち上がる白波が弾けるのを見ると妙にワクワクした。

不思議なことに、今の私にとって荒ぶる白波は、妙に静かで落ち着きを与えてくれる存在に変化していて、そのことが意外だった。

荒波は淀んだものを流し、新しいものを運んできてくれるように感じたのだ。

地鳴りのような風の音、むせるような潮の香り、砂浜を飲み込む荒波の激しさ。

生暖かい潮風を全身に受けながら、自然の息吹を前にして目を閉じていると、体から余計な力が抜けていくのがわかる。

大人になるということは。

賢くなっていくことであり、失っていくことである。

馬鹿で、思いやりもなく、誰かを傷つけ、思い上がりが過ぎ、足を滑らせて自らが痛手を負ったとしても。

子どもには得るものがたくさんある。

愚かな子どもでいれたこと、それはなんて贅沢で幸せな時間だったのだろう。

ぱんぱんになって溢れ出した私の記憶の引き出しを整理するために、目の前にこの海が現れてくれたのに違いない。

荒波と強い潮風は、バラバラになった記憶の切れ端をキチンと纏めてコンパクトにしてくれたようである。

引き出しの大掃除を終え、新しいスペースができた。

新しいスペースは大切にしなければ。

すぐにいっぱいになる記憶の引き出しは、私がまだまだ愚かで幸せな子どもだという証になるのだろうか。

たんにズボラという可能性については、目をつぶることにしよう。

大人は賢く自分を許す生き物でもあるはずなのだ。


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