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やっぱり数学が苦手な私の価値観。

98円とか9800円とかいう値段表示を見ると「安い!」って気になるが、これが108円、10800円になると一瞬考える。

しかし、10万円を超えると11万円でもあまり気にならなくなってくる。

高価なものを見ると、品質がいいからとか、長く使えるからと値段なりの期待をするわけで、安いものを買う時とは違う感覚になりがちである。

以前読んだ「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」で、私のように1円2円に注意して、大金になると訳分からなくなるような人はお金を貯めれないみたいなことが書かれていたことを思い出した。

「あ、そう。じゃ仕方ないな。」とサラッと読んだのでうろ覚えなのも数学が嫌いな私らしい。

先日、写真のアルバムを見ていたのであるが、やっぱり現像されているものは大切に残しているし、いつでも振り返ることができていいなと思った。

写真だけでなく、本もそうだし、CDもそう。現物を手にできるって思い出とともにその物の価値は上がる気がする。

今は簡単にiPhoneで写真が撮れるし、電子書籍やダウンロードする音楽が増えた。

場所を取らずにいつでも再生できる便利なものだが「振り返る」作業はほとんどしなくなってきた。

たまにパソコンのアルバムをクリックすると2歳くらいのちゃっかりが出てきたり、運動会で歯を食いしばって走るドカ弁の写真が出てきたりするが、まったく記憶に残っていないものもある。

写真と思い出がリンクしない。

ふと立ち止まって記憶を振り返る時、ぽっかり穴が開いた時間が出来ていることがなんとも寂しい。

やはり現像した写真をきちんと形にしてアルバムに残しておけばよかったのかもしれない。

簡単に手に入る情報や手軽に撮れる写真に音楽。

ボタン一つで、ワンクリックで手に入るものに人は飛びつきやすいが、忘れさられるのも早い。

スピード重視だとか、コストダウンを謳う情報の波の中で、物の価値観はどんどん変化してきた。

ファーストフードや牛丼店などが打ち出した価格破壊は、一旦は大きな利益を出したのだろうが、結局働く人を大切にしない姿勢が仇になり、今は下降線を辿る事態になっている。

美味しいコーヒーの味や、懐かしい匂いがするお店で飲むカクテルの味。
そこでした会話や聴いた音楽。そんな匂いや味はネットでは手に入らない。

無造作に撮られた一枚の写真だったり、借りたまま返すことのできなかった一枚のCDからは様々は記憶を呼び覚ますことができる。

ある種の人はアナログ回帰していくのかもしれないし、さらにデジタル化の需要は進むのかもしれない。

デジタルで手に入れる情報や品物、形あるものを現物で手元に置くこと。

バランスを考えながらお金を使うようにしていきたい。

どちらに重きをおくか。

最後は自分の価値観、自分の勘を信じるしかなさそうだ。

#エッセイ


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