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⑭小さな手



手前の小さな硯と小筆のセットは、義母の兄弟で書道の師範の方から、譲っていただいたものである。

とても古いものだと聞いたが、くすんだ黒い木箱に独特の味があり、喜んでいただき大切に使っている。

奥の大きな硯は先日一目ぼれして買ってしまった。

割と値の張るものだったので迷ったが、この硯のスッキリした滑らかさ、角が丸い木箱が何とも言えない魅力を放っていたので、これもご縁なのだと思い切ったのである。

古くても捨てられない筆、新しいのに手に合わない筆、書道道具も巡りあわせなのだといつも思うのだ。

持っている筆で一番古いのは、小学校5年生くらいに師匠に選んでもらったもので、なんてことない普通の筆である。

”故心”という名の筆で、自分の手にはすごく馴染むのだ。

自分の手はとても小さい。今も小学生の時に使っていた筆が手に馴染むくらいなのだから、当時から手だけはおっきくなっていないのかと感じる。

バスケをやっていた影響からか、ドカ弁は右腕が左腕より長く、手もグローブのように大きい。

ピアノをやっているちゃっかりは、お稽古を始めた頃は鍵盤から鍵盤に届かないくらい指が短かったが、今ではドカ弁に負けないほど大きな手をしており、指も長く成長しているのである。

だから自分は、娘二人からいつも「ちっさい手!」と笑われているのだ。

ほとんどの人が普通にできることで自分ができないことがある。

お豆腐を切るとき、手のひらにのせて切ることができないのだ。
小さい手にお豆腐をのせて切ると、手のひらの両端からお豆腐がぼろぼろとこぼれ落ちてしまうのである。

まな板の上でお豆腐を切るため、崩れやすい絹こし豆腐は避けているので、ほとんど木綿豆腐ばかりを食べている。

お豆腐を切るには不向きな小さな手であるが、子どもの頃から師匠だけは自分のこの小さな手をずっと褒めてくれていた。

「uni!おまえの手は小さくていい手や~!お習字はな、uniみたいなこんな手の人が筆を持つのに向いてるんや!お父ちゃんとお母ちゃんに感謝せなあかんな~!いい手をもらったんやから!」

そういう師匠は大柄な人で顔も手もごつごつ大きくていつもニコニコしている優しい人であった。
師匠の書は本当に豪快で、悠々とした大らかで逞しい書を表現できる素晴らしい書道家であったので、そんなおっきい手をしてる先生に小さい方がいいって言われてもなーと子ども心に複雑な気持ちになっていたのであった。

本当は
「こんな小さい手では大きな筆を使いこなせるようにはならへんな。」
そう思っていたのかもしれない。

しかし、言葉って本当に魔法のようである。

自分のように小さな手を持つ者が、大きな紙に太い大筆を使って文字を書けるようになり、それを褒めてもらうことでさらにやる気が出てきたのだから、誰かの一言って人生を左右することもありうるのだと思う。


絶対に試験合格させたるから!
こう言って一年間師匠のもとでマンツーマンの稽古をつけてもらったのは20歳の頃であった。

師範免許を取得し、指導者の地位を得るためには、書の実技だけではダメなのである。筆記試験は非常に難しく、様々な書籍を読んで勉強するよう口酸っぱく師匠から言われたが、正直なところ
「まったく受かる気がしねー!」と叫びそうになるくらいの難易度であった。

中国の書道家の作品を見て、作品名や書道家の名前を正確に回答しなければならないのだが、これがなかなか膨大な量で覚えるのが大変なのである。

当時は夜通しでも遊びたく、書道どころではなかったというのもあったし、時々師匠との約束を破り稽古をさぼったりしていたのであった。

しかし、師匠も粘り強い性格であったため、稽古をさぼった時は自分がいない時に実家に出向いてきて、

「uniはまた稽古さぼったんや!必ず来るように言ってもらいたい!」

こう言って父と母を説得し、世間話をしてお茶を飲んで帰っていくということを繰り返してくれていたのであった。

不思議とさぼった自分に対しては怒らないのだ。

「そうや!その動きでそのまま書いたらいいんや!この筆の形でええ!」

とにかく褒めてくれるのである。

他人をあれこれとけなすことは誰にでもできるが、師匠のように、褒める、さらに褒め続けることが出来る人はなかなか少ないと思うのだ。

自分がしてもらって嬉しいことは、きっと他の人だって嬉しいことが多いように思う。

けなすより褒めること。

褒められることで人の人生が変わることもある。

そんな褒め上手だった師匠が亡くなって10年以上が過ぎた今でも、あの優しい笑顔と声が甦ってくる。

そしていつも自分を励まし支え続けてくれている気がしている。見えない杖のような力強さで。

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