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それぞれの適正価格。

安くないお金を支払って依頼してくださる方々がいる。作り手にとってはものすごく有難い存在である。

作り手への敬意を込め、お金をポンと支払ってくださり、「仕上がりを楽しみにしていますよ。」と期待までしてくださる。

こういった方々には、なんとしても最高の作品に仕上げてお渡ししたいと思う。

私たち作り手が作品にかける手間や、上手くいかない時の葛藤なんかは、表からはまったく見えないもの。

この見えないものに対して、「価値がある」と信頼してくださる方こそが、作り手には必要な存在なのだとつくづく感じる。

noteで活動されているアーティストの方の中にも、素敵な作品を作っておられる方がたくさんいらっしゃる。

いつか絶対にきちんとした対価をお支払いして、正式に作品を作っていただきたいと思っている。

生きていくために必要な、衣食住とは違う、無くても困らないものに対して人がお金を払うということ。

これは日本ではあまり習慣として根付いていないのだと感じている。

私の作品を見て、素晴らしい、書いてくださいとお金を支払って依頼してくださるのは、海外の方と、日本では企業の方がほとんどである。

そして作品が手元に届くと、手放しで喜んでくださるのだから素直に嬉しいし、もっともっと技術を磨かなければならないと益々プレッシャーは強くなっていく。

まだまだ足りない。もっと上手になりたいと毎日思っている。

嬉しさも苦しさも両方味わうのが、醍醐味であるが、あまりに苦しい気持ちが強い時は辞めてしまいたい気持ちがムクムク湧いてきて、何をやっても上手くいかない時間と向き合うのは本当に苦しい。

そんな気持ちをわかっているからこそ、きちんとした対価をお支払いして、好きなアーティストの作品は手に入れたいと思っている。

自分とは違う感性を持っている方が作る作品は、その作り手の魂が入っているはずで、ほんの少し、自分を異世界に連れて行ってくれる作品に支払うお金は、値は張っても必ず心の栄養価は高いはず。

考える人、考えられる人であり続けるためにも、心の栄養価は高いものを吸収しておくにこしたことはない。

「そんな、わけわからんアートに金払うなら、いい服着て、美味しいもん食べて、いい家住むのに使うわ!」

そういう人もいるでしょう。

しかし。

いい服にも、美味しい店にも、いい家にも、その道の職人さんの技術料が乗っている。それゆえに高価なものになっているはず。

オーダーであつらえるスーツなら、デザイナーと縫製する腕の良い職人さんへ。

三ツ星レストランなら、目利きの仕入れ人と高級食材を扱えるシェフへ。

いい家なら、丈夫な、見た目も遜色ない家の図面を描く建築家と腕利きの大工さんの技へ。

其々の作り手の技に対する対価を支払う必要がある。

誰にも真似出来ない技術を身につけるまでには、膨大な時間とお金が掛かっているのだから、それは当然なのである。

そうやってよくよく考えてみれば、形は違えど、誰もが好きなものにはお金を支払っているということになる。

そういうわけで、アート全般の適正価格は、人それぞれでなのでしょう。

高いから欲しい、安いから値打ちがないという先入観ではなく、また、その逆の高いから買わない、安いから買ってもいいかというのでもなく。

手に取ってじっくり眺めてみたい、手元に置いてみたい、好きな人への贈り物にしたい。

そんな「好き」という気持ちで作品に興味を持ってもらうことが、作り手の一番の願いである。


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