コンクリートのくつあと。

小学2年生の頃、『コンクリートのくつあと』という詩を授業で習い、詩を朗読したことがある。

なぜそんな大昔のことを覚えているかというと、若くて可愛い担任の先生に手放しで褒めてもらった思い出があるからである。

『unimamちゃん、すごい上手!感情が込められてて素晴らしいよ!』

先生はそう言って拍手してくれ、クラスのみんなも拍手してくれたのだ。

しかし、この嬉しい記憶に一点のシミのような横やりを入れてきた奴がいた。

Sくんは頭の良い生意気な奴で、授業中いつもニヤニヤしながら先生の小さな間違いを見つけては指摘する嫌なガキだった。

『先生間違ってます‼︎』

皆から拍手される私を見ながらいつものニヤニヤ顔でSくんは言った。

『Sくん。どこが間違ってるの?』

先生が少しきつい口調で彼に問いかけた。

『あの!unimamさんは今、この詩を間違って読みました!』

『どこが間違っていたの?先生は間違ってたとは思いませんよ。』

自分のために先生がSくんに対抗してくれているのは嬉しいが、今褒めてもらったばかりの嬉しいワクワクする気持ちは一気に萎んでいったのだった。

何やねん!いっつもなんか言ってくるわ!あんたなんかホンマに嫌いやわ!

心で毒を吐きながら、天国から地獄のような気持ちで立ち尽くしていた小さな私。

『今unimamさんは、‘無理なんじゃないかな?’って読むところを、‘無理なんじゃあないかなぁ?’って読みました!『あ』はありません!伸ばして読むのは間違いだと思います‼︎』

ガーッ‼︎
今思い出しても腹が立つ。

頭のいい奴から言われたダメ出しに何も反論出来なかった幼い頃の自分の姿を思い出し、なんだか鼻の奥辺りがジーンとしてくる。

『あのね、詩の朗読ってその場面を想像しながら読むと、まるで目の前で見ているようによくわかるの。unimamさんはゆっくりわかりやすく気持ちを込めて読んでくれたから先生はすごく良かったと思いましたよ。』

先生はSくんにそう言ってくれたので、彼は不服そうな顔をしながらも黙って着席したのだった。

なぜかよく私を可愛がってくれた先生。
先生のお宅に呼んでいただき、先生のお母さんが作ったおにぎりをご馳走になったことも覚えている。

そんな優しい先生とお別れの日。

クラス替えを控えた終業式最後の日に先生から金のシールが貼られた表彰状をもらった。

『詩のろうどく上手かったで賞』
その表彰状にはこう書かれていた。

『unimamちゃん。先生unimamちゃんの読む詩が忘れられないよ。すごく感情を込めて読んでくれたよね。そこでね、unimamちゃんは3年生になったら詩を作ってみたらどうかなって思うんだ。きっといい詩が書けるよ。先生楽しみにしてるからね!』

きっと先生はあの授業でのことを気にかけてくれていたのだと思う。

幼心ながら、恥をかいたという感情は確かに心の奥に残っていて、嬉しい記憶に嫌らしくくっ付いて離れないシミのようになっていた。

かなり傷ついていた私は、あの日のことを忘れようとしていたのだった。

しかし先生のこの表彰状はそんなことを吹っ飛ばすパワーを与えてくれた。

Sくんに付けられた一点のシミは、綺麗に洗い流されたのだ。

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