物作りをするとは?
日々の暮らしの、限りある一日の時間の中で何かを作り続けることに取り立てて意味はないのだろうと思っている。
意味はないのだろうが、常に今よりももっと上手くなりたい、もっと自分の作品を世に認めてもらいたいなどというどうしようもない下心を持つことは、物を作り続ける人間の業のようなものなのではないだろうか。
とりわけ、物作りをする者の業はとても面倒くさいものだ。
作品に対する熱みたいなもの。
マグマのように煮えたぎる時、氷のように固く冷えて凍えそうな時を繰り返しているような感覚。
気温の変化が激しいと身体は不調を起こしやすい。
それに対応するために、平常心を心がけているのである。
誰に頼まれたわけでもなく、自分自身がやらなくてはいけないのだと決めている道は、土砂降りであろうが、砂漠のようであろうが、進んでいくしかないと思っている。
砂漠の真ん中で、もうダメだと途方に暮れている時に。
「これを飲んで頑張って!」
そう言って、冷たい水を差し出しながら労ってくれるような人々がいることのありがたさ。それを受け取る時の嬉しさを知っている。
だから頑張ってこれたし、これからも頑張っていけると思っている。
noteにはそんな人々がたくさんいることを私は知っている。
意味のないものに意味を持たせるのは、個人が放つ底力だけでは足りないかもしれない。
それらの根本をしっかり支え、幹が太く成長するために、バランスの取れた栄養剤をその手でふりかけてくださるのは誰なのだろうか。
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