⑱心象風景の共有
明日から箱根駅伝の予選があるという話題を朝からテレビでやっているのを観ていた。
番組では、4年生の有力選手がメンバーを外されたことについて、本人と監督にインタビューしたものを放送していた。
毎日毎日走り続ける陸上選手たち。
努力が実を結ぶ者もいれば、報われなかった者もいる。
スポーツ選手は努力が報われるとは限らないことを、本人もサポートする側の人間も承知の上で日々頑張り続けるしかないのだと思う。
そこでメンバーを外されたこの4年生の彼は、
「自分に努力が足らなかった。怪我だとか故障だとかそういう面をキチンとメンテナンスできる自己管理も甘かった。」
こう言っていた。
後輩たちがメンバー入りしている中、悔しいだろうなと思いながら観ていた。
すると彼は
「走るだけが陸上じゃない。草抜きやらトレーニングも全て陸上ですから。」と笑顔で答えたのだ。
メンバー入りした後輩たちの足をマッサージしてあげたり、明るく言葉をかけてあげ、励まし、アドバイスをしていた。
また、走るコースのポイントを細かく地図に書き込み、選手がベストな状態で走れるように心を砕き、自らがチームのために最善を尽くすことを、率先して行っていた。
”偉いな、すごいな。”思わず声に出しながら、彼のひたむきな頑張りに釘付けになってしまったのだった。
彼の姿を観ながら、ドカ弁がバスケをやっていた6年間を思い返していた。
暑い日も寒い日もひたすらバスケットボールを追い続けていた日々。
怪我をしないよう筋トレをして体を鍛えたり、体力を向上させるために走りこんだり、様々なことをやれるだけやって、本人がいくら注意をしていてもアクシデントは起きた。そこを乗り越えていくのは、やはり本人のメンタルの部分が大きいのだろう。
親である自分に出来ることは、日々の努力を認め、応援する以外は何もしてはやれなかったが、常に彼女の心の中に思いを馳せ、嬉しいとき、悲しいとき、悔しいとき、親子で一喜一憂しながら感情の共有をしてきたように思う。
互いに言葉にして確認してみたこともないから、ドカ弁の心の奥はどうであるかはわからないが、自分の中ではドカ弁と共に感情の共有をしてきたつもりのあの6年間は、今まで生きてきた人生の中に色濃く刻まれた風景になった。
番組の最後にチームの監督はこう話しておられた。
「自分も悔しい想いをしたことがあるから、メンバーを外された彼の”心象風景”は理解できる。しかし彼の心の全てが分かるわけではないから、少しでもわかりたいと思うし、コミュニケーションを取っていきたいと感じる。」
また、
「心象風景の共有とは、チームの絆を繋ぐもの。」と言っておられたのが印象的であった。
心象風景。なんとなくは意味が分かるが、ちょっと調べてみた。
”現実ではなく心の中に思い描いたり、浮かんだり、刻み込まれている風景。 現実にはありえない風景であることもある。”とあった。
「つまり、人の心の奥にある風景や光景を想いながら、自らの想像力を働かせつつ、共有するってことやな。」
こう自分なりに納得したのであった。
とても素敵な言葉である。
心象風景の共有とは?
人と人を繋ぐ、愛と思いやりに満ちた素晴らしい心のキャッチボールのようなものなのかもしれない。
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