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バサーっが書きたい。

最近ちゃっかりが書道に興味を示しだした。

huluでやっている『ばらかもん』という書道を題材にしたアニメにハマったようである。

母親が仕事をしている横で、
『あ、この先生ママと似た字やね!』
などと言いながら釘付けになって観ているのだ。

凝り性のちゃっかり。
アニメの『ばらかもん』を気に入りすぎ、漫画まで買ってきて読み始めた。

なかなか思うように筆が進まず、書いては丸め書いては筆を置きを繰り返して悶々としている自分に向かってこう言うのだ。

『ねぇねぇ、ママ!ママも書けないの?この先生もね、書けなくてイライラしてるの!』

うーるーさーい‼︎

もうこれ以上はダメだ。書けないものは書けない。

開き直って今日はやめようと筆を置き、ちゃっかりが買ってきた漫画を手に取った。

ふーん。すごいイケメンな書道男子か。なんとなく読み始めたが、
『うんうん!そうやんな!あかん時は腐るよな〜!』
頷く話が満載であった。

印象に残った部分がある。

お習字の稽古を付けてもらうことになった子どもたち。
先生が『手本を書くからよく見ておけ』と言うのだ。

すると子どもたちはこう言う。
『いつもみたいにバサーっと書かないの?』

先生は答える。
『何事も基本ができてこそだ。』

しかし子どもたちは先生の作品を見てこう言う。
『あんなのが書きたい。派手だし。』

思わず笑ってしまった。
自分の書もバサーっを通り越し、ザッパーんと潮が吹き飛ぶようなものが多いからである。

子どもの頃、師匠が書いた作品を見た時同じようなことを思った記憶がある。

墨を紙にボタボタこぼしたような書を見て、その勢いと墨が飛び散るようにはらわれた筆先のかすれ具合がなんとも格好が良く見え、こんなふうに自由に書いてみたいと思ったのだった。

しかし、軸のない者はけして上手くはなれないものなのだ。

手本をしっかり見ながら忠実に書く楷書をキチンと叩き込まれ、次は形を崩して書く行書を学び、さらに原型を崩した書体の草書を学ぶ。

正しい基礎を積み重ね、臨書する作品の読みづらい草書の漢字を理解でき、決められた書き順で書かなければ、草書での臨書は絶対に書けないのである。

流れに乗りながら忠実に手本と同じように書くのは非常に難しい。

基礎があってこその好き勝手。
自由自在に書くバサーっが成立する。

あれ?
なんかスッキリしてきたぞ!
書けそうな気がしてきた。

ばらかもんに触発され、原点回帰。

ちゃっかりもたまには仕事の役に立つことを提供してくれるもんだ。

漫画もアニメも私たちに感動や力を与えてくれる素晴らしいアートである。

自分の書も、誰かの心に何かを与えることが出来ていればこんな嬉しいことはない。

書くことは自分が生きている証である。

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