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受験生。

昨日はドカ弁の私立高校の受験であった。前日からやいやいと準備をした。

受験票は入れたか?
Bの鉛筆5本、黄金鉛筆も用意したか?
交通費は?
雪が降った場合の替えの靴下は?

そんなことをやっているうちにドッと疲れたが、前日の夜は全く眠れず、開き直ってhuluで『とんび』を観ていた。

ちょうど主人公のあきらくんが東京の大学を受験したいと父のやっさんにお願いするというお話の回で、親離れしたい子どもと、寂しさを隠しきれない親の感情が両方理解できてしまい、涙が止まらなかった。共感できる部分があるから涙が出るのだと思う。

ところが我が子を見ていて感じるのは、共感どころか違和感ばかりなのだ。

自分たち親の世代と、現在のドカ弁の世代は、様々な環境が違うから『なんか違うな。』ということがいっぱいあって当たり前なのであるが、受験生の我が子を見ていて感じる違和感は結構なストレスになった。

その違和感の最大の原因の一つがまさか学校にあったとは今まで気がつかなかった。

受験が近づいてきて、学校の対応に首をかしげることが押し寄せてきた感じというのが今の気持ちを表すのに一番しっくりくるのかもしれない。

本番の公立高校入試までに9割の子が私立高校の受験をするのであるが、ドカ弁が希望する高校は学年で2人であった。

『それならそのもう1人の子と約束して、早めの電車に乗って行きな!』

ドカ弁にはそう伝えドカ弁も了解し、先月受験校の下見に行ってきたのである。

受験を数日後に控えた先週のこと。
学校から帰宅したドカ弁がこう言った。

『進路指導の先生が、お母さんかお父さんは受験校まで連れて行ってくれますね?ってゆーねんな。』

『は?なんでやねん!自分の希望する高校くらい自分で行きよ!下見行ったやろ?』

するとこんな返事が返ってきたのだ。

『親に言わないとダメなんですか?って聞いたら、何かあっても学校は責任取れないからねってゆーねんな!大丈夫です、下見も行きましたからって言ったら、どうやって行きましたか?駅からはバスですか?徒歩ですか?時間はどれくらいかかりましたか?ってしつこい!』

どうなってるんや!先生!
全くどうかしていると感じた。

義務教育もまもなく終わりを迎える子どもたちが、自らの意思で希望する高校を選び、通うことになるかもしれない学校に自分で足を運び、責任を持って行動しようとしているのだ。

『何かあっても学校は責任取れないからね。』

この言葉を子どもに向かって投げかける先生ってどうなのだろうと思う。

トラブルがあった時のモンスターペアレント対策なのかもしれないが、子どもの自立心を根こそぎ奪う言葉のような気がしてならない。

さらに。

『君たちは自覚と責任を持ち、受験当日の朝は時間厳守、6時30分には必ず駅に集合するように!点呼を取ります!』

こう言っていたその進路指導の先生は、受験当日、時間になっても駅には現れなかったそうだ。

子どもたちは他の先生に慌てて点呼を取ってもらい、電車に飛び乗ったそうである。

別の意味で責任を取らなければならない事態を想定しないといけないのは、先生、あなたの方ではないのか?

この調子でいけば、この先
『入社試験にはお母さんかお父さんが付いてきてくれますか?何かあっても学校は責任取れないからね。』

こんなことを言われる日もやってくるのではないだろうか?

恐ろしいことである。

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