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繋がりを取り戻す

写真は榛名山より。

最近、昔の職場の人たちからご飯のお誘いがかかる。

私、近くにいる人をのことを優先する癖があるから、あっさり切っていた。

ただ気まぐれでご飯の誘いに応じて、話してみたらやっぱり楽しかった。

向こうからもまた誘うねって言われて、私の存在意義ってここにあるんだって実感した。

別の県に住んでて、違う業種にいて、物理的な由来による繋がりは失せたけど、何年経っても精神的に繋がり続きたいと願う。

「喪の先取り」はいずれにおいても生じているのだ。そしてこのことの気づきからフロイトが喪のプロセスが結局は失われた外的対象との同一化のプロセスであるという気付きへとつながったとしても驚くには当たらない。

フロイトは同一化のプロセスについての考えを磨き上げることで、それが単なる記憶でなく、ある生命を宿した審級として心に宿ることを見出した。失われた対象は冷たい記憶として残るのではなく、自我の一部となって命を得る。Clewell はこのプロセスを次のように表す。亡くした他者を、悲嘆による同一化により内在化することで人は主体になる。

岡野憲一郎/気弱な精神科医/儚さより