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本年度の企業フィランソロピー大賞に、パナソニックホールディングス株式会社の「NPO/NGOサポートファンドfor SDGs」

本年度の企業フィランソロピー大賞に、パナソニックホールディングス株式会社の「NPO/NGOサポートファンドfor SDGs」が選ばれた。とても嬉しい!

私は高校生1年生の時、阪神大震災によって当時住んでいた兵庫県の家に住めなくなった。大阪の鶴見区に住む叔父が、彼の家の近くのアパートを手配した上で、私たちを助けに被災地まで軽トラックで駆けつけてくれた。避難所で高熱にうなされていた私は、意識がもうろうとしながら、その時の光景をまだ覚えている。大阪の鶴見区に引っ越しをした。地域の小さな電気屋さんを営んでいた叔父は、少しでも私の気がまぎれるようにと、私に彼が経営する町の電気屋さんでアルバイトをすることを勧めた。特に当時の私が貢献できたこともなく、ただ店番をしていただけだが、今考えると、お小遣いを渡す理由を作ってくれたのだと思う。生まれて初めての「給料」を貰ったのが、パナソニックのお店だった。

それから10年以上経ち、NGOで働き始めるが、入職した団体の財政状況は芳しくない。日本の事務局長になったとき、初年度はフルタイムで働きつつも、給料はゼロだった。それまでフィリピンの大学院生兼マニラ事務所勤務(給料月7万円)であり、十分な貯金もなく、いくら節約しても事務局長として1年働く頃には、自分の貯金もほぼ尽きていた。

多くの仲間の痛みが伴った改革の末、どうにか赤字を止める道筋はつきつつも、まだ自分の給料を出せる状態ではなかった。これで無理だったらもうNGOを辞めるしかないと思って申請したのが、このパナソニックの基盤強化の助成金とJANICの基盤強化研修に付随する助成金だった。この2団体から団体として人件費に対し、200万円(各100万円)×2年間の資金を預かり、私がNGOで働くという道が皮一枚残る。

なぜNGOを続けられたのかと聞かれれば、もちろん事業地の人々やともに活動してきた仲間がいたからではあるが、当時、パナソニックとJANICが、事務局長として「初めて」の給料を出してくれていなければ、確実にあそこで終わっていた。その後の10年以上の黒字経営はなく、世界各地で何十万の子どもたちが空腹から解放され、教育や医療が受けられるようになることもなかった。

更に10年以上経ち、パナソニックは、NGOの事務局長であった私を、その助成プログラムの審査委員として、異例の抜擢をし、別のステージに引き上げてくれた。数年後、自分の限界を感じ、自分の人生の一部だった団体を離れることになる。もう生きる気力を持つことも難しい時に、パナソニックの担当者は、「井川さんを応援したいから」と言って、契約を個人に切り替え、審査委員の委任を継続してくれた。全てを失ったかに見えたとき、このパナソニックの助成プログラムと全国のNGO仲間たち(特に連携推進やNGO相談員関連)が、自分自身さえ信頼できなかった「私」を信頼してくれ、NGOの世界と私を、糸一つ繋げてくれた。今、これだけ多くのNGOと繋がり、様々な活動をさせていただいているのは、ここで最後の糸を残してくれた人たちがいたからだ。

2001年に始まったこのパナソニックの基盤強化プログラムは、これまでにどれだけのNPO/NGOスタッフの人生を変え、その先にいる自由や平和、尊厳のある暮らしを切望する人々に希望を齎してきたんだろう。

この受賞が本当に嬉しい。パナソニックの皆さま、おめでとうございます。本社のある大阪府門真市に足を向けないようにして、今日も寝ます(笑)

〜松下幸之助〜

逆境もよし、順境もよし。要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。

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