「せつなときずな」 第15話
堪え難い居心地の悪さに刹那は何度も逃げ出したくなったが、サキがいる手前、当事者の自分が逃げる訳にもいかない。
それ以上に、サキが一緒にいてくれているから、自制心を保てるのだ。
できれば、喜ばしい期待でもって足を運びたかった。
風邪やねんざで来ているのではない。
待ち合いにいる人の視線が、自分の妄想で凶器のように襲ってくるような不安に変わっていく。
恥ずかしくて、もう嫌になる。
サキは、いつものようにしれっとしている。
「私さ、人の気持ちがあんまりわかんないんだよね。
それで、よく勘違いされるの」
時折聞かされる母親の吐露は、まあ、その通りだ。
こんな時は、それは案外ありがたいのかもしれない。
一緒に悩むことはなくても、私と一緒にいてくれる。
それ以上、何を望む?
命の選択が懸かっている若者にとって。
ここにいる多くの人は、きっと幸せだ。
妊娠によって不安になったり、悩んだりするのも、それもきっと幸せだ。
私は、その手前で震えている。
確かな結果なのか
その結果によって、未来はどうなるのか
その時男は、私を選ぶのか
その時男は、命を包むのか
…
診断が終わったあと、サキは刹那の手を取って駐車場に向かった。
一人で歩ける感じではなく、誰かが必要だった。
二人車に乗ると、エンジンをかけずに、サキは初めて林のことに言及した。
「彼氏は、知ってるの?」
刹那は首を横に降った。
「じゃあ、するしないは別として、あんたの気持ちだけ聞かせて。
子ども、産みたいの?」
刹那は窓の外を眺めていたが、微かに頷いた。
声にならない小さな嗚咽が、車内の静寂を僅かにだが引き裂いた。
「じゃあ決まり。
子どもは産みましょう!そのかわりに、学校は卒業すること。
その交渉はお母さんの仕事。あんたは出産と学業だけ考えなさい。
彼氏のことはあんたに任せるわ」
「知ってるだろうけど、お母さん、大学2年の時あんたのお父さんと出会って、刹那を妊娠したんだよ。
クラブでナンパされて付き合うようになったけど、向こうはまだ社会人1年生のくせに、結婚しようって言うからさ、大学中退して籍を入れて刹那を産んだの。
お母さん、今でもそうなんだけど、恋愛とか苦手なんだ。
ただ、男といい感じになりたいだけなの。
まあでも、娘ができたことは良かった。
下手したら、一生家族を作らなかったかもしれないからさ。
これからはお母さん、ちょっと忙しくなりそうだ。
あんたのためにね、刹那」
刹那は「ありがとう」というのが恥ずかしくて、黙って頷いた。
「一つだけ言っとくね。
彼氏に何を言われようが、あんたの仕事は出産と卒業、それは迷わないこと。
約束じゃなくて、私の命令だから」
どこかで見下していた自分の母親は、鋼のようなマインドの持ち主で、私はいい歳をして、つまんない自意識を積み上げただけの馬鹿野郎でしかなかった。
momoのステアリングを握って赤いアルファロメオのエンジンをかけたサキは、男にだらしなくてもいかした女だった。
それに私も、男といい感じになりたかったんだ。
刹那はよくも悪くも、この母親の娘だったと、今日初めて理解できた気がした。
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