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「せつなときずな」 第12話


自分が、男の腕の中で震える日が来るなどと、刹那は想像したこともなかった。
それは、他人事だと思っていた。
しかし、何故そんな風に思い込んでいたのか、それはよくわからなかった。

いや、わからなかったのではなく、避けていたのだ。

母親のサキの、できたら関わりたくない男関係を見てきたことで、異性に対する思い入れが自然発生しなくなった。
そのことを惜しいと考えたことはなく、今でも後悔はない。
寧ろ、林に抱かれている自分に、驚きを禁じ得ない。

その癖毛に指を絡ませ、切ない息をこれ見よがしに漏らすのは、それは官能の現れではきっとない。
色黒で、小柄のその身体は、着痩せで今まで気付かなかった筋肉質の欲情でもって、刹那の日常を完膚なきまでに変えてしまった。

林はやさしくて、いやらしかった。
それは狡猾だと思ったが、わかっていながら跳び込んだのは刹那の方だ。
もう戻れないと思った。
何処に?
多分それは、昨日までの自分だ。

もう、うんざりしたんだ。
この面倒くさい自分自身に。

初めての行為のあと家に帰った日、一体どうしてなのかわからないのだけど、刹那はサキに何があったか見抜かれてしまった。
それはとても嫌だったのに、だからと言って避ける手段は思い当たらなかった。

「あんた、彼氏といい感じになったんだね」
夕食の席で、悪戯な笑みを浮かべてサキは言った。
あばずれな母親は、親としては落第点で、男関係も残念なのに、家のことはきっちりできるハイスペックなシングルマザーで、料理も上手く、何かにつけて不器用な刹那はコンプレックスを払拭できない。
その、著しくバランスの悪い母親に、娘としては一番知られたくないことを、食事の席で突っ込まれる。
最悪だ。

「どうして、そう思うの?」

「刹那の顔に書いてあるよ」
サキはそう言うと、面白そうに笑った。
こういう、デリカシーのないところが嫌なんだ。

それでいて、刹那と林の逢瀬は頻度を増していった。
林と同じくらい、刹那がそれを欲した。
クラスでは完全に噂が広まっていたが、元々誰とも近しい関係を持たない刹那は、構うもんかと思った。

林が好きなのかどうか、最早それはどうでも良かった。
気持ちいいかと言われれば、まだそれほどでもない。
愛情でも、欲望でもないのだ。

たまらないのだ。
指と指が
唇と唇が
肌と肌が
身体と身体が交わるのが
あの、言葉にはできない、言葉なんかいらない
温もりみたいな何かが…

「あんた、男を泣かす女になるよ」
サキのその言葉を、刹那は行為の度に思い出さずにはいられなくなった。

…そういうことだったんだ。
「公彦」刹那は何度も名前を呼んで、林が望む卑猥な言葉を口にした。
林の卑猥な願望に応えた。
繋がっているこの感じだけが、全てだった。
それがあれば、他に何もいらなかった。

「公彦、濱田さんと別れたの?」
汗ばみながら、刹那は林に冷水を浴びせる。

「最初から、付き合ってなんかないよ」
この男は嘘が下手くそだと、刹那は思う。

「構わないよ。誰と何しようが。
ただ、私を誰かの代わりにしないなら。

誰かは、あくまで私の代わりに…」

そう迫ると、刹那は林の息を止めるぐらい唇を吸った。

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