技術情報の価値と産業スパイ
しばらく使われなかった「産業スパイ」という言葉は、軍事産業だけでなく、先端技術の研究開発や製品開発などの民生品分野でも懸念されていたもので、終身雇用の保障と引き換えに、決して浮気は許されず会社に忠誠を誓うという雇用環境も、この言葉を助長したのではないかと考えてしまう。
大量生産を行っていた製造業では、特許で保護された企業の技術情報資産価値はそれなりに大きいものであった。力の入れ方にもよるが、特許ビジネスがしっかりと利益を生み出していた企業も多く、例えば、利益の一割を稼ぎ出してくれる人件費のかからない効率的で価値ある存在が特許だった。
しかし徐々にその技術情報の資産価値は下がっていってしまったが、その理由には次の二つがあるのではないかと考える。
一つは人の移動による技術流出が止められず、企業間の転職も常態化していったこと。
もう一つは、製品形態が変化してハードとソフト、サービスひとつの企業内の分業から、企業間の分業になったことである。
まずはじめの人を介した技術流出は、大量生産を加速させるために、バブルの頃に国内で人材を集める方法としてとられたのが、期間従業員とアルバイトだった。忙しい時は二交代、三交代の24時間生産が当たり前だったが、自社の繁忙・閑散に合わせて、人員調整、工数対応が容易にできる雇用形態だった。
その後、派遣会社が自社の社員を派遣先の繁閑に合わせて振り分けることで、安定雇用を生み出した。しかし、そこに従事する人がスキルとして身に付けたものは、同業他社への技術流出にもつながっていった。
また、国内のそうした事情は海外進出によって国外でも同様の事が起こり、外国メーカーや地元企業、サードパーティーと呼ばれる消耗品や部品供給企業への人材流出と技術流出は、もはや止まらないものとなっていった。
さらに、技術者もスキルアップと待遇面向上のために転職を繰り返し(自分自身がその道を歩んできた)、同性能・同一機能の商品が多くのメーカーから発出された。
その後、バブルも崩壊すると大量生産の商品は市場で飽和状態となり、基本機能を持った商品群に絞り込まれてしまうと、守るべき技術も減少してしまった。
技術情報の価値は低下し、企業側も特許収益をあてにできず、特許による技術の保護効果は薄れ、販売戦略的な情報ですら価値がなってしまった。(統合はしやすくなった)
こうして沢山の映画やドラマの題材にもなった「産業スパイ」は、量産メーカーにとっては過去のものとなった。
家電製品の中にゲーム機が登場して間もなく、新しいビジネス体系が生み出されることになった。それまでは、ハードもソフトも自社で開発して、ノウハウを含めたサービスも自社で行うのが普通だったが、ゲームビジネスでは本体ハードとソフトが分離されて、企業間の分業になっていったのである。
ハードが売れても面白いソフトがないと本体は売れない。技術的には、安定したソフト開発のためには、ハードの情報はなるべく公開してほしい。やむなくハードメーカーは、シェアのとれるプラットフォーム化を目指す事を理由に、技術情報公開を進めていく。
さらに、ハードが担っていたシーケンシャルな部分はソフトへと置き換えられ、過去のPCでは、CPUがモトローラだインテルだと言っていたが、いつのまにかOSがプラットフォームの台頭になってしまった。ハードの価値や存在自体が、やや衰えてしまい、技術は隠すものから、基本部分を公開して、他社にも利用してもらい付加価値を高める形に変化していった。
特許戦略としてソフトは見えにくい技術なため市場で発見するのは難しい。また、ソリューションビジネスでカスタマイズされた単発の商品搭載技術は、特許を取得してもそこから利益が得られる可能性は低く、特許の維持費用が高くつくことになる。
車や家電、PCと周辺装置メーカーなどの単一商品の売り切り、大量生産メーカーにおける、技術情報や特許の資産価値の低下は、他の業界に比べて影響は大きく、企業の持つ感覚も変わらざるを得なくなってしまった。
メーカーがまったく新しい分野の新規事業を考える時、真っ先に特許を調べる作業を行うことが多いと思うが、ベンチャーやスタートアップもそれほど特許に力を入れていなければ、そこから得られるものは少ないのではないだろうか。
ただ、最近でも産業スパイを取り上げる記事は見ることができる。特に半導体分野や情報通信分野などの先端技術では、現在でも産業スパイが問題になり、国家間の問題にまで発展している。