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シーンを創出する

QUINTET4

世界各国から名うてのチームが
それぞれ最強のグラップラーを擁し東京に集結した。
5人1組の編成で4チーム。
彼らは世界一のチームを名乗るべく、団体戦に挑んだ。

4年ぶりに開催されたこのイベントも、今大会で4回目になる。
回を重ねるごとに成熟し、知名度も向上している。
出場選手、規模感、演出やプロモーションは国内では他に追従を許さず、もはや世界中のグラップリングファンがその開催を心待ちにしていたイベントと言ってもいいだろう。
日本を発祥とする勝ち抜き戦は、個人戦とは違う勝利への駆け引きも相まりファンの心を掴むのだ。

優勝候補筆頭と目されていたB-TEAM。
彼らが他のチームを圧倒するかのように勝利すると予想していた。
それに対抗するのがヨーロッパを拠点とするグラップリングイベントPOLARISが選抜したチームとの予想だが、それでもかなりの実力差があると思われた。
彼らは初戦で対戦し、先鋒から大将まで全ての試合が引き分けで終わった。
指導数も同数だった為、大将戦の旗判定によりB-TEAMの勝利が決まった。
暴君と言っても差し支えないチームに挑んだPLARISは、ディフェンシブな展開に終始し、チームとして引き分けに持ち込んだことで、
『生き残る』という矜持を保った。

護身術をその根幹に置く柔術

グラップリングのルーツに柔術があるなら、POLARISチームはその責を果たし、B-TEAMと互角の勝負を展開したことで名を上げたと言っていい。
だがこれを理解し、そのアンダーグラウンドな矜持や哲学をすんなり受け入れることのできる視聴者はいるだろうか。
明快でなくシンプルとも言えないグラップリングに、勝ち抜き戦というシステムを持ち込み、さらに護身の哲学などを併せて展開するのであれば、如何に有能な解説があったとしても、視聴者は独り取り残されたまま欠伸を禁じ得ないだろう。

Craig Jonesを筆頭とするB-TEAM

最後のMETAMORIS

2017年のMETAMORIS(メタモリス)
数多のスターやスーパーノヴァを生みだし、昨今のグラップリングムーブメントを牽引したと言っていいイベントだったが、その実に見合ったキャッシュフローを確立出来ぬまま消滅した。
プロイベントにはファイトマネーや会場費の他にも、多くの経費が必要となる。
そしてことグラップリングイベントに於いて、それらすべてをチケットやPPVのみで賄うのは不可能と言える。
それでもイベントとして成立させるために、各種スポンサーによる広告費や物販などの副収入をあてにするのだ。
そしてこの歪みが、やがて経営を圧迫していく。
例えばトマトを買いに行く。
客はトマトを得る代わりに金銭を支払う。
販売元はトマトに見合った対価を得られないからと言って、客にコマーシャルを見せたりしない。
単にトマトを等価交換する、これが健全な取引と言える。

グラップリングにはトマトほどの知名度がなく、キッチンに無くて困るものとも言えない。
METAMORISの主催者、RALEK GRACIE(ハレック・グレイシー)はそこに気づいていた。
ハレックはトマトを売るのではなく、トマトの良さを知ってもらうために、トマトづくりを体験してもらおうと考えたのだ。
つまりプロ大会と並行し、アマチュア大会を開催することで競技人口の拡充を図り、視聴者やファンを育て、安定した収益を確保しようと目論んだのだ。
だがしかし、すでに経営状況は思わしくなく、即効性に乏しいこの計画は頓挫し、ハレックは未払いのファイトマネーを捻出するべく、自らプロマッチに出場するのだった。

Bellatorに出場するハレック

爆発的に競技人口が増え続けるブラジリアン柔術。
アメリカではもはや伝統芸ともいえるレスリング。
UFCやベラトール、PFLにおけるMMA人気。
グラップリングは恵まれた土壌により、運よく発展を遂げた。
だが、あまりに急速な発展ぶりにマーケットが追い付かず、息切れを起こした先頭集団だけが入れ替わる、という事態が繰り返されるばかりなのだ。

シーンを創出するのは

UNRIVALEDは旗揚げ時から、プロ大会の開催のみをその旨とせず、プロ選手によるセミナー、ルール理念の説明やマーチャンダイジング、放送媒体による啓蒙、メディアによる露出、アマチュア大会のパッケージ化、海外放送などを包括して運営してきた。
とくにUNRIVALEDはアマチュア大会=ALTANAに注力し、DOスポーツとしてファンを増やしていくことを目標としている。
どのアマチュアスポーツも個人、ジム、道場、企業が結託し連盟という堅牢強固な組織となり下支えしている。
多勢であるアマチュアがシーンを創出する。
それはやがて世界に伝播し大きなムーブメントとなりえる。

2023年2月に開催されたALTANA


桜庭選手は現代MMAを『キックボクリング』と評し、そのアンチテーゼとしてQUINTETを始めた。
世界にその名を冠するIQレスラーは、過去の栄光にすがることなく、グラップリングにその身を投じた。
MEATAMORISは資本を大きく逸脱する規模の興行を続け、ハレックはその責を負うべくMMAの試合で身を削った。
桜庭選手もハレックも、美しく、難解で、哲学をはらんだグラップリングに魅せられたのではないだろうか。
グラップリングは今その黎明期を終えようとしている。
非現実的な強さを魅せるプロ選手を非日常的に演出するプロイベント。
現実的、日常的に競技を楽しむアマチュア層。
そのバランスが保たれた時、グラップリングシーンは成長期、成熟期を迎えるのだ。