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【雑記】映画『ファイト・クラブ』を観て、とある美少女ゲームを思い出した話_非実在女子大生、空清水紗織の雑記Vol.0019

「信頼できない語り手」という、小説や映画等で使用される技法がある。どういうものか、Wikipediaを引用してみよう。

『小説や映画などで物語を進める手法の一つ(叙述トリックの一種)で、語り手(ナレーター、語り部)の信頼性を著しく低いものにすることにより、読者や観客を惑わせたりミスリードしたりするものである』

信頼できない語り手
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E8%AA%9E%E3%82%8A%E6%89%8B

記載のとおりで、「叙述トリックの一種」だ。
「自分って、叙述トリック、特に『信頼できない語り手』が使用された作品が好きなんだなあ」と気付いたのが数年前で、それ以降は、この技法が使われた作品に意識的に触れてきた。


というわけで、以下、叙述トリックが使用された作品についてネタバレありで書いていくので、もし気になる方はブラウザバック推奨です。





私の中で「とにかくいつも以上にエンタメに触れたい時期」というのがあって、それは特に前触れなく、スイッチが切り替わったかのように突然やってくる。
こないだ、またしても急にその時期がやってきて、折角だから叙述トリック系のものに触れようと思い、「似鳥 鶏」さんの『叙述トリック短編集を読んだ。

タイトルどおり、最初から最後まで叙述トリックの短編が詰まった本だった。私が好きなのは「背中合わせの恋人」と「閉じられた三人と二人」の二作。
特に「背中合わせの恋人」はスッキリと騙してくれて、後味も爽やか。こういう騙され方をされたくて叙述トリック系のものを読んでるんだよなあと、満足感が得られた。
「騙されたぁ~!」感がないものもあるっちゃあるが、まあ短編集ってそういうものだし、全編通して様々な罠が仕掛けられていて楽しいので、是非読んでみてほしい。

で、ようやく本題。
『叙述トリック短編集』で勢いに乗った私は、まだまだ叙述トリック系の作品を味わいたく、今まで観ようと思っていて観ていなかった映画『ファイト・クラブ』を遂に観た。
そして最初に思った感想が「これ、美少女ゲームでやったやつだ!(進研ゼミ感)」だった。
(ちなみに次に出てきたのが、ドラマ『ミスター・ロボット』。これは鬱々とし過ぎていて、あまり好きになれなかった。)

もちろん『ファイト・クラブ』が叙述トリック系のものであるということを前提で観ているので、ある程度今まで触れてきたものと似ているだろうとは考えていたが、まさか美少女ゲームを思い出すとは。
そのゲームとは『俺たちに翼はない』『素晴らしき日々~不連続存在~』だ。

これらに共通しているのが、冒頭で述べた『信頼できない語り手』であり、尚且つ、その語り手が多重人格であること。(正しくは解離性同一症? 間違っていたらすみません。)

『ファイト・クラブ』も『俺たちに翼はない』も『素晴らしき日々~不連続存在~』も、一人の人物でありながら複数の人格で同一の物事を考えたり、全く違う経験を積んだりしている。
で、それが種明かしされるまでは「何だかよくわからん、モヤモヤする」という感想になりがちなのだが、トリックさえ分かってしまえば一気にそのモヤモヤは解消し、カタルシスが得られるのだ。
いずれの作品も、一人の人物に複数の人格があるという設定を活かした内容になっているので、こういうタイプの作品が好きな人にはお勧めしたい。

ちなみに『ファイト・クラブ』では、資本主義に染まった「僕」と、そこから脱却したいタイラー(「僕」の別人格)の対比が描かれている。
「僕」とタイラーが殴り合っていたシーンは、実は「僕」が一人で自分を殴っているだけだったり、第三者がいる場では「僕」とタイラーが会話をしていなかったりと、映像表現的にも楽しめる要素がいっぱい詰まっている。

最後に、叙述トリックが使われた作品で、自分が一番好きなものは『車輪の国、向日葵の少女』(これまた美少女ゲーム)。
初めて種明かしされたときの衝撃は今でも忘れられない。
しばらく背筋が震えていたし、誰かいるんじゃないかって後ろを振り返ったりもした。
きっと、あのときの衝撃を経験したくて、叙述トリックが使われた作品を探している面もあるんだろうなあって思っている。
願わくば、全て忘れた状態で、また一から車輪の国がやりたい……という、叙述トリック系の作品が好きな人であれば、何度となく抱くであろう祈りを捧げて終わります。
都合よく、忘れたい記憶だけ消してくれる薬とか出ないかなあ。

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