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シュークリームの語源って

「はぁ……」
「……………………」
ゆずちゃんが、もう何度目かわからないため息をついた。両手を頭の後ろに組んで、どこか遠くの方をぼーっと見つめている。左足のかかとで地面の砂を削っては戻し、削っては戻し、そこだけ茶色い土の溝が出来ている。
(ゆずちゃん、やっぱりショックだったのかな)
カラスの鳴き声が頭の上を通り過ぎて、だんだん小さくなっていく。
「……あの人さ、中学ん時にいた人だよね?」
「あ~、そうかも……」
オレンジ色の小さな雲が、三角屋根の上をゆっくりと流されていく。きらきらと西日を照り返している公園の砂地に、滑り台の影が長く伸びている。
「文化祭で委員長みたいなのしてた人だよ、たしか」
「へー……」
11月の風は、もうちょっと冷たい。髪の毛をいくらか掴んで、耳の上に被せる。見ると、ゆらゆら揺れるゆずちゃんの膝もすっかり赤くなっている。
(ゆずちゃん、足寒くないのかな)
 もう一回大きな風。思わず首をすくめる。ブランコが揺れて金属音が辺りに響く。
「唯ちゃん、まだ一緒にいるのかな?」
「うーん、どーだろ……」
「ちょっと電話してみる?試しに」
「え~、邪魔しちゃったら悪いよ~」
「……そっかー、そうだね」
 そう言ってゆずちゃんはまた遠くを見つめる。やっぱりいつもより元気がない。なにか言うべきなのかもしれないけど、いい言葉が見つからない。日も沈みかけてきて、公園の中も薄暗くなってきている。
「ごめん、わたし帰るね」
 ゆずちゃんが不意に立ち上がったかと思うと、鞄を手に取ってスカートのシワを直し始めた。シュークリームの包みを畳んで、鞄のポケットにしまう。
「うん、じゃあね」
「じゃ!また明日会おう!」
 ゆずちゃんは手を振りながら早足に公園を出ていった。最後はちょっとだけ明るい感じだったけど、笑顔がぎこちない気がした。また風が吹く。私も帰ろうかな。野良猫が植え込みからゆっくり出てきて、こっちを見たかと思うとまた茂みへ飛び込んで見えなくなった。
(唯ちゃん、今ごろどうしてるだろ……)

…………………………………

「……そっか~、欲張りすぎか~!」
「あはははははははっ!」
「人んちで2いこうとするなよ」
「はぁ~……そうだよゆずちゃん、ふたつはダメだよ~」
「じゃあ1個はどうする?野良犬にあげる?」
「あっ!さっき放した犬!」
「あははははっ!」
「シュークリームあげたら仲間になってくれるかな?」
「いっかい放したのに?」
「ウソだよ~、怖くないよ~、大好きだよ~、って」
「DVする彼氏か!」
「くふふ……ふっ、ふふ……」
「てか、犬にシュークリーム食べさすなっ!」
「あはははははははは!」

…………………………………

「はぁ~……シュークリーム……」
「あ、今日のテーマ!シュークリームにする?」
「わー、いいよ~」
「えっ、今日……部活、する?」
「あれ、唯ちゃん今日ムリ?」
「家の用事~?」
「あーいや、ちょっと人と約束」
「私たちの知ってる人~?」
「知って……いやどうだろ、喋ったことはないと思う」
「むむむ、これは怪しいですぞ、縁どの」
「事件の香りがしますな……」
「何がだよ」
「ね、それって男の子?女の子?」
「どっちでもいいだろ……男だよ」
「ほら!わたしたちの勘を舐めてもらっちゃ困るね!」
「唯ちゃん、隠しちゃダメだよ?」
「や、全然そーゆうのじゃないから」
「なら、わたしたちも現場に同行させてもらおう!」
「いやいや、あっちが困るし」
「3人で手つないで行く~?」
「仲良しか」
「わたしら、仲良しじゃん?」
「そうだけど……とにかく今日は1人で帰るから」
「ふーん、じゃあ縁ちゃん、一緒に帰ろ?」
「うん、いいよ~」
「一緒に、たまたま唯ちゃんと同じルートで帰ろ?」
「いいよ~」
「ついてくるのもナシな」
「えー」
「えー」
「別にいいだろ、1日ぐらい」
「ふーんだ!そんなに言うなら縁ちゃんとデートしちゃうもんね!」
「わ~、放課後デートだ~!」
「ああ、しろしろ」
「シュークリーム2個食べちゃうもんね~!」
「食べちゃうもんね~!」
「別に羨ましーってならんわっ!」
「あはははははっ!」
「くそ~、シュー2個じゃムリか~」

…………………………………

「はぁ……」
 壁に頭を付けて、天井を見上げる。もくもくと立ち上がる湯気が、視界を曇らせてはゆっくりと消えていく。いつの間に冷えていたのか、お湯に浸かった両脚が痛いくらいにじんじんする。頬が熱い。
(急に帰って、縁ちゃんに心配させちゃったかな)
 たいした理由があったわけじゃなかった。縁ちゃんからは、きっとわたしがすごく落ち込んでるように見えてたんだと思うけど、むしろ自分でも意外なくらい気分は落ち着いていた。ただあれ以上あそこにいたら良くない方向に思考が流れていってしまいそうで、それが急に怖くなった。
(こんな気持ちになるなら、尾行の真似事なんてするんじゃなかった)
 唯ちゃんは来るなって言ってたけど、気になるものは気になる。縁ちゃんと2人して、あのときは探偵ごっこみたいで楽しかった。唯ちゃんはそれに気づいてて、でも気づかないフリをしてるんだと思ってた。
(唯ちゃん、すごく楽しそうな顔してたな……)
 気のせいかもしれないけど、遠目から見た唯ちゃんの表情はいつもより明るくて、生き生きしてる感じがした。いつもの大笑いじゃない、目を細めた涼し気な笑い顔。あんな顔、わたしたちの前では一度も見せたことなかった。
(唯ちゃん、男の人と並ぶとやっぱりちっちゃいんだ)
 わたしは、いやわたしと縁ちゃんは唯ちゃんの全部を知ってるつもりになってた。でも実際は全然そんなことなくて、わたしたち見てたのはあくまで「友達と接する用」の唯ちゃんだったんだってことに気づかされた。年上の男の人と話すときはまるで別人みたいに澄ましてて、そして何より、わたしも縁ちゃんも全く同じなんだってことが一番ショックだった。こんなにずっと一緒にいるのに、お互いがお互いのほんの一側面しか知らない。
(あの人がもし、唯ちゃんの彼氏になったら?)
 わたしは唯ちゃんのことをたくさん知ってる。もちろん縁ちゃんのことも。何が好きで、何が嫌いで、何をしたら笑って、何をしたら怒るのか。湯船の中で膝を抱えて、水面に映った自分の顔をじっと見つめる。この世界で誰よりも、いや唯ちゃんの家族には勝てないかもしれないけど、並んで一番だって言えるくらい唯ちゃんのこと知ってるって思う。
(いつかは、唯ちゃんも縁ちゃんも結婚とかするんだろうな)
 そしたら最後、もうあの2人からはどんどん離れていっちゃう一方だ。わかんないけど、もしかしたらわたしも。絶対に一生友達、でも。
 死ぬ前最後に思い出す顔は、きっと3人ともバラバラだ。

To.櫟井唯
件名:家政婦は見ていない!
11/17 09:41
唯ちゃん、今日はどうでしたか?わたしたちは全く何も見てないしシュークリームを山のように食べていましたが、楽しかったですか?

To.日向縁
件名:さっきのやつ
11/17 09:47
さっき、急に帰っちゃってゴメンね!ぜんぜん落ち込んでるとかじゃないから、気にしないで!

To.ゆずちゃん
件名:Re:さっきのやつ
11/17 10:09
だいじょーぶだよ~落ち込んでなくてよかった!シュークリーム美味しかったね、また明日学校でね~

To.唯ちゃん
件名:
11/17 10:45
ゆずちゃん、ちょっと落ち込んでたよ?あしたちゃんと話してあげてね。

…………………………………

「えーっ、それで、ごめんなさいしたの?」
「まあ。もともと今回限りのつもりだったし」
「えーせっかくなら付き合っちゃえばよかったのに~」
「いや、あっちのことよく知らないし」
「そんなの、これから知っていけばいいじゃん」
「学校ちょっと離れてるし」
「そんなの、恋心の前ではカンケーないよ!」
「いや、だからそんなのじゃないってば……」
「あーあ、せっかく面白そうだったのに」
「でもゆずちゃん、昨日ちょっとさみしそうだったよ?」
「あ、それ昨日縁から聞いた」
「ソソソソンナ、コト、ナイヨ?」
「なんでいきなり片言になる」
「ゆずちゃん、唯ちゃんが私たちと遊んでくれなくなるって心配してたんだよね」
「そんな大げさな」
「イイエ、ニンゲンノカンジョウ、リカイ不能」
「うわ、ロボットになった」
「唯ちゃん、感情教えてあげて~!」
「え~……おーいゆずこー、いつでも遊んであげるぞ~」
「ガガガガ……ユイチャン、スキ」
「わー、感情とりもどした~!」
「人間に戻ってこれた?」
「うん、あぶないとこだった……」
「じゃあ、もう一緒にいなくても平気だな?」
「ガガガガ……サミシイ……」
「感情があるタイプのロボっ!」
「あははははははは!」

…………………………………

「へー、シュークリームってフランスのお菓子なんだ」
「ああ、確かにそんな感じするな」
 いつもの部室。いつもの日差し。外からいつもの運動部の声。昨日と違って今日はちょっと暑いくらいあったかい。使い古されたホワイトボードがきらきら反射してて眩しい。
(ゆずちゃん、元気そうでよかった)
 2人の髪の毛が冬の陽光に照らされて、なんとなく夢の中にいるみたいな気持ちになる。あったかくて、だんだんうとうとしてくる。
(いつも通りが一番いいな、やっぱり)
「英語だとクリームパフ、だって」
「そっちの方がしっくりくるな」
 この先、大学生になって社会人になったら、もちろんだけどこんなに毎日一緒にはいられない。でも、だからこそ一生残るような思い出を今のうちにいっぱい作りたい。今日みたいな、何気ない日々の思い出を。何年も会えなくても、ずっと仲良しでいられるように。
(唯ちゃん……ゆずちゃん……)
「……あれ、縁ちゃん寝ちゃった?」
「そっとしとこ。気持ちよさそうに寝てる」
「そだね~」

「えっ」
「ん、何か見つけた?」
「シュークリームのシューは、フランス語でキャベツという意味、だって」
「なるほど、形が似てなくもない……」

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