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元旺文社文庫収録作品

まず
あたしはTVにおける時代劇という分類の番組は、大嫌い。まぁ理由は明白なんだな。ともかく嫌い。
とは言えど唯一「あ〜この緩さは許せるなぁ。」という作品は、山本周五郎原作の短編『人情裏長屋』の映像化作品の高橋秀樹主演「ぶらり新兵衛道場破り」だけかな。

それはだておき
旺文社文庫は、1965年〜1987年まで発行されていた文庫で、当初は函入り全体に薄い黄緑で統一されていたけれど、いわゆる石油ショックを発端とした紙の高騰で、他の文庫と同じ体裁になっていったね。いまでも古本屋等でこの薄緑のケース入りは時々見かける。

まぁ〜旺文社とポプラ社って出版会社は大嫌いなのだけれど、この旺文社文庫は刊行が終了したのでやれやれと思ったけれど旺文社は残ったね。

さてこの旺文社文庫のみに収録されていたのが、岡本綺堂の『半七捕物帳』で、この出版権がどこに行くのかというのが結構問題になったのは覚えている。

この手の作品はしっかりテレビ化されているのは知っているけれど、原作に沿っているわけがない。それやったらはなし進まないから、まぁ銭形平次だろうが、半七だろうが人形佐七だろうがプロットは同じってぇことな訳だぁね。それが嫌なんだな。

この半七捕物帳
岡本綺堂の作品で、1917年大正6年)に連載が始まったといわれる。この時代、国産のいわゆる推理系の小説はまだ存在しておらず、その最初のものと言われているね。ただ、数多のミステリー等が存在する現在であれば、そのプロットを緻密にというようなものが存在しているのではあるけれど、主人公の半七が「多分こうだろう。」という推理で物事を終わりまで持っていったり、偶然的な、今の人間で言えば「それは無理だろうこじつけがすぎる」というようなものもあるのだけれど、時代考証が緻密であるのね。また和製シャーロック・ホームズとしてこの半七は称されているのね。
 
著作権が切れた作品を収録している「青空文庫」に、この半七捕物帳は収録されている。それをアプリ「ことせかい」でダウンロードして、音読させてあたしは通勤・退勤の際にナビと連動させて、聞いている。

だいたい1時間の通勤・退勤時間(片道33kmだったかな)に、この中編小説が1話聞き終わるのねぇ。
なかなかおもしろいんだな。

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