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「なろう系」は何故面白くないと言われるのか

近年、「なろう系」が苦言を呈されています。
面白くない、つまらない、見飽きた…などと散々な言われ用ですが、何故そのように嫌われているのか。

今回は、なろう系は何故面白くないと言われるのかを考察する記事です。

1.設定が薄い

前提として本文章では、「なろう系」と呼ばれるものを以下のように定義します。

1.中世ヨーロッパ風異世界に、現代人が転生する。

2.主人公が人智の及ばぬ力を持つ(与えられる)。

3.主人公は現代人である。

4.神から与えられた力、もしくは現代知識で戦場を蹂躙する展開が存在する。

なろう系の基本的カテゴリは、「異世界ファンタジー」と呼ばれるものであり、フィクションの世界においては最も大きな派閥であります。
「異世界ファンタジー」と呼ばれる物について、最も必要なのは細かで緻密、かつその世界を想像出来るような膨大で分厚い設定だと私は考えています。

近年で言えば、「ダンジョン飯」という作品は素晴らしいと個人的に思います。
「ダンジョン&ドラゴンズ」の設定などをベースとした世界観を構築し、その上で現代風に再解釈された魔物や、その魔物の調理方法を考案するという、「こう来たか!」と唸らされる作品です。
エルフとトールマン(人間)のハーフが決して多くは無い理由や長命種と短命種の確執。ダンジョンはどの様に産まれるのか、などが事細かに設定されており、非常に読み応えがある上に、設定集も読み応えのある作品となっていました。

なろう系を比較すると、この点が非常に貧弱です。基本的に「なろう系なら…」というテンプレートを絶対に外しません。

傲慢な王や傲慢なパーティリーダーが、主人公をムチャクチャな理由で追い出す。
女の子を助けたら、99%惚れて必ず旅に着いてくる。
ゲーム風画面が出てきて、ステータスがムチャクチャ強い。
主人公が貰った力で大無双etc…
「あー、その展開別の作品でも見たわ」と思えてしまうようなストーリー展開を繰り返しています。このテンプレートをなぞりストーリーを展開する為、それに追随する設定が非常に薄っぺらいのです。
恐らくですが、ストーリーの構築方法が
やりたい展開を思いつく→敵キャラを生やす→やりたい展開に、とにかく早く繋げる
という、テンプレをなぞる為に敵キャラや設定を生やしている為、細かく考えてる余裕が無いのでしょう。

例として、よくあるのがステータス画面です。
この手の作品には主人公の強さの明示のためだけにゲームのような画面が出てきて、そこに主人公の強さが出てきます。

ステータス画面(FF7R)より

↑このような画面が出てきて、主人公のイカれた数値(体力99999とか、SSスキルとか)にビックリする…という展開がお決まりです。

明らかにおかしいんですよね。中世ヨーロッパ風の世界観にそぐわない、ゲームのステータス画面。世界に入れ込むには違和感が大きすぎます。
何かしらの理由があり、こちらを納得させるような設定が明示されるなら話は別です。

しかし、「なろう系」は何でこんなものあるの?という問のアンサーとして、そういう魔法があるからと、作者のストーリー展開にとって都合のいい設定がポンと置かれるだけです。

「そういう魔法があるから」で代表的な葬送のフリーレンですら、世界観で「服が透ける」だの「服が洗濯したてになる」などの下らない魔法も大量に存在していると説明されているため、ステータス画面が出てもある程度納得感が出ます。

なろう系の世界観では、ファイヤーやらサンダーやらケアルだのヒールだのと、「ゲーム世界の魔法」の中に急に「謎の便利魔法」が急に出てくると説得感がないという話です。

端的に言えば、設定が全体的に薄すぎます。
設定が薄いので説得力のあるストーリー展開が出来ないのです。
結果、ムチャクチャな理論で解決を講じます。
しかし理論がムチャクチャな為、視聴者や読者は納得がいかない。
このループが起きる事により、単純に読者側が飽きて逃げていくのではないでしょうか。

総括して、作家や主人公にとって都合が良い常識や世界を生やしているので、かなり薄っぺらい設定になりがちです。

「無職転生」とかはその辺がある程度しっかりしてたから、テンプレやっても人気が出たのではないか?と私は考えています。

「設定に対する納得感」というものに力が入っていない。これが面白くないと言われる理由の一つでしょう。


2.シリアスやってる割に緊張感がない

正直、「つまらない」の感想はコレに尽きると思います。
シリアスストーリーにおいてメリハリは重要です
緊張感があるシーン、温和なシーン、楽しいシーン。これらを使い分けることによって、ストーリーにメリハリを作り、読者を楽しませる必要があるわけですね。

銀魂のシリアスシーンはコレが良く出来ていた為、個人的にはかなり好きです。
ギャグパートを温和なシーンだとして、ギャグ補正を一切カットしたシリアスシーンは緊張感も凄まじく、いつ誰が死ぬかもしれないという環境はかなりワクワクさせてくれました。

なろう系はどうでしょうか。
主人公がバカみたいに強いので、緊張感もクソもありません。
勝つことが目に見えて透けてるんです。

「漫画的に、この勝負は勝つだろうなあ」という事はわかっていても、どういう風に勝つのかという所に読者はワクワクを覚えます。
主人公がストレートにトドメを刺すのか?それともライバルキャラが加勢して2人でトドメ?まさか、姿が見えないアイツが…!?という、勝ち方を読ませない作り方が読者側の緊張感を産むのです。

なろう系はコレが出来ていません。
なろう系の「つまらない」原因は
「あー、チート能力でドカンでしょ?はいはい」
と、読者側に悟らせてしまう事です。

最も最悪な事に、「なろう系」と付いてしまった時点で大抵の読者がこう思ってしまうことでしょう。
主人公が苦悩し、悩み、成長し、強くなる。
このプロセスを「チート能力」で思いっきりショートカットをかますため、主人公の人格は成長しません。
では、その成長要素はだれが担うのか。
主人公周りのキャラクターなのです。
主人公では出来ない事を他のキャラクターで演出するしかありません。
しかし、主人公より弱いキャラが追い詰められた所で。敵の強さがわかりにくい為どの程度ヤバいのかというのが掴みづらく、読者側がイマイチ緊張できないのです。

読者側が感情移入し、作品における強さの基準値となるのは何時だって主人公です。
呪術廻戦なら虎杖悠仁が。
ワンピースならモンキー・D・ルフィが。
ドラゴンボールなら孫悟空が。
彼らがその作品における「強さの中央値」になります。
連載期間が長く、主人公周りのキャラクター達全てに感情移入が出来るほど思い入れがあるなら話は別ですが、中央値より下のキャラクターが追い詰められた所で緊張感なんて生まれないんです。
「だってアイツ弱いしなぁ…しょうがなくね?」
そういう風に思わせてしまいます。

例外として、キャラクターのバックボーンが強く掘り下げられ、そのキャラのルーツが全開示された上で、敵が常に伏線が貼られていた因縁の相手とかなら緊張感は生まれます。
書き方にもよりますが、キャラの悔しさがヒシヒシと伝わるからです。
基本的に、なろう系のストーリー構築はその場しのぎの事が多いため、キャラのバックボーンも薄っぺらいのです。
ありがちなのは
「平和な日常から一族惨殺。奴隷にされて敵のボスに弄ばれた」
とかですかね。
これに対して、基本的に主人公がチートでタコ殴りにした後、「コレは君が決着をつけるんだ」とか急に言い出して、そのキャラに最終決定を委ねる展開です。
しかし、そのキャラ自体は何もしてないからカタルシスも何も生まれない。故に緊張感もクソも無いのです。
そんな形で次々重要キャラのバックボーンを消化する為、新展開の度に重要キャラが増えます。
深堀されない内に、うっすいバックボーンが開示されて、ボスキャラを主人公がボコボコにする。
それを見て新キャラが主人公に惚れる。
こんな展開を永遠と繰り返すため、単純に読者が飽きて読まなくなります。
展開がワンパターンなのは、緊張感を最も殺してしまうので、あまりよろしくありません。

しかし、第二の作者とも呼べる「主人公」というキャラクターを、作者は追い詰めようとしません。
鋭過ぎる閃きと、追い詰め切られる前にチート能力で大逆転をするので、主人公が追い詰められるという緊張感もドブに捨てています。

ドラゴンボールですら、孫悟空がボコボコにされたり、「こいつには勝てねぇ!」と悟ったりするシーンが存在しているのに対し、なろう系は主人公が現代知識(ゲーム設定)で閃いて、実行したらぶっ刺さってドッカーン!という2転3転も無いストレートなストーリー構造をしているのです。

チート能力を全部取り上げられて一般人に戻ってしまい、自信を喪失してしまう。しかし、みんなのヒーローとして立ち上がって、一般人の状態で肉壁をやろうとする…みたいな展開があれば話は別なんですけどね。

総括して、ストーリーに緊張感が足りていない
コレが「なろう系が『つまらない』理由」だと私は考えます。


2EX.「マッシュル」について

この話をすると、特に湧いてくるのが
「マッシュル」とか「ワンパンマン」はなろう系。ストーリー構造も殆ど同じ。
「なろう系」にレッテルを貼るな。
みたいな事を言う方が出てきます。
最近もX(旧Twitter)にてそんな話が出てきましたね。

彼らの言い分として、学園編があって、学園内で決闘して…というストーリー構造が「なろう系」に該当するとのこと。
そもそもあのストーリー構造自体が何時、「なろう系」の専売特許になったのか、という疑問は置いておいて、意識はしていると思います。
実際、主人公の異質さを表すにはもってこいの手法ですし、掴みとしては抜群です。
しかし残念なことに、彼らはカテゴライズ的に別の位置に属しているのです。
アレらのカテゴリーは、言うなればギャグファンタジーです。
「主人公が強すぎる」という側面を、ギャグチックに活かしている為、主人公が強くてもストーリーが活きるのです。
「なろう系」と最も違う点は本気で常にシリアスやってるか、否かだと考えられます。

特に「マッシュル」とかはわかりやすいです。

マッシュルより

ガチの戦闘の最中に、ジャーマン・スープレックスを繰り出して相手が急にギャグの顔になる。
地面の上でやられているのに即死しない。
など、かなりギャグ補正の高い点を小さな子供でもわかり易く描写しているため、人気が出ているのです。
国外人気が凄まじいのも、フィジカル納金解決というわかりやすいパターンと、わかりやすいシュールギャグが受けたからと言えます。
(あそこまで話題になっているのは、主題歌の影響が大きいと思いますが…)
小学生なんて、う○こち○こで楽しい時期です。
魔法の世界でフィジカル解決。超脳筋主人公が強すぎる!みたいなギャグを出せば、ぶっ刺さるんですね。

特にわかりやすいのが、周囲のキャラクターの反応でしょう。

基本的に、ぶっ飛んだヤンデレヒロイン以外は主人公が凄いことすると逆にドン引きします
偶にヒロインですらドン引きします。
ここが大きな違いでしょう。明らかに異質な主人公に対して、周囲が常識的反応を示してそのギャップで笑わせる。
コレは異質な主人公と、常識人で成り立っているシュールギャグというものです。
このような手法を取っているため、「なろう系」とは似て非なるものと言えます。
少なくとも、私の定義するなろう系とは違いますね。
その上で、このギャグから急転直下のシリアスが生まれる為、緊迫感が産まれるのです。
普段おちゃらけてる人が急に真面目になると緊迫感が出るのです。
落差とギャップを利用した、良い緊張感の出し方だと私は考えています。

以上のことから、私は以下の作品群を「なろう系」の定義から外しております。

・陰の実力者になりたくて!

・この素晴らしい世界に祝福を!

・この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる

その他、「ギャグ」に該当する作品

「陰の実力者になりたくて!」に関しては、主人公が適当に言ったことが全部本当に存在していて、マッシュルで言う「常識人枠」を視聴者側に任せきっている構造になります。
つまり、「そうはならんやろ…」と楽しむ作品な訳ですね。

ストーリーテンプレートをなぞっているから「なろう系」とはならない為、注意が必要です。


3.主人公の魅力がない

神様から貰ったチート能力で努力パートスキップ
神様から貰ったチート能力で敗北パートスキップ
神様から貰ったチート能力で恋愛パートスキップ
チート能力で一方的にボコボコにして、明らかに「倒されるために生まれてきた敵」をボコボコにする無双を見るだけ。

じゃあ我々読者は、何処に主人公の魅力を感じればいいのでしょう。

我々は作者の作った都合の良いヒロインでは無いので、命を救われた訳でも無ければ顔に魅力を感じたりもしません。

主人公の何処に惹かれて作品を見ればいいのでしょうか。
凡人というキャラつけをされて、何をやるにしてもすっとぼけて、何もかも上手くいく。
「僕の考えたさいきょうのキャラクター」にカタルシスも何も感じません。
主人公というのは、その漫画における顔的な存在であり、その漫画において最も「感情移入」されるキャラクターでなくてはなりません。
なろう系が読者対して提供しているのは「感情移入」ではありません。「同一化」です。

自分をそのキャラだと思い込んで見るための投影先。そんな都合の良い「主人公」。
主人公の個性と言える個性を極力排除し、バックボーンもなるべく排除する。
何をやるにしても消極的な感想が出てきて、これといって強い特徴がない。
なのに力だけはあるから異性からムチャクチャモテるし、色んな人に頼りにされる
自身を「同一化」させるにはもってこいのキャラクターです。

なろう系が流行ってしまったが故、私は声を大にして言いたい。
主人公とは、その作品において最もキャラ付けがされて無くてはなりません。
孫悟空や、ルフィ。ナツ・ドラグニルやコナン。
フリーレンに虎杖悠仁。
彼らには個性があり、性格があり、決して一言では語り切れないバックボーンがあります。
彼らは決して我々が「同一化」させるためだけの舞台装置ではなく、我々が読者として彼らを応援できるキャラクターでなくてはならないのです。

創作物において、最も重要なのは主人公になる事じゃありません。
主人公の冒険を、魅せて楽しませる事です。
楽しそうで、カッコよくて、魅力的に見えるから「主人公になりたい」という欲求が生まれるのです。
然しそれは、我々が主人公に置き換わると成立しなくなる夢。魅力的で、その作品において尊敬されるキャラクターでは無い我々がその立ち位置に居ることは許されないのです。

凡人が力を持ったところで、力を持った凡人にしかなりません。主人公本体に魅力が無いのです。
同一化目的のために、バックボーンや個性を排除したスッカラカンの主人公なんて好きになれるわけがないんです。
主人公を好きになれない漫画なんて面白い訳ないんですよ。
主人公が嫌いな漫画は読んでいてムカついたりします。だから読みたくないんです。
空っぽで好きになれない主人公を、同一化目的以外で読んでいる我々からすれば、面白くないのも当たり前です。

もっと言ってしまえば、主人公に対して付与された属性が、「必要性の無い属性」である事が散見されます。
こんな所で例を上げたくはありませんが、「3.主人公の魅力がない」における、なろう系の代表例を以下の3つとさせていただきます。

「転生したらスライムだった件」

「八男って、それはないでしょう!」

「異世界はスマートフォンと共に」

今回ここで挙げられた作品には、それぞれ特徴があります。
それは、「序盤の舞台装置でしかない設定が付与されている」事です。

例えば、「転生したらスライムだった件」

主人公 リムル

序盤だけスライムボディで色々やってスキル獲得。序盤後半、死んだ女性の体を食って人間体に。以降重要シーンでは人間体で動き続けます。
あとはよくある異世界転生ものです。
スライムである必要性はあったのでしょうか。


例えば、「八男って、それはないでしょう!」

主人公 ヴェンデリン

八男で財産をほとんど引き継げないという可能性が示唆され、財産を沢山引き取るために頑張る。
という動機づけのために開示されたら、この設定はお役御免。
あとはよくある異世界転生ものです。
八男である必要はあったのでしょうか。

例えば「異世界はスマートフォンと共に」

主人公 望月冬夜

死んでしまった主人公に、神様的な人がスマートフォンを与えて転生させます。
そのスマートフォンでは様々な事が出来、まさに万能とも言える力を手に入れ、何故かついでの様に馬鹿みたいな量の魔力が付与されます。
スマートフォン無しで事態の解決をしたりもします。
あとはよくある異世界転生ものです。
スマートフォンである必要はあったのでしょうか。

主人公の属性を客寄せパンダだと思ってませんか
同一化ねらいの特徴もバックボーンも無い主人公で、ストーリーもテンプレートをなぞるだけの作品。
では何処で差別化を図るかと言えば、主人公の属性をぶっ飛んだものにしようと考えたのでしょう。

主人公はスライム!(スライム形態は殆ど使用しなくなる)
主人公は八男!(ただの動機づけ)
主人公はスマートフォンを異世界に持ち込み!(使わないこともある)

なんのためにその設定を作成したんですか?
タイトルで客引きする為ですか?

なろう系に必要なのは、ぶっ飛んだ設定じゃなくて「ストーリーの練り方」と「主人公の魅力」です。突飛な設定なんかじゃありません。

それを使いこなせるならまだしも、ホコリ被った舞台装置に成り果てて居るだけです。せめて使いこなせるようになってから、突飛な設定に手を出すべきだと私は考えています。


4.映像化による弊害

私は先程申した通り、なろう系の提供している物は「感情移入」ではなく「同一化」である。
と言いました。

しかし、コレ自体は悪くない事なのです。
意味がわからないと思うので、言い方を変更します。
小説媒体としてなら1種のアトラクションとして楽しめるため、「同一化」狙い自体は問題は無い
という意味です。

説明しましょう。
まず小説媒体とは挿絵が殆ど存在せず、文章によって構成された物です。
小説は、文章という手掛かりを元に脳内にその世界を思い描く媒体の為、1度頭の中でその世界を構築するプロセスが必要になります。
つまるところ、妄想をしているのです。

妄想でその世界観を脳内で描く為、文章のサポートもあり「同一化」しやすいのです。
文章が稚拙で描写が足りなくても、行間を読み、あらゆる方向から脳内補完が可能です。
幼稚なストーリーであったとしても、妄想内では脳内補完をして緊迫感を産むことが出来ます。

なろう系がここまで大きく成長したのには理由があった訳です。
「妄想型 脳内補完 同一化アトラクション」として大きな人気を馳せ、一大コンテンツとして爆誕した、というのが大体の流れでしょう。

しかし、文章媒体から映像媒体になれば話は別です。
映画や漫画では、行間を読み脳内補完をすると言った行為は基本的にされません。
「物語シリーズ」でのコミカライズでは、作者の圧倒的画力とオリジナル脳内補完の制度が高すぎて好評を得ました。

唐突に出た「アララギブレード」(原作登場無し)

しかし基本的に、コミカライズにおいての脳内補完は殆ど無いです。
行間を読んで保管した部分が後から生えてきた設定と衝突し、原作ブレイクになる可能性があるからです。
そういった側面も含めて、文章をそのまま漫画に起こす事が多いわけですね。
物語シリーズは相当難易度の高いことをやっていたという事です。
アレほんと凄かったな。なんで終わったんだろう。

結果として、脳内補完のできない映像媒体へ稚拙な文章がそのまま出力されてしまうのです。
本来、脳内補完で同一化するはずの主人公が自我を持って動き回ります。
こうなってしまえば、脳内補完のできない部分での粗が目立ち、特徴のない主人公に感情移入はできず、「面白くない」と言われるなろう系の完成です。

私は、「なろう系」と「メディアミックス展開」は噛み合わせが非常に悪いものだと考えています。なろう系は映像化との噛み合わせも悪く、オリジナル展開も作りにくい作品です。

厄介なのが、アニオリや映画版の時です。
オリジナルストーリーを作る際、どうにかして最強キャラクターを弱体化や退場させなくてはなりません。
理由として、その時点での敵の強さをいい塩梅に調整しなければならないからですね。
敵が強すぎると、最終的に最強キャラを出撃させなければならない。
しかし、最強キャラを出撃させるとなると、最初から何で出ないの?となってしまう。
その理由作りの為、どうにかして退場させなくてはならないのです。
しかし、なろう系の場合コレが主人公なので、厄介な訳ですね。
主人公不在で映画を進める訳にも行かず、結果敵が雑魚に落ち着き、設定と衝突する形で不可解な描写を多数残しつつストーリーが進む。

と言った事があるように、「なろう系」はメディアミックスがトコトン向かない作品です。
現状アニメ化している作品の数割が「なろう系」に侵食されていますが、現状と向き不向きに関して正直どうなんだろう…と考えています。

そもそも向いてないジャンルを映像化した所で、「面白くない」となるのは当たり前なのでは無いかと思いました。


5.総括

私が考える「なろう系が面白くない」と言われる理由は、以下の4つです。

・設定が薄く、異世界ファンタジーの面白さと合致していない

・ストーリーにメリハリがなく、主人公に困難が訪れないため、緊張感がない

・主人公のバックボーンが余りに足りていない

・そもそもメディアミックス展開に向いてない

これらの対抗策として、私は以下のように考えます。
人気になり、アニメ化やコミカライズを目指すのであれば、前提として「困難を主人公に訪れさせ、成長を描くこと」とが必須です。
創作において、面白いものを作るためには必要な事だと考えてください。
主人公を強くしすぎると、後々のストーリー展開にも苦労します。
程よくに抑えた方がよいでしょう。
設定もストーリーを書く前に、ある程度の世界観を固めるべきです。
魔法はどう言ったもので、魔力とは何で、どういう国で、どういうものが食べられていて…と、転生した主人公ではなく、その世界に住む一般モブだったらと言う事に重きを置いて考えたら大まかな世界観は作れるかと考えます。

正直、なろう系に関しては私自身がかなり苦手意識もあり、本記事を書くに当たって有名所を追っかけるのは本当に苦痛でした。
無職転生とかリゼロとかは楽しんで見れたんですけど、盾の勇者がギリギリセーフで、転生したらスライムだった件が本気でアウトって感じです。

異世界はスマートフォンと共に。とか拷問でしたねアレ。
「まるで将棋だな!」とか言い始めた所でコイツ意味わかんねェ見るのやめてェってなっちゃいました。

自分語りはこの辺にさせていただきます。
長くなり申し訳ありません。
以上にて、本記事を締めくくらせていただきます。
ここまでの読了、ありがとうございました。

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