見出し画像

忘れられない誕生日。

私の誕生日、3/27なんですけどね。
まるで同じ生年月日の有名人がマライア・キャリー。全然違うな。
誕生日だけだと、B'zの松本孝弘さんが一緒です。嬉しい。

50歳になりました。
まあ、別に49歳の延長に過ぎないんですが、さすがにこの節目の年にこの新型コロコロ(Naming by 寺岡佐和子さん)の騒動、忘れらんねぇよ、って感じです。

過去、何回か忘れられない誕生日ってのはあるんですが、最大の嬉しくてそして哀しい誕生日は2012.3.27です。

浅草、待乳山の麓で平成中村座の7カ月ロングランの真っ最中でした。六代目中村勘九郎襲名披露興行、演舞場に続いての二ヶ月目はこの中村座で。海老蔵もつきあって、勘三郎さんも前年からの突発性難聴もようやく完全回復に近づいて調子も上がってきていて。
しかも54年ぶりに船渡御という浅草神社の宮神輿を船で隅田川を渡御させる行事の復活まで(あぁ、勘三郎さんだけじゃなく、その船渡御ほか行事一切を仕切ってた文扇堂の荒井修さんももういらっしゃらないんだな…)。明るいニュースに満ちた、特別な月でした。

勘三郎さんは昼の部は「舞鶴雪月花」の雪達磨、夜の部は「吃又」の女房おとくの二役。
雪達磨はお父様も手掛けた、ユーモラスでありながらペーソスに満ちた、可愛らしい役でした。

その三月興行の千龝楽が27日。
そう、私の誕生日でした。

この中村座ロングランの間はなかなか体調の整わない勘三郎さんにお願いごとはしづらかったのですが、この頃にはかなり回復してらしたのもあって、番頭さんを通じてサインをお願いすることは可能でした。

できれば勘三郎さん、勘九郎さん、七之助さんそれぞれにお願いしたかったのでブック型の色紙を用意して、勘三郎さんには(勘九郎さんと七之助さんには楽屋口でお待ちしていれば自分でお願いできるので)おふたりの分のスペースは空けておいてください、誕生日の日付と名前もできたら入れてくださいとお願いごとを手紙に書いて、誕生日の数日前にお預け。

いつもだと朝頼むと帰りにはもらえたのですが(勘三郎さんはせっかちでした・笑)、このときはなかなか戻ってこず、千龝楽に。
襲名興行だし忙しいから仕方ないか、四月に入ってもいいや〜なんて思っていたら、千龝楽の昼の部が終わったところで番頭さんからはい、と色紙を渡されまして。

ほっとしつつ開いた中身がこれでした。

…!?

って、これ、雪達磨のキスマークやんけーーー!

ギャーーーー!

これを中村座の通路で開いた私がどれほど慌てたかご想像ください。
よくまあ悲鳴を上げなかったもんです(笑)

隣のページにおめでとうのメッセージ。
更に次のページにサイン。

いやだから、勘九郎さんと七之助さんのページだってばよーー!(笑)

中村屋ってね、こういう人だったんですよ。

これを見て私がビックリして腰抜かすだろうってワクワクしてたんだと思います。人が驚く様子を見るのがほんと好きな人でした。

このあと、テンション崩壊したまま、最前列で仁左衛門さんと勘三郎さん渾身の吃又を見なきゃいけなかった私の気持ちも察してください。いろいろ大変でしたよ(笑)

記念にこの日のチケットと舞台写真を貼って大切にしまってあります。
これは死んだら棺に入れてもらうつもりです。大切に持っていく。向こうで勘三郎さんに見せながら、あのあと大変だったんですから!って文句を言うんだ。

これが、最後にいただいた誕生日おめでとう、のメッセージです。
この二ヶ月後には食道がんが見つかり、さらに半年後には空へ旅立ってしまいました。

思い出すたびに楽しくて嬉しくて、そして哀しくなる、そんな誕生日の思い出です。

船渡御の日には雪達磨の姿で出番を待ちながら、中村座の外へ出てきてらっしゃいました。何とか渡御が出番に間に合って、隅田川を渡る宮神輿を一心に拝んでらした。
その姿もカメラに収めてますが、あまりに真剣なお姿で、それを誰かに見せるのが憚られるほどでした。

「舞鶴雪月花」の雪達磨は、人に恋をしてしまう、でもそれは実らず、やがて昇る朝日に溶けていってしまいます。
その恋に右往左往する様や、立ち上がろうとしても溶けた身体がぐんにゃりする様が滑稽で笑いを誘うのだけれど、勘三郎さんの雪達磨からは、ペーソスを強く強く感じて、滑稽さよりもその哀しみに毎回泣かされていました。

命の煌き。
必ず終わるものだからこそ強く愛おしむもの。

そういう踊りだったな、と思います。

いつでも全力で舞台を愛し、踊り、演じてらした勘三郎さんは、こんなひとりのファンを驚かせることにも全力でした。何度、驚かされたか。

そのことを懐かしく、淋しく、でもやはり、嬉しい気持ちで思い出しています。

舞鶴雪月花が描く命の儚さと煌めき
https://ameblo.jp/uno0530/entry-11185784301.html

いただいたサポートは私の血肉になっていずれ言葉になって還っていくと思います(いや特に「活動費」とかないから)。でも、そのサポート分をあなたの血肉にしてもらった方がきっといいと思うのでどうぞお気遣いなく。