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東京都庭園美術館に行ってきた日(4月7日)

何気に記憶にある限りでは初なのだけれど、庭園美術館に展示( 20世紀のポスター[図像と文字の風景]―ビジュアルコミュニケーションは可能か? 4月11日まで。)を見に行ってきた。庭園美術館は母が一番好きな美術館だと言っていたり、昨年放送していたドラマ、『名建築で昼食を』、でもロケ地として出てきたりと気にはなっていたが訪問できていなかった美術館。母に連れられて何度かは来たことがあるらしいが、なにも覚えていないのでそれだけ幼いころのことだと思う。それか記憶喪失。旧朝香宮邸ということで、通常の美術館とは異なり(?)、建物全体や内部の調度品などが魅力的であり、特に照明が色々なデザインのものがあり見ていて楽しかった。それと同時に展示物も面白くて、楽しい日だった。個人的には展示物よりも建物のほうが魅力的だったかもしれない。20世紀のポスターとはいっても結構多様で、時代が後になるにつれて、情報が少なめシンプルなポスターから情報多めカラフルなポスターになっていったのな、という印象。印象に残ったポスターが3点ほどある。一つはドイツかな、政党の出したポスター。赤い背景に一人のぼやけた男性がこちら側に向かって手をのばしており、「自由」がなんとか書かれているもの。今の時代の政党の出すポスターというとダサダサな印象があるので、お~かっこいいと思ってしまった。ただ、かっこいいポスターを政治団体が出してしまうことは怖くもあるかもしれない。二つ目の、新館に展示されていたスイスの公共広告は結構印象的だった。それは、地球儀の被り物をしたような人が自分の頭に銃口をむけているポスターで、明示的には書かれていなかったが、安楽死の賛否を問うような(たぶんそのポスターは安楽死に反対する側からの)ポスターだと思われる。さらに、そのポスターと同じ壁に展示がされていた、美容室のポスターも面白かった。美容室のポスターなのに、いや、美容室だからか、ひとりの人の姿が映っているのだけれど、その人の頭部、髪の毛の部分が黒い雲に覆われているもの。とてもかっこいいポスターだった。

ポスターは現代でもあらゆるところで見かけて、商業用のポスター、政党の出すポスター、美術館の企画展紹介のためのポスターなど、ありとあらゆるところにあるのだけれど、普段ポスターをまじまじと観察することはほぼ無く、ポスターを展示物として眺めることは、よく考えると非日常的な体験。必要な情報のみが書かれたシンプルなポスター、色彩豊かなポスター、とカテゴライズできないほど色々なポスターがあったが、結局ポスターとして優れているのはどういうものなのかなと思う。情報過多なポスターほど背景に同化してしまい情報伝達媒体としての役割が果たせないのではと思ったり。一方、シンプルで全くカッコつけていないようなポスター、そのような表現物は、どれも似たようなものになってしまい、結局のところ訴求効果?のようなものが低くなるのでは、とも。しかし、説明文でも似たような趣旨の内容があったが(デザインの民主化?)、シンプルなポスターは、作り手が見る者の意思や感情などを動かそうとする、というよりは、見る者にどう感じるかなどの全てが委ねられている。まあ通常、ポスターは観察するというよりは視界に入るものに過ぎないので、見る者が見たものを自分の中で咀嚼することを期待できない気はする。しかし、情報過多なポスターや表現物があふれている現代で、そういうの、見る側、こちら側が試されている感じのポスターとか展示物、いいな、と思った。

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ふわふわ肉まん。目黒の上空は飛行機の通り道らしく結構飛んでいたが、地上からの距離が結構近いのねと思った。

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