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願いを叶えるルート

ずっと願いが叶わなかったのは
願いを叶えるために本当にやるべきことを
やっていなかったから。

"願いを叶えるためにやるべきことは〜だ"

といった考えが自分の中に出来上がっていて
それ以外のことはやらない。

"願いを叶えるために必要な人やものは
○○な人や××なものだ"

といった考えが自分の中に出来上がっていて
それ以外の人やものは受け入れない。

その姿勢が願いを叶えることを
阻むことになっていたのだ。

私の中にあった考えはあくまでも
願いを叶えた他人を見ることによって
私の中に出来上がった考えにすぎない。

同じような願いを持っていたとしても
願いを叶えるためにやるべきことはや
必要な人やものは必ずしも同じだとは限らない。

願いを叶えるための経路は
一つだけじゃないのだ。

だからこそ同じような願いを叶えた他人が
通った道だけを採用しようとすれば

願いを叶えるために本当にやるべきことや
願いを叶えるために本当に必要な人やものを
見逃してしまうなんてことにもなりかねない。

いつまでも願いが叶わなかったのは
一つの経路だけに固執していたから。

本当は願いを叶えるための道が目の前に
あるにもかかわらず一つの経路だけに
固執することで

"この道は違う"

"この道は嫌だ"

なんて言って無視してはねのけて
自分の考え通りの道が現れてくるのを
待つなんてことをしていたのだ。

そんな道はいつまでもやってこなかった。

だってそれは私が歩むべき道ではなくて
願いを叶えた他人の道でしかなかったのだから。


何かを願っては叶わないということに
絶望して願いを諦める、
ということを何度も繰り返して

願いを叶えるということがまるで自分には
縁のない空想の話のようにしか思えなく
なっていた。

でも本当は願いが叶わなかったのは
一つの経路だけに固執することで

願いを叶えるために本当にやるべきことを
無視して願いを叶えることとは全く関係のない
ことをやったり

"必要な人やものはいつやって来るのだろう"

と言いながら既に目の前に存在している
願いを叶えるために必要な人やものを無視して
はねのけたりする

なんてことをやっていたから。

人には人の、自分には自分の、
選ぶべきものがあって

いつだってそれは必要なタイミングで
やってきているもの。

あとはタイミングよくそれを
選んでいけばいいだけ。

"これは嫌だ、あれじゃないと嫌だ"

そう言って自分の考え通りのものだけを
求めることをやめた時

既に目の前にある自分の選ぶべきものを
選んでいくことができるようになった。

それは一つの経路だけに固執していた時には
不本意だとしか思えないものだったけれど

本当は願いを叶えることに繋がる
宝物のようなものだったんだよ。

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