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とらの葛藤日記〜他者貢献と自己犠牲〜

お察しの方々も、多いかもしれませんが。ここ2ヶ月、躁鬱のような状態を繰り返しています。色々な方々に迷惑をかけ、FBでもネガティブな投稿が多く嫌な気持ちにさせてしまっている方も多いと思います。
しかし、この2ヶ月本当に多くの気づきを得て。自分の保ち方を感覚的に学んでいます。まだまだ抜け出せたと思って、引き戻されるような日々が続いてますが今後の人生でものすごく大切なものが自分の血肉になっている感覚があります。
そういった葛藤を、「その最中にリアルな言葉に残しておきたい。」そして「このような自分を客観的に『ヘ〜、そんな状態なんだ〜』くらいのスタンスで見ていたい。」という理由でブログに載せていきたいと思います。
良くも悪くも、福本将虎の精神的な部分に踏み込んでるのでちょっと、意味わからない話も書いてしまうと思います。
この経験が、今後の僕の人生の糧になると信じて言葉に残していきます。
読みたかったら、読んでください。

5月11日、「上島 竜平さん急死」というニュースが、テレビでもSNSでも流れ続けていた。
そんなニュースを聞いて、渡辺 裕之さんの訃報も思い出した。

どこか人ごとには感じられなかった。
※僕は、一度も「死にたい」とは思ったことはないので心配はいりません。
こんなに、人のために社会のために活躍しているような人がなぜこんな死に方をしていくのか。
僕が、目指している先に幸せはあるのか。
活躍して多くの人に影響を与えていく人たちが、自分のことを犠牲にして亡くなっていく。
色々考えさせられた。

ここ2ヶ月、躁鬱のような状態が続く。5月11日のニュースを聞いた直後もソレがきた。
「何もしたくない。」「全てを捨て去りたい。」「どこか知らない土地で誰にも会わずに過ごしたい。」そんなことがあたまをグルングルン回る。でも、ソファーで布団をかぶってうなだれても解決策なんて出てきやしない。

でも、ここ2ヶ月で学んだことがある。
そういう時は、頭で考えずに以下のことをすれば徐々に光が見えてくる。
・まず、何も考えない(ちょっと、いけそうなときは瞑想)
・散歩に行く
・夕日を見る
・山や海に行く
・音楽を聴く
・ご飯を食べる
・風呂に浸かる

この日も、僕は散歩に出かけた。
不思議なもので、コンビニまで行こうと思ったら1時間くらい歩き続けてる時がある。なんなら海に向かって走り出してる時もある。
なんか、目的もないのに究極の脱力状態でも体がつき動かされているから面白い。

そんなこんなで僕は「グレゴリオ聖歌」の「キリエ エレイソン 主よ憐れみたまえ」という歌を聞きながら歩いていた。
「グレゴリオ聖歌」を聞いた理由は、僕の母親が「私はグレゴリオ合唱団で前世歌っていた。」などと最近言い出すから。
そして、僕もヨーロッパに行ったことないがなんとなくヨーロッパら辺の雰囲気の教会の中にいた記憶があり、僕の記憶のある教会と母の記憶のある教会が見事に一致した。なので、前世同じ場所にいたのかもという話になっている。

ここ↓
フォントネーのシトー会修道院

そして最近、キリスト教関係の人との出会いやモノの縁が多く、僕に強烈なパスをどんどん出してくるので何かのメッセージだと思っている。
※ここらへんは、スピリチュアルすぎるので割愛します。

話を今に戻す。(あの、ポジティブなツッコミの人みたい「時を戻そう」か)
歩きながら「キリエ エレイソン」をSpotifyで聞いていたが、映像も見たくなったのでYouTubeで動画を見ることにした。
※ちょっと、人によっては怖い?かもしれませんが、読みたい人だけ読んでください笑

なんかの、映画の映像を当てはめてるんだと思った。
わかんないけど、多分「サン・オブ・ゴッド」?
ここに出てくる、イエス・キリストらしき人が強引に男たちに連れてこられてる女性を助けるような演出がある。
おそらく、その女性は何か「よくないこと」をしていて、捕まっている。完全に、1対多数の構図になっている。
そんな中、イエス・キリストらしき人はその人を助けている。そして背中をさする。
※僕の勝手な解釈なので、実際に映画を見ると違うかも
とはいえ、僕はものすごく感じるものがあった。
「どんなに、悪いことをした人でも手を差し伸べる。心の中で許す。自分にどんなに酷いことをした人でも、困っていれば協力する。」
僕って、そんな人というかそんな状態の自分が好きだと思った。
僕は、先天的か後天的かわからないがほとんど人にイラッとしない。学校や組織の中でもその人の善の部分を諦めなかった記憶がある。
たとえ、自分が貧しくてもそう生きると幸せな気がするとおもた。
「他者に貢献する「他者貢献」の気持ちが自分を幸せにするんだ。」と

思い返すと、最近の仕事やプライベートは「自己実現」ばかり考えて自分のためにやってたな。それだからたくさん迷惑もかけてどんどん悲しくなっていってたなと思った。

そして、5月11日のニュースを思い出す。とはいえ、人を助け、周りの人に尽くしても自己犠牲で自ら命を絶つ人がいる。
※多少のずれはあるけど、僕の感情の変化で解釈していった
「他者貢献」をググると一番上にこんな言葉が出てきた。

他者貢献は大事でも、行き過ぎた自己犠牲は危ない。
ものすごくこのバランスが難しい。
とはいえ、バランスを保つより傷を負いながらブレイクスルーしていく方が自分は後悔しない気もしている。
アレのおかげで、そんなことにたどり着いた夜だった。


次のブログは、昨日数年ぶりに先祖のお墓参りに行ったら入口が「立ち位置禁止」だったけど、突破していった話を書こうかな〜。

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