月を照らす太陽ポジションを研究する社会人大学院生の人
昔ウミウシの写真を撮るって言う人のインタビューがあって。わりと年齢いってから、海側に住むようになって、それで、すぐ自転車でいけるってなって、海中でウミウシをとるんだという話で。それは、「一番最近楽しいことはなんですか?」って質問をした時の答えだったんだけど。
なるほどそういう趣味もあるもんなんだな、と小生、私、qbcは思いました。
そんなことを思いつつ。
海の中で、体をぐるぐるゆっくり回転ドリルさせながらウミウシを撮っていると。シュノーケルで。そのとき自分だけの世界になるって言っていたかな。それは私の知らない世界で、私、qbc、栗林の知らない世界で。
思うんだよね、他人の中に知らない世界を見たとき、自分の中にもまた新しい世界が生まれるって。ジーンは自分とは違うものを入れて生物多様性を生むじゃない? こういう構造、こういうオーガニックって、つまりはミームもそうで。
他人の中に知らない世界で、自分の中に新しい一面が生まれるのなら、それはミームの創造で。二人だけのサードプレイス、無名人インタビューという空間はミームを意図的に生み出す場所になってるんじゃないのかな、なっているといいな、とか。
と思う2024年5月11日9時6分に書く無名人インタビュー759回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは すなが さんです!
年齢:20代後半
性別:女性
職業:システムエンジニア&WEBデザイナー
オンライン名刺:https://my.prairie.cards/u/erisunaga
X:https://twitter.com/eri_sunaga
Bluesky: https://bsky.app/profile/eri-sunaga.com
現在:気になり方が人と違うくて。
ポンプ:今は何をされている方ですか。
すなが:肩書きはいろいろあって。
まず何だろう、平日の日中は会社員のシステムエンジニアしてます。
平日の夜とか土日とかのいわゆるビジネスタイム以外の時間帯は、フリーのWebデザイナーと大学院生をしてます。
ポンプ:大学院ではどんな勉強をされてますか。
すなが:今修士課程にいるんですけど、修士課程実は2回目で。
最初の修士課程はどっちかっていうと成人教育みたいな、生涯学習とかやってたんですけど、今2回目はどっちかっていうと何だろ、組織作りというか経営的なところに興味があります。
ポンプ:院生になられてどれくらいになりますか。
すなが:院生になって実は1年経つんですけど、去年の秋からちょっとなんだろう、いろいろあって休学していて。ちょっと余裕を持って1年休学ってことにしたんで、今年の秋から1年生の後半としてもう一回再開する感じです。
ポンプ:経営を研究している手応えはどんな感じですか。
すなが:経営に舵を切ったのが、2回目入るぞっていうタイミングではなくて。
2回目入ってから、1年生の前半をやっていく中でいろいろ考えてみて経営か?みたいな感じで舵を切ったので、まだ経営についてはまだ知識が浅いというか、まだまだ勉強することがあるんでやりがいはすごく感じてます。
ポンプ:土日はどんなことされてるんですか。
すなが:そうですね、あんまり元々アウトドア派ではなくて。家ではもう寝るだけ寝て、何だろう。体力の回復に努めている感じです。
ポンプ:どんな場面で体力使いますか。
すなが:そうですね、私。なんか、一応精神疾患を持ってて。
それの波の都合でなんか、消耗しちゃうときもあれば、今週はそうでもなかったなってときもあれば。いろいろなんですよね。
なので特定の活動がっていうよりかは自分の機嫌がどうなってるかで消耗具合が変わるというか。
ポンプ:重いときはどんな過ごし方になりますか。
すなが:すごく一番重いときは、もう土日2日とも丸一日寝て、何もしなかったなって余計に落ち込んで。んー・・みたいな感じになってるのが一番重いとき。
比較的ちょっとなんだろう、ちょっと疲れてるけど、まだ余裕あるぐらいだったら食材の買い出しに行ったりとか、散歩程度のあれをしたりとか。
あとは、いろいろ話広がりますけど、ダイヤモンドアートっていう、なんかすごいちっちゃなプラスチックの粒を並べて貼り付けてって、モザイクアートみたいなのを作るのがあるんですよ。
それを結構やるのが好きで、それをゴソゴソやってたりはします。モザイクアートにたどり着いたのって割と最近なんですけど。
なんか、貼り付けていけばいつか出来上がるっていうのが結構自分の中では高評価で。
今まで研究活動をしてくる中で、研究活動ってなんか終わりが見えないので、今日これだけやったら明日ちょっと楽できるとかって話でもないので。そういうところで、何かちょっと疲れちゃったってのもあって休学してたりもあったんですけど。
その中で、何かこれはちょっといっぱい頑張ればちょっと楽できるしとかスケジュールが立てやすいっていうか。
面積あたりで、1日これだけやってけば何日後には出来上がるだろうみたいなのが、すごく見通しが立てやすいとかっていうので、あ、これいいなと思って。はまってます。
ポンプ:ダイヤモンドアート以外のアーティスト活動はありますか。
すなが:元々私、中学の頃からオーケストラで楽器をやってて、フルートを吹いてたんですけど。部活は趣味とはまた違うにしても、大学入っても社会人になってからも続けてたんですけど、それが研究に化けちゃったんですよ。
ポンプ:化けちゃったというのは。
すなが:成人教育っていうテーマでやってたってさっき話したんですけど、社会人にとっての趣味って何だろう、みたいなところが私の研究の発端で。アマチュア活動みたいなところが結構フィールドだったんですね。自分もアマチュアとして楽器吹くし。
同じような立場の人にインタビューしたりとかしてたんですけど、そうやってると自分は趣味でやってるはずなのに研究とかぶっちゃって、休むというかなんだろう。ストレス発散じゃないにしても何か、なんだろうな。非日常を楽しむために楽器をやってるはずなのに、研究って積み重ねていくものだから、学生って身分も考えると(研究は)日常だから、何だこれみたいな感じになっちゃって。
それでなんか、今ちょっと楽器はお休みしてるような状況なんですけど。
アーティスティックなっていうところでいくとずっと長いこと音楽やってますよってのはあって。ただ最近ちょっとなんか研究と趣味との境界線がわかんなくなってお休みしてます。
ポンプ:終わりの見えない研究を続けられているバイタリティはどこから来ていると思いますか。
すなが:単純に多分、なんだろうな。興味が向いてるんでしょうね。
なんかこう解明したいってほど、すごいなんか高い次元のものじゃないにしても、何かちょっと気になるなって。
その気になるなレベルがなんかちょっと、気になるけど放っておこうっていうくらいの軽いものじゃなくて。
気になるからちょっとウズウズしちゃうんだよねくらいのなんか、気になり方が人と違うくて。
気になっててウズウズしてるのがどうやったらこうなんだろう、収めるじゃないにしても落ち着くも違う気がしますけど。
じゃどうしたらそのウズウズがいい感じに収まっていくのかって考えたときに、解明していくことだろうってなって修士課程にいるので。
ポンプ:ウズウズ感が人と違うと認識した場面はどこでありましたか。
すなが:なんか私が最初にアマチュアのオーケストラをちょっと研究したいなってなったのって大学2年のときだったんですけど。
その大学2年のときに初めて社会人オーケストラに参加したときに何か、社会人って思ってるより楽しそうだな、っていうので始まったんです。っていう経験が自分の中ではあったから。
なんかみんなもそれなりに何かあって研究テーマ決めるんだろうと思ってたら、3年生の時にゼミ配属だったんですけど。ゼミ入って最初の講義があったときに(他の生徒は)研究テーマさっぱりわかりませんみたいな。
何しに来たんだお前は・・と思っちゃって。嘘だろうと思って。
なんか研究室も結構人気の研究室だったので、面接とかあったんですよ。そこで(他の生徒は)何を喋ったんだろうと思って。聞かなかったんですけど。何を喋って入ってきたんだこの人は、と思っちゃって。
私は「これこれこういうことがあって社会人めっちゃ楽しそうでちょっとこれ研究したいんです」みたいなことをすごくバァーって喋った記憶があるんですけど。
(一方で他の生徒に対して)なんなんだろうこの人は、と思って。しかもそれは1人じゃなくてもうみんなそうだったんで。
逆にそれが普通なんだろうなとは思ったんですけど。
うちの大学の中では割と研究テーマとかっていうのを明確に持たないままとりあえずゼミに配属になって、その配属された中で何となく決めてくっていうのが多分、一般的というか普通の流れなんだろうなと思いつつ。
私が多分ちょっとおかしかったというか、おかしいっていうかなんかちょっと異色の感じだったっていうか。
なので私はまた話が広がっちゃうんですけど大学2年のときも休学してるんですよ。
それは何でかっていうと、なんかいろんなことをやる学部だったんで、何やっていいかわかんなくて。なんかあれもこれもみたいな学部だったので。
何か講義とってるとあれもこれもなっちゃうし、でも自分の中の軸っていうのがないから、なんかあれもこれもやって何かとっ散らかっちゃって終わりになるのがすごく嫌で。で、なんかちょっと足元を固めようと思って休学したのがあったんですけど。
多分その時点でおかしいんですよ多分、その学部の中では。
何かとっ散らかって、もみくちゃになっていってその中で何となく自分は何か法律やりたいなとか情報系やりたいなとか経営学やりたいなみたいな、何となく決めてっていいんだよ、みたいなところだったのを私はなんとなくはちょっと嫌だって言って。ちょっと足踏みしてた感じだったので。
ちょっとなんかちょっと周りと違かったのかなっていう感じはしますね。
ポンプ:休学の間って具体的にはどんなことされてたんですか。
すなが:自分が部活で長いことオーケストラやってたってのもあって、なんかそういう自分の趣味、部活とかっていうところを研究テーマにできたら面白いかなと思って。
それこそたどり着いたところからいっちゃうと社会人オーケストラに参加してみたりとか。
あと他にやってたのは何か美術館行って、とりあえず美術館行って。
作家さんのコメント見て、なるほどこういう感性があるのか、とかやってましたね。
あとは結構バイトもしっかりやってる感じで。バイトやって。
土日は大学が群馬だったんで、東京に出ていって、美術館だったり社会人オーケストラだったりやってたんで。交通費を平日で稼いで、土日に出ていってワーッといろいろ回ってみて。みたいな感じでやってました。
ポンプ:Webデザイナーは具体的にどんなお仕事されてるんですか。
すなが:Webデザイナーは、最近はどっちかっていうとWebってつけるようにしてるんですけど、ちょっと前まではただのデザイナーで。
チラシとか、それこそ演奏会のフライヤーとかパンフレットとかも作ってたりとか。
あとはホームページ作りますとか、ランディングページ作りますみたいな感じでいろいろやってたんですけど、なんかそれもとっ散らかるのが嫌でWebってつけてて。
言われれば作るけど、基本はWebですっていうことにしてます。
ポンプ:システムエンジニアとの掛け持ちはいつごろからですか。
すなが:Webデザイナーの勉強は、社会人2年目のときに休職しちゃって。
そのときにちょっと何か休職してるのもなーと思って、勉強しようと思ってスクールに入って。
そっから1年ぐらいで確か開業届出しちゃって。
5年くらいやってるのかな。細々とですけどねこっちは。
ポンプ:結構向いてるなっていう感じはあるんですか。
すなが:なんだろうなウェブデザイナーであれば、割とそのデザイン、見え方を決める人と、いざそれをコーディングしてHTML書き起こしますみたいな人と結構わかれてることも多くて。
そこで齟齬が生まれてちょっと揉めるみたいなこともあるみたいなんですけど。
私の場合はHTMLとかは、SEだからっていうのもありますけど、書けるし。
一貫して全部自分でできちゃうんで。齟齬ないし。
その分引き継ぎみたいなのもないからスピードもちょっと早くなるんですよね。
ちょっとそこは売りにしてるところです。
ポンプ:業務の幅っていうのは他の方と比べて広いですよね。
すなが:そうですね。
なので逆に自分が一応デザイナーだから、見た目のところを作るのに集中したいってときは、そのさっき言ったようにコーディングの部分を外注さんに出したりとかで調整というか。
余裕があるときは丸っとやるけど依頼が殺到したら、ちょっと分業しますみたいな感じですかね。
ポンプ:SEはどれくらい続けてますか。
すなが:SEは新卒で入った会社が技術者を派遣する会社だったんですけど、そこからやってて。
1年くらい、もうSEやりたくないと思って、ほかの仕事やってた時期もあるんですけど、やっぱりと思って復活して今7年目ですかね。
ポンプ:SEとWebデザイナーのお仕事で共通する部分はありますか。
すなが:んーやっぱ仕様っていうんですかね、どういうものを作りたいかっていうのが決まらないとどうしようもないっていうのは同じかなーと思います。
ポンプ:平日は忙しそうですね。
すなが:今日も丸一日寝てたんで大丈夫です(笑)。
過去:悲しみという感情をどっかに置いてきちゃったことに気づいたんですよ。
ポンプ:ちっちゃい頃どんなご自身でしたか。
すなが:子供だからそりゃそうだって感じはするんですけどめちゃくちゃ素直だったと思いますね。
自分がこうしたいっていうのに対してもうそのままやっちゃうみたいな。なんかもう動きたいと思ったら動くし。
これは多分小学校が、これも何かちょっとおかしな小学校、おかしなっていうかあの、同級生が10人いなかったんですよ。田舎のちっちゃい小学校だったんで。
なのであの教室とかも、40人のクラスとかだともう机と椅子でいっぱいだと思うんですけど。なんかもう3分の2くらい使ってないスペース、みたいな感じだったんで。すぐ椅子から離れるし。すぐ机と椅子から離れちゃうような。友達が算数とかでつまずいてたら、「あ、誰々ちゃーん」みたいな感じでそこ行って、こうだよみたいな。
教えてあげるのはいいことかもしれないけど、なんかその勝手に出歩くなよみたいなところがあったりとか。
そんなような感じでしたね。
ポンプ:勉強は得意でしたか。得意な科目は。
すなが:得意でした。国語・・。
本読むとかが得意というか、好きというか。
何だろう、この年齢だったら、この辺の本を読みましょうみたいなのって多分小学校の頃ってあると思うんですけど。なんかそれを飛び越して上の学年の本読んでたりとかっていうくらいには本を読んでました。
ポンプ:すぐ椅子から離れちゃうっていうのは他の子も子たちもですか。
すなが:割と、椅子に座ってなさいっていう感じではなかったんですよね。
私は勉強得意だったにしても、他の子が得意じゃないにしても、何かちょっとトトトって歩いて行って先生にヘルプ出したりとか。
なんか多分、何だろうな、その場で手を挙げなさいみたいなところが多分多いと思うんですけど。
そうじゃなくてなんかもうその人の目の前に行って、誰さんこうしてほしいです。というような感じだったんで。
なんか私ばっかりが出歩いてるっていうっていう感じではなかったので、浮いてるという感じじゃなかったと思います。
ポンプ:保育園は何人くらいでしたか。
すなが:結構多かったですね、なんだろう。
小学校のクラス10人の半分くらいは同じ幼稚園から上がってきたんですけど。
(幼稚園の人数は)結構多かったと思います。3クラスあったので。
幼稚園の3クラスってどれくらいの規模かちょっとよくわかりませんけど、50人くらいはいたんじゃないかな、ひと学年で。
ポンプ:その頃の思い出は。
すなが:んー何だろうな、元気いっぱいな感じだったと思うんですけど。
元気いっぱいを貫いて他のことに目が行かないような子でした。
「すながちゃんはいつも元気でねー」みたいな。
何か「他のことはよくわからないけど元気なのよとにかく」みたいな感じで。
それ以外にもいろいろあったはずなんですけど。
私も元気いっぱいで何か全部乗り越えちゃったなみたいなところはありますよね。
ま、子供だから元気いっぱいでいいと思うんですけどね。
ポンプ:いろいろあったはずだっていうのは。
すなが:なんだろうな、これは私の推測なんですけど。
私中学に上がったときに、1学年5クラスっていうマンモス中学校、なんだろう地区的にはマンモス中学校に進学するんですけど。
そんときに自分結構人見知りだなみたいなところに直面するんですよね。
なんですけど小学校はもう、なんかもう、何だろう、1年生から6年生まで合わせても50人いないみたいな感じだったんで。
人見知りをしている場合ではなかったというかなんかもう、みんなウェルカムみたいな感じで、ようこそみたいな感じで迎えてくれるから、人見知りを発揮することなく馴染むのが当たり前みたいな感じだったんですけど。
じゃあ幼稚園どうだったかって戻ってみると、50人いたわけだから結構ハードル高かったんじゃないかなと思うんです。あれぇ?みたいな。
で、あんまりない記憶を探ってみても、特定の人としか、友達としか話さなかったし。でもその割には、そのクラスの子の顔と名前が一通り一致してて。
誰くんは何かいつもあそこで何かしているみたいな。でも私は話しかけに行かないみたいな。のがあったりとかはした記憶があるので、何かそういうところで困ったことってなかったのかなどうなんだろうなってのはちょっと気になりますね。
ポンプ:中学での部活は何をされてたんですか。
すなが:部活はオーケストラやってました。
ポンプ:その頃の思い出は。
すなが:1年生で、新入生ですって部活の見学行って、先輩に楽器、なんかこんなのがあるよみたいな、どれやってみる?みたいなのは、大丈夫だったんですよ。
なんですけど、自分が2年生になって、いざ後輩ちゃんを迎えなきゃいけませんみたいになったときに、もう駄目になっちゃって。
なんかせっかく1年間仲良く育ってきたこの空間が、何か3年生はいなくなっちゃうし自分は2年生に上がり1年生という異物を迎えなければならないみたいな感じになっちゃって。
なんかボイコットしてましたね。私は1年生迎えるの無理なんで帰りますとかって言って。
でこれが、なんか2年生のとき1回だけだったら、ちょっと何か3年生になって頑張ったんだなみたいな感じになるんですけど、3年生になってもやっぱり駄目で。
だから私はフルートで隣のパートがオーボエって楽器だったんですけど。
そのオーボエの同級生に「私は帰るからフルートの1年生が来たら2年生のフルートの子となにかしらうまいことやっといてくれ」みたいな感じで言って(自分は)じゃ帰るみたいな。
全然駄目でしたね。
ポンプ:周りと衝突しませんでしたか。
すなが:割とその、小学校の頃から成績が良かったんで、問題児扱いにはならなかったんですよ。
あいつは駄目らしいみたいな。じゃあ(周りが)何とかしとこうみたいな。先生も含め。
で、なんかいざその入部する1年生が決まって、パートも決まって、いざ先輩から教えてあげてねってなったくらいのタイミングで私が戻ってくるわけなんですけど。
初めましてみたいな。2年生のすながです、みたいな感じで戻ってきて。
で、1年生はかなりそのびっくりというか。
なんか突然知らない先輩出てきた、みたいな感じになっちゃうわけじゃないですか。
だからこの人いなかったぞ、みたいな感じになって。
なんかそれでちょっとなんか一時期ビビられるみたいな。なんかこの先輩いたりいなかったりするけどなんなん、みたいなっていうのでちょっとなんかありましたけど、何か2年生のときはそうだったんですけど3年生のときは、なぜかそのキャラでウケて。
可愛がるってちょっと変かもしれないですけど、なんかキャラクターとして何かみんな受け入れてくれてて。パンダみたいな。かわいいね、みたいな感じでした。
ポンプ:ラッキーでしたね。
すなが:ラッキーでした。
ポンプ:授業を受けてるすながさんはどんなキャラでしたか。
すなが:その小学校のときは割となんだ、10人しかいないから、手は積極的にあげるし、なんかさっきみたいに出歩いて教えてあげたりするし、結構アクティブな感じだったんですけど。
やっぱマンモス校になるとやっぱり机と椅子でいっぱいだからそんなわけにもいかず。
みんな思春期に入ってくるから「あの子手上げて何?」みたいなのが出てきたりとかするんですよね。
なので私は別にそれを気にしてあげたりあげなかったりってわけではなかったんですけど。なんかそれも理解できるなみたいな。
だったんで、なんかこう、小学校のときは割と周りを巻き込んでやってく感じだったのが、中学校上がってからは1人で黙々とやる感じになりました。
ポンプ:黙々とやる状況を、詳しく教えてもらえますか。
すなが:宿題はもちろんやってたんですけど。早く終わっちゃった人向けの問題みたいなのがあって。
数学とかだとわりかし出るんですけど。もう早々に教科書の例題は解き終えて、ひたすら応用問題みたいな。
多分小学校のときは「すながちゃん、早く終わったからこれもやってみな」みたいのがなかったので、それで多分出歩いてたんですけど。
ネタを与えられたから何かそれに何か取り組もうみたいな感じでした。
ポンプ:中学でも変わらず勉強が得意だったんですか。
すなが:そうですね、そのマンモス校でも成績が1番から5番くらいの間に入ってるような感じだったんで。
ポンプ:高校生の生活っていかがでしたか。
すなが:高校生はなんだろ、高校2年の5月までは中学の延長みたいな感じだったんですよ。
あの、こう、周りとも仲良くするし成績もトップで、なんかすながさんすげえみたいな感じで人当たりも良くて。
なんか結構いいやつじゃんみたいな感じで高校2年の5月まで行くんですけど。
私演劇部に入って。1年の7月ぐらいから。
それでさらにその地域の演劇スクールみたいなのに通い出すんですよ。それはなぜかって聞かれるとちょっとすごく困るんですけど。行きたかったからみたいな感じになっちゃうんですけど。
で通い出して、それで高校2年の5月にそこのスクールの先生からインプロみたいな何かエチュードみたいなのを出されたときに、トランプのカードの種類が4つあるじゃないですかマークが。
で、ハートは喜びで、スぺードは悲しみで。みたいな感じで。
で、数字の大きさが大きくなるにつれてその感情は大きくなりますみたいな。引いたカードを表現してくださいみたいなインプロをやったんですよ。
そしたら悲しみの結構数字大きいのを引いて、困ったなと思って。
なんかこれまた話が広がるんですけど、当時って母が、結構精神疾患でもう働けなくて。
家で発狂してるみたいな感じだったんですよ。なんでいわゆる今で言うところのヤングケアラーみたいな感じになっていて。
その悲しみという感情をどっかに置いてきちゃったことに気づいたんですよ。
で私にはこれはできないと思って。これは困ったなと思って。
で、結構自分の中では学校の成績もいいからできないっていうのが結構衝撃的で。
あ、できないことがあるんだみたいな。やばいなと思って。
インプロのときは、なんかとりあえず自分の気づきみたいなのをその先生とみんなに話して、「だから私はちょっと今日これは難しいです」みたいな感じで終わったんですけど、その後何かその場はそれで終わったのに、その後の日常生活にすごくその衝撃が尾を引いちゃって。なんか友達全員バッサリサヨナラみたいな感じで。
「すながさんなんか突然変わったね」みたいな感じになっちゃって。
先生からも「すながどうした」みたいな。
どうしたって聞くのもはばかられるみたいな感じで。
なんかすごい様子見期間みたいのがあって。
多分5月から秋ぐらいまで結構引きずって。
でそこから元に戻ることはなく、そこから第2のすながが始まったみたいな感じで。
今みたいな、今みたいなって言ってもちょっとあんまり伝わらないと思うんですけど。
天真爛漫なすながちゃんから、ちょっとひねくれてるすながに変わったみたいな。
ポンプ:お母さんはどれくらい前から発症してたんですか。
すなが:私が小学校の五、六年生ぐらいのときには症状が結構出てて。
私3人兄弟の一番上で、弟が四つ下にいるんですけど、父が言うにはその弟を妊娠してるときから結構パニック障害みたいな感じでいろいろあったらしくて。
なので歴はすごく長いみたいなんですけど、いよいよ駄目になっちゃったのが私が小学校高学年の頃。
とはいえ、(母は)家事は何かとやってたし、なんかすごい自分のこだわりというか料理は絶対やるからみたいなのもあったし。
それもちょっと危ないっちゃ危ないですけどあったし。
なんか時々入院する病気の人くらいの認識から始まって、だんだんなんかちょっと自分も思春期で結構多感な時期だし。
なんかこう、反抗期でちょっと言ってみた言葉がちょっとぐっさり刺さっちゃって、なんか自傷行為に走らせちゃったりとかっていうのがあって結構いろいろありましたね。
ポンプ:その後大学に行かれたんですか。
すなが:はい。大学行ったんですけど、演劇はやめました。演劇は高1から始めて、高3まで演劇スクールみたいなところと演劇部と並行して続けてて。なんかもう、何だろうな。
そもそも私、セリフが覚えられなくて。
すごいニュアンスで演技してる感じで。周りにひたすら迷惑をかけるんです。
なのでちょっとなんかやめとこうと思って蓋した感じです。
なんかそれらしいことは言ってるんだけど、なんかちょっとタイミング前後したりとか。それだったらまだかわいいにしても、なんかオチがこうなるからそうなればいいや、みたいな感じになっちゃってて。
他全部忘れたからオチにたどり着けば何でもいいやみたいな感じになっちゃって。
「おおすながアドリブがぁ・・」みたいな感じになったりとかするらしいので。
ポンプ:演劇以外の高校生、大学生はどんなすながさんでしたか。
すなが:一応その中学からやってたオーケストラは演劇と並行っていうちょっとなかなかハードな感じではあるんですけどオーケストラ、高校でも続けてて。
で、なんか最初はオケはやらずに演劇でやってこうかなって思ってたらなんかオケで人が足りなくて。楽器吹ける人ちょっと探してるみたいな。
ってとこから拾われて。
でなんかちょっとその演劇の大会の時期との兼ね合いとかいろいろ考慮してもらいながら続けて、オーケストラはそのまま大学でもサークルに入って、続けてはいたんですけど。でもサークルは2年生の半ばで辞めちゃうんですよね。
ポンプ:それはなぜやめちゃったんですか。
すなが:レベル感というか、結構飲みサーだったってのもあって。
何か、飲みサーであることは悪いとは思わないですよ。
なんかやることやって飲んでるんだったらいいんですけどやることやらずに飲んでる感じだったんで。
ちょっとなんか自分は結構しっかり曲を作りたいと思ってるし、大学生ならではの演奏をちゃんとしたいと思ってるのに、なんかこの人たちは多分練習してることになんか満足しちゃうんですよね、きっと。
練習に満足しちゃって、楽しかったなーじゃあ飲もうぜ、みたいな。
いやいやいや反省会しようよみたいな。反省会は別に私もしたくないですけど。
なんだろ、ちょっと何か振り返る時間を作ろうぜみたいな感じでちょっといろいろと価値観の違いっていうんですかねなんか思ってしまうところがあって。
それでなんか大学生同士は駄目だったけど大人相手だったらできるかもしれないと思って社会人オケに行くっていう。
未来:その人にとっては少なくとも心地いいっていうのが、その人がこうなんだろう、キラキラする要因であって。
ポンプ:これから死というタイミングまでどんなイメージを持たれてますか。
すなが:イメージというか願望にはなりますけど。アイドルでいうところの人気がすごい高いところで死にたいと思ってます。
ポンプ:人気というのは。
すなが:何かその自分の、なんだろう満足度というか。
例えば、多分私はこれがあるから当分死なないと思ってるのは、研究活動をしていて、いずれは博士課程に行きたいと思っていて。
でその博士課程で、これはあんまり研究者としては(客観的に見たときに)全然人気絶頂ではないんですけど、博士課程で博論書いて、あー書ききったってなって死にたいみたいな。
博論書いて死んじゃったら研究者生活始まらないんで、死ぬなって話ではあるんですけど。
私の中でのピークが今そこに設定されてるんで。
仕事ではそういうイメージがなくて、私の中では大学院生がトップで、次点が社会人なんで。なのでその社会人として例えば何か部下を持って云々かんぬんとかっていう欲望は全くなくて。
大学院に行くお金がもらえれば何でもいいみたいな。
ポンプ:その研究の対象は経営に関することですか。
すなが:そうですね、経営っていってもいろいろありますけど、なんだろうなアマチュアの団体がどのような組織になっていて。
例えばその組織の、いわゆる構造的なところもそうだけれども、その対人関係がどういうふうに成り立っていて、それが小さい対人関係からその円が大きくなって、全体の対人関係みたいなのもあって、それがどういうふうになっていくとアマチュアの団体は成功するのかみたいな感じのところに今興味があるんで。あんまり成功失敗っていう言い方はよくないと思うんですけど。ただ、うまくいかなかった事例を何個か知ってるので。
それは何だろう、活動の方針そのものがアウトだったのか、でも基本的にアマチュアの団体って、対人関係が原因で駄目になることが多いっていうのが経験上わかっているので、何かその対人関係をどう築いていくのがいいんだろうねっていうのをマニュアル化したいなっていう思いがあって。
ポンプ:なぜそこに興味を持つようになったんですか。
すなが:まず自分も社会人になったんで土俵は同じになったんですけど、その、大学2年生だった私が初めて社会人オケに入ったときに、ここの社会人の人たちめっちゃキラキラしてるじゃん。みたいなっていうところがやっぱ根底にあって。
なんかその社会人になるって当時の私は就活も大変そうだし社会人はなんか楽しそうじゃないというか。なんかその自分の親とか見ててもやっぱ田舎だからってのもあると思うんですけど、子育てやら介護やらに忙殺されてて。
何か自分のやりたいことやってないイメージがすごく強くあったんですけど。
その社会人オケの人たちって、まあ独身が多いってのは多分あると思うんですけど。
その自分がやりたい音楽を全力で突き詰めていってる感じとかがすごくかっこいいなとかっていうのがあって。
こんなに社会人ってキラキラするんだへぇーみたいなところの驚きが一番最初にあったので。そこから続けて。
当時は大学生と社会人っていう関係だったにしても、今もその年齢差は変わらないわけなんで。
社会人n年目の私と、社会人(n+10)年目のあの人みたいな感じで、あの人いつもキラキラしてんなーみたいな。オケやってるときすごいキラキラだなーみたいな。
っていうので、その関係性が変わってないので。
何かその人だけの努力でキラキラできてるわけではないと思うので。
なんか周りがどういうことになってるからこの人は輝けているんだろうみたいなところはすごく興味があります。
ポンプ:どんな環境だとキラキラできるのか、という考察においてすながさんなりに仮説を立てられたりはされているんですか。
すなが:何か仮説っていうにはまだ拙いですけど。すごく当たり前のことにはなっちゃうんですけど。
やっぱ心地いいっていうのが大事だと思うんですよね。
全ての人が心地いいが多分一番理想なんですけど。
そうはちょっと難しいにしても、その人にとっては少なくとも心地いいっていうのが、その人がキラキラする要因であって。
キラキラしてる人ってなんか太陽みたいな感じかと思いきや、案外月だったりするんですよね。
なんか、周りが太陽になってくれててその恩恵を受けてキラキラしてるみたいな。
案外月っぽい輝き方をしてるんじゃないかなっていうのは思うところはあって。
周りの光を与えてくれるいろんな要因を整えていって、良い環境を作るってことが大事なんじゃないかなとは思います。
ポンプ:そこから研究を深めていくとなると、どういう進め方になりますか。
すなが:まずはその経営からっていう視点がまだ始まったばっかりなので。
今は、音楽活動と経営学を絡めた研究者さんが何人かいるんですけど、その人たちの本を読んでます、オーケストラの経営学とか。
なんかオーケストラって結構、楽器の種類もめちゃくちゃあるし、人もめちゃくちゃいるし指揮者がいてみたいな感じなんで。経営学と結構、絡みやすいみたいなんですよね、なんかちょっと話を聞いてると。本がいろいろ出てる。ちょっとその本で勉強してみたりだとか。
あとは、私ずっとオケだオケだだって言ってたんですけど、オーケストラだけじゃなくて合唱もやってたりとかもするので。
合唱団の経営学に置き換えたらどうなるんだろうなみたいなことを深めていきたいといった感じです。
ポンプ:他に成し遂げたいことはありますか。
すなが:今なんか本当に研究ばっかりになっちゃってるんで、なんか良くも悪くもっていうか、多分どっちかっていうと悪いんですけど、研究以外で何かありますかとかって聞かれると結構悩むんですよね。
研究はあれもやりたいこれもやりたいっていろいろあるんですけど、他に例えば私生活だったらそうだな、メロンフラペチーノが飲みたいみたいな。感じになっちゃうんですよね。
ポンプ:死ぬまでの理想のピークのタイミングがずれちゃった場合、例えば博論が先に書けちゃった場合はどうしますか。
すなが:そうですね、博論が今の時点で一番大きな壁なので。その先ってまた、いろいろまだ夢みたいなところはあるんですけど。
仕事をどうするのか問題はちょっとあると思ってて。
博士とったけど、大学勤める?みたいな。
でなんかその、大学勤めるのも結構狭き門だとかっていう人もいれば、いやそんなのちょいのちょいだっていう人もいればどっちなんだみたいな感じなんですけど。
なんだろう場所を選ばなければ、海外はちょっと、私は自信がないので嫌ですけど。
場所を選ばなければ引く手あまただっていうので、ただ例えば関東で働きたいとかって言い出しちゃうとちょっと結構狭き門になっちゃったりとか、はするらしいですけど。
そうですね、博士とったら、システムエンジニアどうするみたいな。
今システムエンジニアの仕事は何か学校の学費を稼ぐためにやってる仕事みたいな感じなんで。その考えでいくのであれば博論書けたら、何かその辺やりたい、やりたいことっていうか、研究と仕事を一本化しないみたいな、話にはなってくるような気はするんですよね。
それはまあいい縁があればっていう気はしますけど。
ポンプ:縁があれば日本のどこでもいいですか。
すなが:私はあんまり良くはなくて。今、私は大阪に住んでるんですけど。出身は栃木で大学は群馬で。就職してから横浜にいてみたいな感じだったんで。横浜から大阪に飛んでこなきゃいけなくなったから飛んできてっていうのが1年前ぐらいの話で。なのであんまりこだわりはないですよね。
ただ、いざそのときに自分が、いま独身ですけど例えば、パートナーがいますみたいになったときにパートナーを引き連れて行くのか、単身赴任で行くのかみたいな話になってきちゃうので。
そこの兼ね合いは多分出てくる可能性はあるなと思ってます。
ポンプ:国内で行ってみたいところはありますか。
すなが:北陸。何となく。何となくっていうのは、なんか北陸って別に今大阪から全然遠くないので。電車通ってるし行けばいいと思うんですけど。
1回目の修士のときのゼミ生に金沢の人がいて、ちょっとそれで興味があるなっていう感じがするだけです。
ポンプ:時間の使い方としてはSEとWEBデザイナーが大きいですか。
すなが:仕事のほうがよっぽど時間はかけてますね。
会社員で週5✖️8時間の40時間普通に働いてるので。それ以外の時間で研究、それ以外の時間だったり土日で研究して。なんなら今休学してるからちょっと抑え気味でみたいな。
ポンプ:将来的には研究にあてる時間をどのくらいにしたいですか。
すなが:院生、学生なのか、職業として研究職に就くのかでまた変わってくると思うんですけど。
までも当面でも、そうだなー・・いいよって言ってもらえるのであれば仕事の割合もちょっと下げて、研究に時間割きたいなとも思いますね。
やっぱその1回目の修士のときの修士論文か書いてるときが一番しんどかったんで。時間がなさすぎて。
自分がぱっといい文言を思いついちゃったときがちょうど仕事中だったりするんで。
なんで今なんだよ!みたいな。
なんで今なんだよってのもあるし、なんで今仕事してんだよ!っていうのもあるし。
すごいなんかもう結構機嫌取りというかメモっとこうねみたいなところとか、結構苦労したので。
研究の方の割合を上げていきたいって思いはあります。
ポンプ:仕事中に思いついたことはどうやってメモしてますか。
すなが:そうですねメモを取るか、あとは何だ、メモも手でメモを取る場合もあるし、アプリの方のメモ帳にパソコンでも頑張って書くときもあるし。
ポンプ:最後に言い残したこと何かありますか。
すなが:言い残しとはちょっと違うんですけど話しそびれてることはあって。
話しそびれてはいないというかちらっと話してるんですけど。
私、精神疾患を持ってますって話をちらっとしてるじゃないですか。
それ母と同じ病気で。いわゆる躁鬱病って言われてるところなんですけど。
最近っていうかこれ、診断ついてから3年くらい経ってて。障害者手帳も取って。
日々いろんな工夫をして生きてますみたいなところを、そういえば一切話さずに終わったなと思ってます。
私、なんかてっきりそっちに寄っちゃうのかなっていうのがちょっと懸念としてあったんで。
私の日常とかって何かApple Watchでちょっとなんだろう気分の波のログを取ったりだとか睡眠記録を取ったりだとかとかっていう、なんかすごいくそ真面目な話になっちゃうんで。
あとがき
研究に没頭しているときの眼差しってどんなふうに想像しても、素敵だなと思えます。
おそらく誰もが考えたことがある(と期待している)、
”あれ、いま考えてることってもしかして世界中で(ちょっと確信もてない場合は例えば日本中で)自分しか考えていないんじゃないか・・・”
みたいな、ふとした瞬間があったとして。
研究をする引き金って、そういったものすごく個人的な発想から膨らんでいくのかな、と妄想しています。
そんな妄想から思い出すのは
・本当の発色は何色?
(目はヒトの都合にあわせて色付けているかもしてない説)
とか
・歴史は視認できるかも?
(当時の地球を遠くの星から望遠鏡で眺めたら実は今、昔を見れている説)
とかいう表現に限界を感じて意味不明な感じになってくるのでこのくらいにしときますすいません。
要するにインタビューを通じて刺激をもらったというお話でした。
【インタビュー・編集・あとがき:ポンプ】
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