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人と違ったやつを選択する癖がある50代で起業した人

蒸らしたタオルを美容院で手渡されるんです。美容院で。みなさん、渡されますか?
私ね、世界中の誰もがこの蒸しタオルってやつを、手渡されてたんだと思ってました。
でも違ってました。本当なんですよ。あなたはどっち派ですか?蒸しタオル、シャンプーされたあとに、手渡されてました?
これでね、何をするかっていうと、顔をめっちゃふくんですよ。ぎゃんぎゃんに顔を拭きます。気持ちいいねえ!気持ちいい!実に気持ちがええ!!ってことになるんですが、これがね、実は数年前に判明したんです。コロナで。コロナでなんか渡さなくなったんで。あれ、なんで渡さなくなったの?コロナで。ああ。って状態だったんですが、それでよくよく聞いてみたら、この蒸しタオル、男性向けだけのサービスだったんですわ。なんでって、ほら、女性はお化粧してるしさ。蒸しタオルなんて渡されてなかったんだ、ってことに、私は気づかされました。そうなんですよね。生活が変わると、今まで当たり前だと思っていたものが変わってきたりして、びっくりするんですよね。ほんと、びっくりする。そういう変化って、きっと、加齢による変化でも、起きたりするのでしょう。その変化を、あらかじめ知っておくことには価値がある。老いには価値がある。
ということで今日も今日とて無名人インタビューよろしくお願いいたします!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは阿部光子さんです!

年齢:60代前半
性別:女性
職業:会社経営


現在:失敗もした方がいいっていうのは、私もこれまで生きてきた中で、失敗から学ぶことって、成功よりも多いので、それはやっぱり失敗はした方がいいと思います、人は。


qbc:今何をしている方でしょうか?

阿部光子:私ケアマネージャーなんですね。会社を経営しておりまして、私以外にケアマネジャーが5人います。ちょうど今日が6周年で、今日からっていうか、7年目になる、まだまだ新しい会社です。

qbc:その他はどんなことされてます?

阿部光子:不動産経営もしてます。親の遺産を引き継いで不動産経営してます。

qbc:はい。その他にはどんなことされてます?

阿部光子:その他やってること。そうですね。最近占いを習うようになりまして、占いを習ってて、あとその前2年前から、情報空間の書き換えを習いました。お蔭様で本当に自分の思った通りに生きてるなっていうふうには思います。そんなところですね、今やってるのは。

qbc:何かそれ以外に趣味というか、それ以外の時間で何かやってますかね?

阿部光子:そうですね、例えば雑誌だとか、あとはFacebookで見て何か興味あるものとかは、結構遠出して見に行ったり、お話を聞きに行ったりしてます。

qbc:お仕事と、占い、情報空間書き換え、あとは雑誌、インターネット見てそれに行ったり、それ以外の、生活時間以外、あとは何してますかね?

阿部光子:普通に生活してるっていうか、何なんだろう。

qbc:もうなさそうだなと思ったらないで全然大丈夫ですよ。

阿部光子:あと猫と遊んでます。

qbc:はい。その中で今一番自分がわくわくするものってなんすか?

阿部光子:占いの方ですね。占いの方は、今年から始めたので、とっても、楽しいなって思います。

qbc:何が楽しいですか?

阿部光子:本当に意外と、と言ったら失礼なんですけど、当たるんですよね。

qbc:当たったエピソードはありますか?

阿部光子:お友達がうちに遊びに来て、その後自宅に帰ったら、指輪をなくしたって言って電話かけてよこしたんですね。で、私の家にあるかどうかっていうようなお電話だったんですが、うちにはなくって、ちょっともう1回探してみるわとかってお話だったんですね。私、こういうのも占いで分かるのかなと思いながら占ってみたんです、どこにあるのかなって。そしたらば、水と火って出たんですね。だから、これって台所だなと思って、台所探してみてって言ったら、すぐお電話かかってきて「あった」って言うんですよ。でも台所は私に電話する前に見たんですって。見てなかったはずなのに、私が台所って言ってもう1回見たら、なんと三角コーナーのネットに引っかかってたって指輪が。それで見つけたっていうのと。あと知り合いが求人出してたんだけど、なかなか人が来なくて、でもどんな人がいいのって言ったら、男の施術の先生が良いって。だけど全然来ないってお話を伺ったんですね。それで私の方で、その施術者が来るかどうかとかっていうのを占ったんです。それも勝手に占ったんですけど、そしたらすぐ来るって出て、女性って出たんですよ。それでその後2日ぐらい後に、その先生と会うことがあって、その先生が「決まりました」っておっしゃって。ずっと求人出してたんだけど来なかったけど、決まりましたって。で私の方で女性でしょって言ったら、そうなんですって言って。あ、当たったなって思ったんです。なんか不思議ですよね。

qbc:何占いをされてるんですか?

阿部光子:それはね、ね、多次元易っていうやつですね。

qbc:はい。はい。

阿部光子:そういう占いをやってるんですけど。その他にいろんな占いがあるんですが、なんかそれは結構何か当たるなとは思って、どうでもいいことじゃないですけど子供のことだったり、社員さんのことだったりだとか、占って今どんな心境かとかね。なんかそういうのを見て、うん、なんか、もうモヤモヤしてるところがちょっとこう、あぁそういうことなんだなって上から教えてもらえるみたいな感じですっきりするなっては思ってます。

qbc:仕事の方はどんな感じでやられていますか?

阿部光子:仕事の方は順調でして。うん。職員さんも頑張ってくれてますから。安心なんですけど、私も年齢今年64歳なんですね。で、ちょっともうそろそろ違うことをやりたいなと思って。今年から、職員さんの1人を管理者にしたんです。私も仕事してますので一応代表みたいな形ではいるんですけど、来年あたりには事業継承をして、もうその仕事から抜けようかなとは思ってるんです。世間的には65歳定年説みたいなのがあるでしょう。でも今やってる私の仕事も、もう70過ぎてもやってる方っていらっしゃるんですけど、80歳というのはあんまり聞いたことないですが。だから私も管理職だから何歳まででもやるって言えばいられるんですけど、何となくその介護業界も、もう25年ぐらいいると、なんか、ちょっと他のことやってみたいなっていうような気になって。でその他のことで、人の役に立つようなことがあればいいなっていうことで「占い」とかを始めたんですよ。

qbc:なるほど。会社を作られたのって結構遅いかと思うんですけど、作られた理由っていうのは?

阿部光子:58歳で起業したんですが、なんかそれもそれまでずっとその会社勤めしてて、ある程度の地位にいてたので、すごく恵まれてて、何の不満もなかったんですが、突然友達からちょっと手伝ってくれって言われて、会社を辞めて友達の仕事を手伝うようになったんですね。

qbc:何のお仕事だったんですか?

阿部光子:クリニックだったんですけど、クリニックの管理者だったんですね。その時は前の会社が60歳定年でその後は嘱託みたいな感じの会社で。すごく恵まれてたんだけど何となく年齢で区切られるのは嫌だなってそのとき思ってたんですよ。そしたらばその友達が言ってたやつはそれこそもう本当に経営者と同じぐらいの立ち位置になるので、その定年なんかないし、とにかく手伝ってくれっていうことで、そこに魅力を感じて。私にできることだったらってことでやめて、そこに勤めたんですね。それこそもう、土地選びだとか、制服だとか、もう器具だとかも全てオーナーと一緒にやって、立ち上げて、実際に仕事が始まったら、何となくちょっと経営者とのその意見の相違っていうか、なんかそういうのがとても耐えられなくなって結局1年もしないうちに辞めたんです。

qbc:はい、はい。

阿部光子:それやめてから、どうやって生きていこうかなとかって思ったんですけど、そのときに今までのそういうケアマネの仕事をどっかに勤めてやるのもいいけど、できるかどうかわかんないけれども自分1人でやってみようって思ったんですね。ノウハウは知ってるから。で今インターネットで何でも開示してるので、それこそちょっとググればね、いくらでもわかるのでそれで自分で法人立ち上げて、それこそ定款作って法務局に持ってって法人を作って、で市役所にそういう申請出して、もう2018年の3月1日から、そういう会社を立ち上げて始めたんです。

qbc:定款ってご自身で作られたんですか?

阿部光子:そうなんです。

qbc:行政書士さんとか一切入れずに?

阿部光子:そうですね。時間もあったし、今インターネットで何でも出てるから、それでほんとうに必要最低限のだけ入れて、公証人役場に持ってって、認めてもらって、それで法務局持ってってやったんですよね。

qbc:このタイミングって、ご家族というか周りの環境ってどういう環境だったんですか?

阿部光子:私元々離婚を経験してまして、その頃も子供ももう30以上になってましたから、一人暮らしなので、誰も何にも言ってこなかったですね。だから、お母さんの言う通りでいいよみたいな。好きなようにやるねみたいな感じで。自宅で始めたんです会社を。やっぱりね事務所借りたりとかするとそういうね、固定の経費って出るから、少しでも少ない経費でっていうことで、自宅で始めました。

qbc:スタートしてどうでした?

阿部光子:最初はそれこそ、普通は大体前に勤めてたところの利用者さんを連れて、それで自分のところに連れてきて、そっから立ち上げるっていうパターンが多いんですよね。でも私の場合、1年弱のブランクがあるので、0ケースから始めたって感じだったんですね。なので、2ヶ月ぐらいはもう全然誰1人も利用者さんがいなくて。焦りましたよね。だけどいろいろいろんな病院に挨拶に行ったりだとか、いろんな関係機関に挨拶状を出したりとか、なんかそんなことしていて、少しずつ利用者さんが増えてきたっていう感じです。

qbc:いわゆる営業ノウハウはどこから?

阿部光子:いや、そんなのはないですけど、地域で長くケアマネもやってたところから、あぁあ、あの阿部さんねみたいな、昔あそこにいたよねみたいな感じで。そっからどんなケースでもいいのでお願いしますと言ってケースいただいて支援を続けていったんです。ちょっとずつケースが増えてきたので、もうだんだん自宅では手狭になったから、社員も増やしてってことで自宅ではマズイので事務所借りました。だんだんケースが増えてくると、ケアマネって1人のケアマネが持つ件数って決まってるので、担当の件数が増えてく毎にケアマネを増やしていったって感じです。

qbc:ちなみに、スタートのとき収入ってどうされてたんですか?

阿部光子:ゼロですね。預貯金を当ててましたよね。やっぱりね収入がないと自分だってね水道光熱費とか払わなきゃいけないので。だから預貯金を減らしたり、あと売れるものを売ったりですね。

qbc:不安じゃなかったですか?

阿部光子:ピアノ売ったりだとか。あとは、ジュエリー、そんな高くなかったですけど、ジュエリー売ったりだとか。借金はしなかったです。不安はありましたけど、でも、自分で勝手に事業計画みたいな感じで、こう何月なったら何件来ていくら収入が入って、何月になったら何件収入が入ってみたいなやつを妄想して、書いてたりしました。

qbc:そのどういう風にすればいいのかっていう事業計画はインターネットですか?

阿部光子:いやそうじゃなくって、介護業界で仲良くしてたお友達がいて、その方から現実ばっかり見てると悲しくなっちゃうし、これからもっと増えるんだから、もう先取りで計画立てちゃおうよっていうふうなお話聞いて、そうだなと思って。もう本当に件数が増えるようなイメージで計画立てたり、先に、例えば、10ケースありがとうございますみたいなのをノートに書いたりとか、あと実際の利用者はいないけれども、利用者が出来たら作るケースファイルを書棚にばあっと並べたり。どうせ来るんだから必要なんだからっていうことで、並べて見てたりとかしてました。だからよく言う予祝ってやつですね。

qbc:はいはい。なるほどね。事業計画を予祝。

阿部光子:あとは身の回りに置くクリアファイルなんかも揃えて。地域によってここの地域は何色でっていう感じで、まだ全然利用者さんが決まってないうちから、もうどうせ来るんだから、ファイル必要だからっていうことで、買い揃えてはいました。

qbc:ありがとうございます。その調子で順調に今に至る感じですか?

阿部光子:うん。そうですね。はい。順調に増えて、去年は2人社員増え5人になりました。お蔭様で結構回ってるから、順調だと思います。

qbc:何かトラブルはありましたか?

阿部光子:そうですね。社員とのトラブルみたいなやつは、ちょこちょこありましたけど。

qbc:なるほど。何か大きい問題というかそういうのなく、人間がいるところなんでねトラブル自体は起きると思うんですけど。

阿部光子:そうですね。対利用者さんとのトラブルだと、例えば合わないからケアマネ変えてくれだとか。なんかそういうのはたまにありますけど、それって人間同士だからね。

qbc:まぁ、発生はしますよね絶対に。

阿部光子:だからそういうことに関しては、もう全然そうなんだねって。もちろんお相手には謝罪はしますけれども。社員にはまた頑張ろうって感じでそんなには苦にはしませんでした。

qbc:不動産をやられていること、これは助けになりましたか?

阿部光子:そうですね。不動産の方は個人事業主です。不動産収入もあるので、やっぱ精神的な安定感はありましたね。なので今も私の会社のお給料とかっていうのは本当に本当に少なくして、職員さんにお給料がいっぱい渡せるようにしてます。

qbc:下世話な話かもしれませんが不動産は何があるんですか?

阿部光子:アパートと貸事務所と土地ですね。

qbc:更地がある?

阿部光子:うん、色々あるんです。

qbc:売ってるんじゃなくて貸してるんですね。

阿部光子:はい。ありがたいですよ親は。

qbc:話のちょっと方向を変えて、性格については周りの人からなんて言われますか?

阿部光子:そうですね。なんか意外だったんですが、私って、自分としては「優しいっていうか、気さくな感じでしょ、私って」っていう風に思ってたんですけど、去年、身近な2人に「結構、阿部さんって怖かったよね」って言われたんですよ。

qbc:職場の人ですか?

阿部光子:ううん、職場じゃなくって、仲間。違う会社の社長さんだとか、言われてなんかすごくびっくりしちゃって。私って怖かったんだと思って。そう言われればあんまり人から声かけられないなって思ってたんですよね。だからやっぱ怖がらせたのかなとかっては思うんですけど、自分としては全然そういうことはないんですが、気持ち的には。人から話しかけられればいくらでもお話できるし好きなんですけど。意外と圧が強いのか、そうなんだって、なんかびっくりしました。なので今は、それを言われてから自分から声かけるようにしてます。

qbc:なるほど。自分自身ではどんな性格だと思っていらっしゃいますか?

阿部光子:そうですね。どうなんだろう。優柔不断ではないですよね。結構、自分で決めて結果どうであろうと、例えばそのさっき言ったように、もし悪かったらこれ自分のためにあったギフトなんだって思って、いい方向に変えるといったところかな。やっぱり良いことも悪いことも解釈次第だと思うから。だからね悪いこともそれによって気づけただとかね。これがあったからよかったみたいな、とかもう笑いのネタになるとかね。なんかそんなふうには思います。だからポジティブだと思います。

qbc:身近な人、お子さんだったりとか、親友だったり、距離の近い人から言われるような自分の一面ってありますかね?

阿部光子:頼りになるとかっていうのは、すごく言われる。何でも頼ってっていうのは、言ってるんです。だけど子供も皆30過ぎてるから3人とも。逆にお母さん頼ってもいいんだよとかって言ってくれるんですけど。なかなか頼れないですよね。

qbc:好きな食べ物はなんですか?

阿部光子:好きな食べ物。ウナギとか好きなんですけど、よく言うその最後の晩餐は何がいいかとかっていう話のときには、塩鮭定食って言ってます。

qbc:塩鮭と白いご飯と。

阿部光子:そうそうそう。味噌汁と漬物と。がいいなとは思います。

qbc:その心は?

阿部光子:やっぱり日本人だからって感じかな。

qbc:うん、うん、うん。

阿部光子:なんかやっぱり、白米は美味しいですもんね。

qbc:お米ね。

阿部光子:お米は美味しいですね。

過去:いつか別れるぞっていうのは、心の底にあったんですよね。別に恨みつらみでなくって、なんかね、別れてあげようみたいな感じかな。

qbc:過去についてこれから聞いていきます。子どもの頃、どんな子どもでした?

阿部光子:主体性がなかったと思いますね。誰かの後にくっついてくみたいな。

qbc:うんうん。

阿部光子:主体性がなくって人の目を気にするみたいな感じだったと思います。

qbc:どんな遊びをしてましたか?

阿部光子:ちょっと私人と変わってて。それこそ、リカちゃんの人形とかって子供の頃遊ぶんですけど、みんながリカちゃんのときはリカちゃん持ちたくないんですよね。リカちゃんじゃなくって、リカちゃんのお友達みたいな子っているんですお人形にね、やっぱりその外国の子なんですけど、そっちを持ってましたね。それとか、小学校の高学年ぐらいになると家庭科の授業があるんですが、家庭科でお裁縫箱を購入するんですね。男子も女子も。たいてい、女子はピンク、男子はブルーのお裁縫箱なんですけど。女子で私だけブルーを買って。今でもブルーのお裁縫箱持ってます。何かね、人と違う方がいいんですね。

qbc:それは昔から?

阿部光子:昔から。あとはミッキーマウスだとか、なんかそういうもののときも、それじゃなくてミッフィーちゃんがいいとか言ったりしてね。何か人と同じは嫌なんですね。

qbc:今もですか?

阿部光子:今もですね。コンビニも、だいたい福島県ってセブンイレブンが多いんですよ。

qbc:はい。

阿部光子:地域によってねいろいろですけど。ローソン行っちゃいますもん私。

qbc:なるほど。近いんですか?

阿部光子:どっちも近くにあるんですけどセブンイレブンが一番近くにあってセブンイレブンの方がお弁当とか美味しいなとかって思うんですけど、なぜかローソンに行ってしまう。

qbc:美味しくなくても、ローソン?

阿部光子:うん。何なんですかね、なんかちょっと反発してるんですかね。そういうの不思議だなって思いますよね。

qbc:小学校のときどんな感じでした?

阿部光子:小学校のときは結構グループで遊んでて、女の子グループみたいな感じ。結構仲いいお友達と遊んでたりとかしたんですけど。そん中でもやっぱり、あれかな。いじめられてる子とかっていると、なんかこう、やけに燃えて何か立ちはだかるみたいな。なんかそんなこともありましたね。

qbc:中学校は何か変化あります?

阿部光子:部活動があったんですけど、剣道部って入ったんですよね部活動で。その剣道部に女子っていなかったんですよ。男子ばっかりだったんだけど、なんかそこをちょっとお友達誘って剣道部に入って試合に出たりとかして青春時代を過ごしました。

qbc:高校の頃は?

阿部光子:高校は女子高だったんです。マンモス校だったんですけど、そこが進学コースと進学しないで就職するコースが有りました。で私は進学の方の県外に行く系みたいなコースに行ったんですね。で将来は福祉系に行きたいなとかって思ってたんですが、親が県外に行くのは駄目って言ったので、そうなんだと思って、地元の保育科のある短大行ったんです。保育所で勤めたりしてました。福祉がいいなとかって思ってたんだけど親にダメって言われて言うことを聞いてね。保母さんになったんです。

qbc:どんな風景の中で育ちましたかね?

阿部光子:うち実家は商売をやってまして、雑貨屋みたいな感じなんですよね。だから、漫画本はあるし、お菓子はあるし、アイスはあるし。食べ放題飲み放題みたいな感じで、みんなに羨ましがられてました。お店屋さんの子だから。親は忙しいから、あんまり監視をされないっていうか、商売で忙しいからね。なので、結構自由だったと思います。ただ、父親が婿養子だったんですね。婿養子で、そのときに大きいおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんが「子供の前で喧嘩するのがみっともない」みたいなことをうちの父親と母親に言ってたから、私の前では、喧嘩した姿は見せなかったです。喧嘩もしてたんでしょうけど見たことなかったから。それこそ私結婚してから、喧嘩の仕方がわかんなかったです。見てないから。よく友達が夫婦喧嘩してその旦那のことを叩いたとかって聞くんだけど、次の日の朝って顔を合わせるじゃないですか。その時にどんな顔して挨拶するのかなとかってすごいドキドキしてました。そんなんで夫婦喧嘩の仕方がわかんないっていうのかな。そんな感じでしたよね。両親はそんなに仲良くもなかったけど、そういうのも良くないんだななんては今思いますけど。子供夫婦は夫婦喧嘩するらしいですが、話し合いするそうです。今は対等なんですね。

qbc:ご両親からどんな育てられ方をしたと思っていますか?

阿部光子:そうね。そんなに勉強しろとは言われなかったですよね。

qbc:うんうん。

阿部光子:成績がいいととても喜んでくれましたけど。その頃って親も忙しいから。あまり構わないから元気でいればいいぐらいな感じなんじゃないですかね。

qbc:ご兄弟っていらっしゃらなかったですか?

阿部光子:弟がいるんですよ。弟はやっぱり2人だけ姉弟なので、やっぱ跡取りじゃないですか長男って。うん、跡取りだから、なんかやっぱちょっと優遇されてるなっていうのは思いましたよね。やっぱり親は長男にはちょっと違うんだなっていうのは感じました。

qbc:何か優遇エピソード覚えてらっしゃいます?

阿部光子:なんか「お姉ちゃんなんだから」みたいな。だから、先に謝りなさいとかね。喧嘩してても、お姉ちゃんなんだからなんていうのはよく言われたし。あと本当にたわいのないことなんですが、弟が風呂から上がってきたときに、私が扉の裏に隠れててワッてやったんですね。そしたら弟が思いのほか泣いて、ギャン泣きしたんですね。それを見た母親がすごく怒って、なんでそんな泣かせたみたいな。こっちとしては別にワッて驚かせただけなんだけどな、みたいな感じじゃないですか。だけど、蔵に入れられたんですよ。謝れって言われて。で、いや、だからさ叩いたとか何かだったらまだ謝るけど。でもとにかく謝れって言われて謝らなかったんですね私。そしたら蔵に入れられたんですよ。その頃って家に蔵があって、お風呂上がりだから夜ですよね。電気もついてなくって、そのなんつうのかな。蔵っていろんなものが置いてあったんです。昔って味噌も作ってたからね、各お家で。なんかその味噌のしょっぱいようなかび臭いような匂いとかっていうのは覚えてます。そういうのでやっぱり長男は優遇されてるなって思いました。

qbc:何時間ぐらい入ってたんですか?

阿部光子:それは覚えてないな。いやでも、ずっとは居なかったよねきっと。何時間か何分か後には出してもらえたんだとは思うんですけど。なんかそれはちょっと、忘れられない思い出ですよね。

qbc:どういう結婚生活を?

阿部光子:結婚エピソード。バイト先で知り合った先輩だったんですが、

qbc:それはいくつぐらいの時?

阿部光子:19のときに天ぷら屋さんでバイトしてて、そしたら先にバイトしてた先輩がいて、なんかその人と、付き合うようになりました。

qbc:結婚は何歳で?

阿部光子:結婚は23歳で結婚しました。

qbc:保育士さんだった時ですかね?

阿部光子:保育士やっててその後親がちょっと病気になっちゃって、それでやっぱりその家を手伝ってくれみたいな感じで保育士やめて、家手伝ったり、その間いろいろ市役所に勤めたりだとか喫茶店に勤めたりだとか、事務員もやったりしました。その間ずっと付き合ってて、で23歳のときに結婚したんですね。

qbc:なぜ離婚に至ったんですかね?

阿部光子:実際に離婚したのが、48のときだったんですけど。それ前に、そうですね。平成6年って何年でしたっけ、1995年。平成6年かな。

qbc:1994ですね。

阿部光子:そのくらいに一度その主人の浮気を見つけたんですね。

qbc:はい。

阿部光子:それでそのときのその彼女が、主人の部下で家にも結構遊びに来てたことあったんです。

qbc:はい。

阿部光子:それで見つけたら、もう別れるからみたいな感じだったから、じゃまあいいかって思って。じゃあ別れてねって言ったんですけど。それから17年間経ってから、また浮気を見つけたんですね。そしたら同じ人だったんですよ。お相手が。

qbc:なるほど。

阿部光子:相手がね。だからこれはちょっと看過できないなと思って、別れましょうっていって別れたんです。

qbc:平成6年が最初で、48歳のタイミングでまた見つかったと。

阿部光子:うん。

qbc:なるほど。どんなお気持ちだったのかなと思って。

阿部光子:それがね、1回目の浮気の後、何か主人と話してるときに、なんで私と別れなかったのって聞いたんですよ。その浮気相手と別れて私とは別れないってことだったじゃないですか。1年ぐらい過ぎた後かな。なんかそんな話をする様な雰囲気になって聞いてみたんですよね。

qbc:うん。

阿部光子:それはちょうど秋で長野に住んでて、これからマツタケを食べに行こうっていうようなときに、なんかそんな話になって、そしたら主人が「だって子供3人いたら養育費を払うのが大変だから」って言ったんですよ。

qbc:うん。

阿部光子:だからか~と思って。養育費を払うのが大変だから別れなかったんだったらば、養育費を払わなくなっても良くなったとき、子供3人が20歳になったときにもう別れてあげようと思ったんです。それはずっと心に秘めてて誰にも言わないで、その主人にも言わないでずっといたんだけど、いつか別れるぞっていうのは、心の底にあったんですよね。別に恨みつらみでなくって、なんかね、別れてあげようみたいな感じかな。

qbc:ふうん。

阿部光子:私ってあんまりものに執着しないし、あんまり嫉妬ってしたことない。嫉妬って、その主人に対して嫉妬したことないんですよね。っていうのも、2回目の浮気に気づいたときに、自宅に彼女を呼んだんですよ。ちょっとお話しましょうということで。そのときに彼女は、私の家がわからなかったから、近所で待ち合わせしたんです。そのときお互い顔は知ってるから、彼女に私手振ったんですよ。浮気相手のね、女の人に、ここだよって笑いながら手を振るってちょっと考えられないじゃないですか、普通考えると。やっぱりそのぐらい嫉妬しないんですよ。なんかそういうこともありました。

未来:寿命がわかるっていうアプリがあったんです。それやったんです昨日。そしたら74歳って出たんですよ。あと10年。

qbc:なるほど。ありがとうございます。未来についてですね、最後に死ぬっていうところまでイメージして、どういう未来を今イメージされてますか?

阿部光子:はい。たまたまですね昨日、寿命がわかるっていうアプリがあったんです。それやったんです。そしたら74歳って出たんですよ。あと10年。あと10年で、死因は脳に関する病気ですぐに亡くなりますってでたんです。そのときに、あぁいいなと思った。なんでかっていうと、私の母親も74歳で亡くなっているんですよね。母はがんだったんですけど、そのぐらいがちょうどいいなと思って。だからそうするとあと10年なんですけど、なんか逆にあと10年思いっきり自分の好きなことをしようって思ってます。あまり死に対する恐怖感とかってないんですけど、何かこう、あと10年だったらなんか、まだまだ動けるじゃないですか。車だってきっと運転してるだろうし。うんやっぱもう好きなことをしたいなと思ったから、来年には今の会社を事業継承して、あと好きなことをやろう。あと10年間って思ってます。

qbc:なんですかね好きなことって?

阿部光子:やっぱり人の役に立つようなことですよね。ケアマネって相談援助職なので、人の悩みを聞いたり、いろんな行政に繋げたりだとかする仕事なんですけど、うん、やっぱりこう病んでる人だとか、なんかそういう人がちょっとでも楽に生きられるような、そんなお仕事をしたいなとは思ってます。それもね、今習ってる占いだとか、2年前から習い始めた情報空間の書き換えってやつね、そういうのだとかを駆使して、ちょっとでも人の役に立てたらいいなって思ってます。

qbc:子どもの頃主体性がなかったとおっしゃっていましたが、いつから主体性が出てきたと思いますか?

阿部光子:結婚して主人が本当に出張出張で、今にして思えば浮気してたんだなって思うんですけど、出張ばっかりしていたのでほとんど家にいなくって、子どもは私が全部育てた様なもんです。主人は家に帰ってくると、あんまり喋んないような人だったんですけど、なんか聞かれたときに、これであれでってことを喋ると「結果だけ言えばいい」って言われたんですよ。なんかそういうふうにクセ付けられたから、結果だけ。なんかそれで結婚後に鍛えられたかな。

qbc:なぜケアマネージャーに途中でなられたんですかね?

阿部光子:38歳のときに子宮筋腫になって、子宮取ったんですよね私。そのときに何か人の役に立ちたいなっていうふうに思って。そのとき子宮筋腫ってそんな子宮がんとか子宮頸がんとかじゃないから、そんなに死に直結するような病気ではないんだけど、やっぱり自分の体にメス入れるってことで、ちょっとナーバスになってたんですよね。その時に、ちょうどラジオを聞いてて、2000年から介護保険制度が始まるっていうようなラジオ聞いて、なんかピンと来たんですよ。あ、これだと思ったんです。介護とか、そういう福祉のところに身を捧げようって思って、やっぱり死を意識したからだと思う。なんかこう、今までは子供が小さい頃にはパートでクリーニング屋さんとか工場のラインも好きで、そういったところで仕事をしてたんだけど、なんか介護っていいかもって思ってそれから始めたんですよね。38のときかな。うん。

qbc:今の商売はなんでうまくいったと思います?

阿部光子:いいことも悪いこともあるけれども、これ解釈次第だし、何でも楽しんだもん勝ちだなとかっていうふうに思ってるからじゃないかなって思います。あと、あんまりこうなんていうのかな、深刻に考えないで、ちょっとこう俯瞰して見る癖があるから、ケアマネの仕事もそうなんですが、よく先輩から言われたのは、話ししてるときに、自分の斜め上から自分の背中を見るような形で話しなさいって言われたんですよね。客観的に喋るようにっていうそういう教育も受けたので、そういう癖はついてるのかもしれない。

qbc:阿部さん、人生のターニングポイント。1個最大のターニングポイント、転換点を置くとしたらどこに置きます?

阿部光子:今まで会社勤めをしてたのをやめたやつ。辞めたときがターニングポイントだと思います。そのときにすごくつらい思いしたんです。何かちょっと人格否定みたいな感じがあったんです。それがなかったらまだ会社勤めをしてたと思います。

qbc:それって先ほど聞いた、何歳のときでしたっけ?

阿部光子:58歳

qbc:58?

阿部光子:うん、そうですね。でもそういうのがなかったらまだ会社勤めをやってたと思うし、だから今にして思えば、何かそういう自分の本当の心の声を大きく出すために、そういうのがあったんじゃないかなって、今は感謝してます。今とっても幸せだし、あれがなかったら、今はないと思ったら本当に感謝ですよね。

qbc:もしもそのターニングポイントがなかったらどんな人生になっていると思いますか?阿部光子:前の職場も楽しく自分の思い通りに仕事もしてたので多分65歳になって定年になったら、なんかちょっとカルチャースクールにでも通おうかなとかね。そんな感じにはなってたと思います。ま、それもね悪くはないですけどね。

qbc:うん。うん。

阿部光子:やっぱりその経営者っていう立場で、いろんな経営者の団体にも入ってますし、そうするといろんな勉強会もあるから、とても刺激になりますよね。やっぱりその、雇われてる側と雇う側ってやっぱちょっと世界が違うから。

qbc:でも望んでポンって入ったわけじゃないですよね。なんていうかそのそっち側に行こうとしたわけじゃない感じというか。

阿部光子:うん、そうですね。でも、なんか導かれたっていうか、何となく嫌だなっていう自分の心に敏感になってるうちに。みんな選択したのは私。やっぱちょっと人とは違うところ、それこそその最初のね、お裁縫箱もブルーにするみたいなね。うん、セブンイレブンじゃなくてローソンに行くみたいなね、なんかちょっと人と違ったやつを選択する癖があるのかもしれないですよね。だからこうなんていうかな、サラリーマンじゃないところを選んだのかなって思いますよね。

qbc:ありがとうございます。最後に、言い残した言葉でも遺言でもいいですし、インタビュー振り返った感想でもいいし、読んでいる人へのメッセージでも大丈夫です。最後に言い残したことがあればお伺いします。

阿部光子:子供に、例えば私が死んだときに、子供にこんなふうに思ってもらいたいんだっていう話したことがあったんですね。それは、「お母さんは人のために尽くして幸せな人生だったっていうふうに、子供には思ってもらいたいんだよ」って話したことがあったんです。だからその通りに生きたいと思っています。qbcさんの柔らかな声と優しい誘導により自然な流れで子供の頃から今までの人生を振り返り話をする事が出来ました。過去の出来事や、あの時の感情なども言語化し整理する事が出来ました。これからの私の人生にとって、とても貴重な時間でした。ありがとうございました。

あとがき

金輪際!私はもう!何もかも諦めらないぞ!と思ったり思わなかったり。年齢を重ねても、チャレンジはできる。チャレンジはできるっていうか、むしろ年齢を重ねたぶんだけ経験値あるのでどっしり構えた経営ができるんではないかーと思ったり。うん、パワーよ永遠に!

【インタビュー・編集・あとがき:qbc】

【編集:本州】

#無名人インタビュー #インタビュー#経営者#ケアマネージャー

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