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普段通りの一日が過ぎる

今、都内の大学が提供するコワーキングスペースに来ている。
子供が、大学付属の保育園に通っていて、保護者は登録すればこのスペースを使っていい。
今、夏休みに入っているのか、構内に学生はまばらで、私は広い部屋に一人でいる。
余った空間は、もったいないのかもしれないし、見る人が見れば贅沢だよって言うのかもしれない。もったいないって、揶揄の標的になる。
だけど、物事を考えたりするのに余裕というのは必要で、とてもありがたい。

このひと月くらいは、期間限定のちょっとした追加家事と、インタビューのフォローで忙しかった。
ゆとりがなくて、感情的にも落ち着かなかった。
私というのはqbcで、無名人インタビューの主催をしている。
二日間ほど高圧洗浄機であらゆるものを洗浄するという、パワーウォッシュシュミレータというゲームをして(没頭して、忘我して)、世の中の人を辞めて、脳みその中のスキマづくりに励んでいた。

紙のノートの上のほうに、罫線の向こうに余白があるじゃないかそこにいたずら書きしたり、本当に重要なことだったりをメモしたりするだろう。罫線に挟まれた本文欄ではないところに。余談めいたことを書く。
ポリ袋に目いっぱい水をぱんぱんに入れたら破けちゃうだろう。そこに他に物を入れたら水があふれちゃうだろう。
ことほどさように物事にはゆるみや隙間が大切なんです。
そうしないとね、逆にもったいないんです。

人間の予測はあいまいだから、思ったよりもたくさんのものを生み出したり、本筋とは違っているけれども豊饒な思案を噴きこぼれさせたりね、するんです。
だから、その生み出される余剰を受けとめるための皿がね、いるんです。

というわけで約30日間新しいことを始められなかった今日、どうもどうやら無名人インタビューが始まって898日目のようです。
インタビュー応募者の管理に使っているスプレッドシートに計算式が埋め込まれていて、それによると、そういう日にちのようです。898の語呂に意味はありません。
今、17:30。私がこうやってnoteに、つらつらインタビュー企画のためなのか、それとも自分のお気持ち表明文なのかわけのわからない、ひょっとしたら何にも寄与しない可能性のテキストを執筆中に、その裏では高校生の無名人インタビューが、2カ月前くらいにデビューしたインタビュアーによって行われています。

898日経った今、インタビュアーは11名(うち、お休み3名)、文字起こしは4名。私を抜いた計算で。
インタビュアーはそんなに生易しいものではないので、自分の生活がちょっと忙しくなると(転職したとか引っ越したとかね)、ちょいお休みしたりする。そこがマネジメントとしては大変なんですよ。
でもまあ、気づいたら、けっこう遠くに来れていて、うれしいと私は思っている。

この2年半の間にいくつか気づいたことがあって。
それはこういったことごとだ。
「人間は悩みを言葉にすると、悩みが解消する」
「けれども問題が解決したわけではないので、また同じことで悩む」
 ←これがカウンセリングジプシーの原因か。
「顔を見せなくても心を打ち明けることはできる」
「60分話しただけでも親近感はできる」
「むしろ案外60分話を聞いてもらい続けるということのほうがマジ少ない、というか生まれて初めての人もいる」
「新聞明朝フォントのサムネイルはわりと人気がある」
「人間は本心を打ち明けると気持ちがいい」
「逆もそうで、打ち明けてもらうと嬉しい」

それから、学生のインタビュアーが、社会人にインタビューすることで、自信がついたり、知らないことからくる不安が軽減されたり、といったことも起きた。
インタビューはロールプレイングでもある。
無名人インタビューが他のインタビューと違うところは、インタビューを映像の世界でいうところの香盤表で構成しているところだと思う。
私の中では質問リストはシナリオだし、事前説明は舞台袖での短い打ち合わせのような感覚だ。
無名人インタビューは参加者とインタビュアーの経験であるけれども、それ以上に、読者にとって面白く、有益なものになるべきだ。
検索性がもっと高まるべきで、もっと自分に今必要な記事を探しやすいようにしないといけない。

私の思い描いている世界は、無名人インタビューの手法がじゃんけんみたいに世の中に広まって、自分以外の人間についての知識、自分の知らないことについて知る機会がもっと増えたらと思う。

例えばインタビューの日というものがあって、その日は積極的に知らない人にインタビューを心掛ける。


インタビューはちょとしたスペースでも行われ、新商品を試すように誰かをインタビューし、誰かにインタビューされる。

人と話すことは、今は安く済む。例えば海外に行って海外の人と話して海外の知識を得ようとするとき、現地に行く渡航費がかかる。けっこうな額面が。
もちろん、実際に行くこととそこに住んでいる人と話すことは、違う。でも、一か国に行く時間で、三十か国の人と話す経験は、たぶん、今の翻訳の技術的進化を見ると、できると思う。
国内一泊二日する代わりに、三十人と話す経験を得ることだってできるだろう。
そうだ重要なことを言い忘れているかもしれない。対話じゃなくていい、インタビューするのでいい。相手が好むようなことを言って相手を喜ばせた李、冗談を言って会話を弾ませたり、しなくていい。ぜんぜんいらない。
聞く心構えと、これは会話ではなくてインタビューだというのをわかってくれていたらいい。

私の息抜きのために書かれたこの文章を読んで、無名人インタビューを読んでいる人、どう思われるんでしょうか?
今、いくつかのテーマインタビューと、書籍化準備を進めています。
それからインタビュアーワークショップも準備しています。大きいのはここ。
今日行われたインタビューは286回目のインタビューでした。
私はもっとインタビューしなくちゃ!! と思っていたのですが、それよりも今はインタビュー回数を目指すよりも、インタビューの内容自体をより洗練されて、その中身を伝えていくことのほうが大事みたい。
そういうフェーズだと。

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