桜の樹

「10年前に失踪した息子を探して欲しいんです」
目の前の女性はそう言った。
中年くらいだろうか……背は低めで、あまり健康的では無い体をしている。ストレスなのだろう。髪の毛は真白く染まり、体からは骨が浮き出ていた。
「10年前ですか……」
僕は気乗りしなさそうに呟く。
実際、あまり気乗りしなかった。
何故って、10年も前の話だから……見つかるはずなんて無いのである。
いくら何でも屋の探偵だからといって、仕事を選ぶ権利くらいはあるのだ。
もう諦めた方が良い。そんなことは女性も薄々分かっているのだろうが、母親の情でそんな訳にもいかないのだろう。
「大切な我が子なんです。お願いします……お願いします……」
「ですが…………」
「どうか……後生ですから」
ここまで頼まれては、なかなか断れないのが僕の性だった。
「……分かりました。では、その子の特徴を……」
「そうですね…………あ、桜が好きです」
「桜?」
丁度季節は春だった。
それにしても、桜がまず思い浮かぶなんて、相当その子供と桜とは縁があるのだろう。
「…………他には」
「他には…………」
僕は身体的な特徴や失踪した当時の服装などを聞いて、調査に取りかかることにした。

______数週間後。
案の定、見つかるはずも無かった。
なんの手かがりも無いまま、約束の期日を迎えてしまった。
僕は依頼主の母親と2人、桜並木の下で話をしていた。
「見つかるはずありませんよね…………」
「ええ…………残念ながら」
10年も必死に探していた母親には可哀想な話だが、これが現実である。
僕は少しでも母親に元気を出してもらいたく、口下手ながらに話題を絞り出すことにした。
「そうだ…………桜と言えば、ほら……桜の樹の下には死体が埋まっている、なんて言いますよね」
失敗した。
完全に、話題を間違えてしまった。
「あなた…………なんて?」
ああ、間違えてしまった。
母親は目を見開いて、頗る驚いた様子だった。
「す、すみません…………」
「いえ、その……実は息子も、この通りの下で同じことを言っていたんですよ…………」
「…………え?」
「ずっと、気になっていたんですけれど……」
「あなた……まさか………………」
瞬間、桜の花びらが、散った。

…………その人、とても息子に似ていたのよ。まさかとは思っていたんだけれどね……。
ええ、探偵になるのが夢だとは言っていたけれど…………。
ずっと、あの場所に取り残されていたのかしら……死んだことにも気づかずに。私が依頼するのを…………見つけてくれるのを、ずっと待っていたのかしら…………。
うん、もういいのよ、ありがとう。
…………桜、綺麗ね。

母親は、桜並木の下で、独り空を見上げた。

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