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それでは、ゆるりと始めましょうか(4月文楽公演3部雑感)

 4月文楽公演初日の第3部に行ってきました。

文楽劇場柱巻

 Pocketから始めて、初めから三日月宗近と小狐丸を得ていた元審神者として、「小鍛冶」ってだけで胸熱なのに、刀剣乱舞とコラボすると聞いて発売日に初日の3部のチケットを取り、この日を待ち兼ねておりました。

 大阪の新型コロナウィルス感染者増加を受けて、5日から「まん延防止等重点措置」が適用されることが決まったり、陽性者が最多になったりと直前に不安なニュースがありましたが、まずは無事に幕が開いて一安心です。
 このまま何事もなく千穐楽が迎えられることを願うばかりです。
(と思ってたら、連日最多更新で、宣言出すかもとか、どうなるんやろ)

 劇場には、いつもと違う客層の皆様。小狐丸の人形やスタンプには長蛇の列。テンション爆上がりしました。

小狐丸パネル

文楽人形「小狐丸」

 小狐丸の人形も、どうなるかなと不安でしたが、流石のクオリティ。技術職員の皆様の本気を見ました。人形の解説もすごかった。

親の因果が子に報い(「傾城阿波の鳴門」)

 3部の一つ目の演目は「傾城阿波の鳴門」十郎兵衛住家の段。この作品は明和5年(1768)竹本座(名代近松門左衛門)で初演されました。
 全十段の時代世話物(お家騒動物)作者は近松半二、八民平八、吉田兵蔵、竹田文吾、竹本三郎兵衛です。
 「阿波の鳴門」という外題が示すように近松の「夕霧阿波鳴渡」を翻案し、阿波徳島の玉木家のお家騒動を織り込んだものです。
 六段目に夕霧と伊左衛門の話があり、そこに玉木家の家老の元家臣である十郎兵衛が絡んで、八段目の「十郎兵衛住家」へと繋がっていきます。

これまでのあらすじ(飛ばしても)
 紛失した玉木家の宝刀・国次の刀を探すため、盗賊となった十郎兵衛とその妻のお弓は大坂の玉造に身を潜めています。十郎兵衛は恩のある伊左衛門のため、五十両を用立てないといけなくなります。お弓が伊左衛門に盗賊となった身の科と阿波に残してきた娘に哀れだと語り涙を流します。それを立ち聞きしていた者に捕手を呼ばれますが、お弓は柔術を使ってその場を逃れます。
 ここまでが前段のお話です。


 十郎兵衛が留守にしている間に、詮議の手が迫っている知らせが届きます。お弓が思案していると、そこに幼い巡礼の娘がやってきます。その娘こそ、故郷に置いてきた一人娘のおつるでした。親を慕うおつるへの愛情と親と名乗ることのできぬ身への苦悩で揺れるお弓。一度は名乗ることなく、金を持たせて送り出しますが、やはり耐えかねてその後を追っていきます。
 ここまでが前半で、「巡礼歌の段」として独立し、淡路座や阿波人形浄瑠璃でよく上演されています。文楽座でも地域のイベント公演などでかかるイメージ。
 しかし、この後半には衝撃的な物語が展開します。
 おつるは乞食達に金を取られそうになっているところを十郎兵衛に助けられ、十郎兵衛の家に連れてこられます。おつるが大金を持っていると思った十郎兵衛は、その金を預けるように言いますが、おつるは聞きません。おつるが大声をあげるため、十郎兵衛は口を塞ぎますが、そのためにおつるは死んでしまいます。
 戻ってきたお弓から、その巡礼の子が我が娘と知らされた十郎兵衛はその因果を恐れ涙します。しかし、そこに捕手がやってきて、二人はおつるごと家を燃やして、逃れています。
 いやぁ、衝撃的過ぎて、どこからツッコんでいいか分からん。分かんないよ、半二!
 初めて文楽を観る審神者も多いだろうに、一発目にこれをぶつけてくるの、すごいな。
 『傾城阿波の鳴門』のテキストを初めて読んだ時も、うめだ文楽で観た時も、おつるの死が物語の中でなんの意味も持たないし、全体の構成自体も繋がりが薄くて、本当に意味分からん作品だと思ってました。
 ただ、初日前に参加したコテンゴテンさんの講座で、これは運命劇的な要素があるとお聞きしました。いくら主家のためとはいえ、盗賊という悪事に手を染めた十郎兵衛とお弓への報いだと。確かに詞章にも「因果」「報い」「因縁」「業」という言葉があります。親の因果が子に報いってやつですね。両親に会うために巡礼をしていたおつるが、その道中で巡り会えた両親に親とも子とも知らず殺されるといのも、観音の救いの全くない、非常に皮肉な話です。(「『父母の恵みも深き粉河寺』どこにこれが恵みが深い、こんな酷い親々が……」)
 このお話を聞いていたからか、千歳師の御詠歌を聞いていて、自然と涙が出ました。おつるのいじらしさもお弓の嘆きもとても悲しいものに感じました。やはり浄瑠璃は語られてこそなのだと、改めて思わされました。ごめんね、半二。
 後半の物語こそ衝撃的ですが、世話物だし、親子の情愛という比較的分かりやすい話だし、詞が多くて聞き取りやすし、意外に初めての人向きかもとも観ていて思ったり。
 余談ですが、初演である明和5年の頃は竹本座にとって大変な時期で、その年末、竹本座は歌舞伎の芝居小屋となります。そういう状況が半二の創作にも影響したのかな、なんて、知らんけど。

絵看板

 碩さん・燕二郎さんの口は、頑張ってるなぁと、もはや親戚の子を見る感じで聞いてしまった。千歳師と富助師の前は、先にも書いたように御詠歌から泣き出して、ずっとグスグスしてしまいました。千歳師のお声がけ所々枯れていたように思いますが、お弓の葛藤が胸を打ちました。後は靖さんと錦糸師。巡礼の娘を殺す気どころか傷つける気すらなくて、ただ目の前の金を手にせねばならぬという思いに囚われて、知らずに地獄へと歩みを進める十郎兵衛という印象。ある意味一途というか。
 勘次郎さんのおつる、勘十郎師との師弟愛に溢れててとても良かっためす。あと、口塞がれた時の演技が細かくて、「ああ、おつるちゃん!」ってなりました。玉也師の代演が玉佳さんで、「次もあるのに大変だなぁ」って思いました。

幻の名剣、誕生の瞬間(「小鍛冶」)
 休憩を挟んで、本公演大本命の「小鍛冶」。
 元々はお能の作品で、それが昭和前半に歌舞伎舞踊となり、文楽にも移されました。前ジテはお能だと童子ですが、文楽だと老翁です。子供のかしら、ユニークなのしかないからかな。
 松羽目にまずは三条小鍛冶宗近が登場。玉佳さん、大変だなぁって(二回目)。
 てか、三条宗近ってことは、三日月宗近のお父さんやん! 私、推しの父親観てる! って考えたら、またもやテンション上がる上がる。

三条古鍛冶宗近

 時は平安、一条帝の御代。御剣を打てとの勅命を受けた三条宗近でしたが、帝に献上するレベルの剣を打つための相鎚が必要であると思案します。そこで氏神である稲荷明神に祈願したところ、帰り道に老翁と行き会います。老翁は祭壇を飾って自分を待つ様つげ、姿を消します。夜になり、祭壇で宗近が祈念していると、稲荷明神が顕れ宗近の相鎚となり、一降りの剣が完成します。表に「小鍛冶宗近」、裏に「小狐」と銘が打たれ、稲荷明神によって「小狐丸」の名が与えられたその剣は、無事に帝に献上され、稲荷明神は稲荷の峰へと帰っていくのでした。
 前シテの老翁の登場から剣の由来譚は厳かで、後シテの稲荷明神の出から鍛刀は躍動的で見どころ、聴きどころ満載。稲荷明神は前シテでも後シテ狐の振りって可愛さと妖しさが両方あって好き。人形も浄瑠璃も迫力満点。
 いやぁ、堪能しました。織さんと藤蔵さん、玉助さんの稲荷明神、力強くてとても面白かったです。こういう豪快なの、ものすごくあってる配役ですよね。鍛刀した瞬間にカンストしてそう。
 三味線の手も面白いです。打つところは、鎚を打つ動きに合わせて、丁丁丁って感じに聞こえます。この場面の調子は、これにしか使わない「小狐調子」という調子だそうです。小狐丸のための調子だと思うと、「ぬしさま」って感じですよね←。
 楽日前日にもう一度観に行くんですが、床がよりパワーアップしてるんだろうなって楽しみ。

 大阪も中々厳しい状況で、出かけるのもはばかられますが、幸い頑張れば歩ける距離だし、基本ぼっち観劇なので、対策を取ってお芝居を楽しみたいと思います。


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