高野山に呼ばれた意味


少しずつ
太陽が沈む時間が
早くなって…

寂しいなぁ

って感じるのは
私だけでしょうか?

とにもかくにも
太陽が好きで
太陽をみていると
笑顔になる。

できる限り
日の出と日の入り
どちらも観たくて

一時期は
太陽の動きに合わせて
車中泊していたものです。

だから
太陽が長く空にいてくれると
嬉しくなって
活動的になる
そんな私なのです。

皆様はいかがですか?



タイミング


すべてはタイミング。

それに関して
良いも悪いもない。

必然的なタイミング。

生まれる日時
結婚
出産
死期

すべては
生まれる前に
自らが決めて

いくつかのパターンをも決めて

それに沿って
人生を歩んでいる

という話がありますが
私はその話を
今は信じています。

今となっては…だけど
「なんで自分ばっかりこんな目に遭うの?!」
って感じたり

家族や周囲に
「よくもそんな人生の中強く生きられるね」
って言われてきたので

ドラマになるかもね
本にしたら面白いかもね
って妹に言われるような
この人生は
なんなんだろう?

私の人生の使命は
なんなんだろう?

って悩んできたので

“こういうシナリオ書いてきたのか!”

ってことで納得したのです。

でね
不思議なことに

父が亡くなった日にち
父が余命宣告された日にち

これが
私の生まれた日付なんです。

「そんなのたまたまだよ」

って言って片付けられるかもしれないけど
私には…

父が選び
私が選んだ
その日付に

思えてならなかったのです。


このタイミングで始まり
このタイミングで終わる

私にとってはそんな感じ。


必要な時に御先祖様が呼んでくれる

ということで
今回私が高野山に行くことになったのは
偶然ではないなぁって
感覚で思ってます。

不動坂での氣付きは前回の記事通りですが

奥の院では
不思議なことに
門をくぐってすぐに出逢ったのが
私の実家の土地を
開拓した人たちのお墓。

これは私が入口すぐにあった!
と思っていますが
他の人の場合には
その方に必要な人のお墓がある…

そんなパラレル自由自在の場所。
という氣もしています。

そして
私は父方も母方も
途中で貰われてきた…という御先祖があり
ルーツを辿ることは難しいのですが

それでも母の旧姓の苗字の
大きなお墓も
すぐに見つかって

なんとなく
“あなたは御先祖様たちに護られているよ”

というお知らせだったようにも
受け取ることができました。


先祖を忘れた時孤独を感じる


私はアスペルガー ASD HSPを含む
発達障がいグレーゾーン
と診断されており

特徴の中に
“一般の人よりも強い恐怖心をおぼえる”

というのがあります。

そう
これは本当に診断されて助かった特徴の一つ。

なぜなら
昔から
一つのことに恐怖を抱いたら
引きずって
その恐怖心をなん度も反復して
勝手に恐怖のなかにいる

というところがあったのです。
だけど周りからは
「なんでそんなことでビビってるの⁇」
と言われておりましたので。

理解してほしいとはいわないけれど
知ってほしかった
というのが本音。

そんな私が
ここ最近“感謝を知りたい”
と思えた時に
同時にわかってきたことは

“自分にはルーツがない
それは誰からも理解されない
必要の無い
存在価値も無い”

と謎のネガティヴイメージを
勝手に抱いていた

ということ。

けれども
私が存在するまでには
代々継いできてもらったものが
必ずある
(地球での生まれ変わりが少ない場合には宇宙に家族がいるというのも信じている)

今も
曽祖父母よりも先は
辿れないのは現状としてあるけれど

それでも繋いできてくれた人たちがいる
この日本を守ってきてくれた人たちがいる


奥の院の
沢山の慰霊碑をみては
手を合わせ
想うことができたのです。

そして

もしかしたら私以外の人も

“御先祖の存在を忘れた時に
孤独や寂しさ
無力感や無価値観
自己否定を感じてしまうのかもしれない”

と思ったのです。

誰とも繋がっていない
と感じたとき。


誰とも繋がりのない人はいない



色んな情報が飛び交う世の中で
誰かと比べることが当然で

誰かになろうとして

何者かになろうとして

どこにも辿り着いていなくて

だから私は存在する価値が無い

そうやって思ってしまう
その世界に生きている私たちが
御先祖様たちとの繋がりを感じることは
難しいといっても過言ではない
そう感じています。

全てが切り離された状態であるから。

コンビニのお弁当を
毎回食物連鎖や食、自然を育んだ
見えない力にまで辿ることができる人は

どれだけいるだろうか?


と。

それと同じように
私たちの便利になった生活には
これまで私たちの命を繋いできてくれた
想いのある物に触れる機会が
多く残されていません。

けれど
ひとりで生まれてきたわけでもなく
両親の前にはまた両親がいて
そのまた上にも両親がいる。

これが私。

その沢山の両親たちを
御先祖様、神様
と呼ぶのならば

私たちが
御先祖様に想いを馳せた時

“ひとりじゃない”

って思わせてもらうことができるなぁ

感じてならないのです。

ひとりだと感じてきた私だから
ありがたいんです。

見えないけれど
ここに存在するために
サポートしてくれている人たちが
いたんだなぁ
いるんだなぁ
って
肌身で感じたら
それが勝手に
“感謝”にも変わる。



もっともっと
繋がりを思い出していける人たちが
増えたらいいなぁ。


って思ってます。


それでは
また次回。

最後までお読み頂きありがとうございます。

また遊びに来てもらえたら嬉しいです☺︎


それではまた〜

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