いのちの地層と歴史の倍音。
歴史を地層的な観点から眺めていくのも好きなのだけど(人間が情念たっぷりに色々やってきたぐちゃぐちゃが、地球の地層でみると色の濃淡とか、鉱脈の違いとか、内積物の変化とか、そのくらいのシンプルさでみつめられるのが、地球、って感じでとてもすき。笑)。
倍音、という認知で観じてみると、またちょっと面白いかんじ、と、ふとおもった。
なんでそんな発想に至ったかというと、わたしには、過去世、という感覚は存在しないのだけど(そういう価値観的集合意識・無意識の世界が、輪廻転生システムの世界の構築に、強く作用しているのは知っている)、特定の日によって、時の流れという意味での過去、現在、未来の出来事が、自分を通じて交わるような感覚を、強く感じることがあるから。
その感覚って、なんに似てるのかな?と考えてみたら、倍音に似ているとおもった。
目の前のあらゆること。
目に見えるものも見えないものも、曼荼羅のような意識ででかんじてみる、というのは時々やって遊ぶのだけど、地球史や人類史をハーモニーで眺めてみたら、どんな音楽になるのかな??
わたしは今、地球協奏曲を聴きながら毎日を暮らしてるけど、きっとその倍音には宇宙協奏曲も存在していて、その音階がなんだかすこし、虹の存在に似ているようにかんじた。
人間は、とってもぐるぐるする。
だけど、それぞれの世界に静寂をもっていて、それが自然のなかに現れては、宇宙のkhaosを表現している。
マトモな顔をして暮らしながら、隠している様々が発現したときに大笑いして、そのときはじめて、自らに与えられた生命力を実感する。
何かを通じてひとつにまとめようとすればするほど、それらは反発力をもってバラバラに散らばって世界にあるけれど、バラバラにあるようであっても、線のうえ、旋律のうえに存在しているのだなぁとかんじると、反発、という名の抵抗の力は、それらがちょうど良い距離に散らばるための、ひとつの要素みたい。
そんなイメージが、赤血球たちが酸素を運んでからだ中をめぐるみたいに、わたしのなかをぐるぐるとめぐって、大きく渦を描いてく。
色と、匂いと、味と、触感が合わさった世界のひとつ向こうに広がる、奥行きのような感覚。
倍音の歴史は、わたしにどんなことを教えるのだろう?
そんな師走です^ ^
写真は地元の遺跡の地層。
8万年前までの積み重ね♪
2019.12.8. 日本
地球に暮らす、さやかより♪
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