カウントダウン0の手前は最終出社美
リモートワーク主体となったオフィスは、めいめい自分のスケジュールで週1目安でリアル出社するように、という部署のローカルルールがある。
フリーアドレスの席は埋まっても半分くらいがせいぜいの光景なのだが、今日はいつもよりかなり人が多い。
ということに、ほぼ毎日リアル出社している同僚にお昼前くらいに教えてもらい、気がついた。
「ケィティさんの最終日だから、花パチにでてきてくれている」
(花パチとは、退職者の最終出社日の終業時間に、フロアの一角に関係者が集まり、退職者へ花束贈呈してみんなでパチパチ拍手して送りだす、というフォーマルとアンフォーマルの中間くらいのセレモニーのことを指す、社内用語)
そんなぶったまげるような、まさかの言葉を聞いた瞬間、脳裏をよぎった。
いままでさんざん、他の皆さまの花パチを欠席しまくっていたわたし。
花パチ開催していただくだけでもありがたすぎて畏れ多いのに、この超暑い真夏の一日にわざわざ出てきてくださっている方がたくさんいてくださるとは、欠席していた自分が恥ずかしくてとんずらしそうになる。
いやいや、そんな過去の自分を貶めるのはやめておこう。
それだけいろんな知り合いがいるくらい、長く勤めたってことだし、最後だから会いに来てもらえるくらいの関係性を築けた人が仕事を通じていた、ってことだと、リフレーミングしてみた。
午後からは打合せもなく、最終整理をしながら時間がすぎる。
本当に周りを見渡してみると、顧客先常駐でいつもは見かけない方が午後からいたり、花パチの時間は打合せなのでと前もって会いに来てくれたりとか、メールやチャットでお別れのコメントが入ったりとか、平穏ながらもにぎやかだ。
社内向け退職のご挨拶のメールの宛先を、ひとつひとつ入力していく。
結構時間かかる。この会社に転職・入社以来お世話になった人たちのなんと多いことかとあらためて、ご縁の力を感じる。
今はプロマネとして複数のプロジェクトを掛け持ちでバリバリ仕事をしている、10年くらい前の泥沼プロジェクトでメンバーだったひとりが、「あのプロジェクトは時間的拘束も長くやることいっぱいだったけど、何も考えないで仕事していました。あのときのケィティさんがどんだけ大変な状況で仕事していたのか、今のわたしよりすごい大変な状況だったんだなって、今ならわかります」と話してくれた。
そうなんだ。
その立場・役割、状況になってみないと見えない景色・感じられない感覚ってあるんだ。
それは必ずしも、いずれ同じものを共有するということではないが、あのとき一緒の時間を過ごしたから、時間の経過を経て人同士共有できることが生まれる。
今日、直接話ができたから、新たな学びをもらえ、わたしの糧となった。
最終出社日の花パチは、本当に目の前にたくさんの方々がいてくださり、一人一人との顔をみながら、場をホールドしている感覚がありながらも和やかに終わった。
この会社で何をやったか、どんな成果をあげたか、というのは携わったプロジェクトの数や規模・金額ではなく、ここに集まってくださった方々やタイミング合わず寄せ書きや個別に声かけてくださった方々、本当に人との出逢いと関わり・関係性が教えてくれたのだ。
今日の美しい光景を、心と記憶に刻み、リフレッシュ・リセットの期間に移行する。
To be continued・・・
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