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僕と3.11と福島


3.11なのに、書き残したことのなかった震災当時のことを少しだけ。

当時僕は中二で、育った茨城県鹿嶋市で被災をした。幸いにも被害らしい被害は断水だけで命が脅かされるようなそんなことはなかった。

ただ、よく覚えているのはテレビに映るショッキングな内容と、少しだけヒビの入った家が余震で倒壊するんじゃないかって酷く怯えたこと。



そこからしばらく経ち、今の人生の方向性を決めるような出来事があった。

そのきっかけは茨城を離れて「福島へ進学したこと」だった。
そこで2つのことを身をもって知って、福島の繋がり続ける糸を作ることが出来た。
・サッカーの可能性を知る(サッカーが地域のアイコンとなっていたことを認識できたこと)
・福島ユナイテッドとであったこと
この2点が今でも自分がサッカーを愛して、福島を愛することにつながっています。


福島のチームを好きになり、応援し、現地に行き、そこで交友を深める。
それが今でも私と福島を結び付けています。


大学で私は直接的に復興にかかわることはしませんでした。
(端的に言えばそれ以上に興味のあるものを見つけたからですね)
でも、「フクシマ」を知って、そのうえで福島を離れても福島を想い続け、繋がり続ける。これが自分にとっての震災への貢献だと思い続けています。

栃木から3.11で亡くなった全ての人へ哀悼の祈りと、今なお戦い続ける全ての人が少しでも報われることを祈って。

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