6次産業とか言葉使う人は信用できない

1次産業、2次産業、3次産業という言葉が定義されているので、6次産業という言葉は、そういう用語をつかった一種の冗談であると思うのだが。

その冗談を公の資料とかプロジェクトと使いだしてしまったので、話が変なことになる。

6次産業と言葉をつかってしまうと、じゃあ将来、本当に、4次産業、5次産業、そして、6次産業がでてくきたら、どうすんねん。となる。

まず、1、2、3は、順番を表している。
順番を表しているもの同士を足したり、掛けるのは、そもそもおかしいと思う。

いや、まあ、こんなことを書いても、つまりは単なる冗談なわけで、その冗談を真に受けて、公の文章でつかうのが悪いのである。

6次産業だわーい。なんていっていると、なんか数字が増えた方がいい気がしてしまう印象があるが、もともとの1次、2次、3次産業は、そういった数字が大きとかではなく、「別のもの」だと区分するために書いているのである。

その中で、もっとも基礎となるのが、1次産業であり、自然資源を扱う産業となる。

つまり、いいたいのは、6次とかいって、冗談言葉を公の文章として使うと、1次産業の概念を軽視することにつながるのではないだろうかと懸念する。

まあいえば、1次産業の世界と、3次産業の世界は価値観とか違うわけで、実際のところ、6次産業とかいっているのは、ビジネス寄りの3次産業の発想なわけである。

1次産業の世界はもっと、自然と相対しているので、そんな金を増やしたり、減らしたりとか数字とかどうでもいいのだ。金などない時代からあり、金を使わない動物もおこなっているのだから。

なので、本来6次産業なんてのは、まだ人類未踏の領域で、ないわけで。

現状使われている意味としては、農業経営者(1次産業)が、自社製品づくりや販売流通、飲食、観光サービスなどを行うという話だと思う。それはそれで新しいことなのかもしれないが。

ただ、どうやら少ししらべると、難易度が高く、成功が難しいようだ。これはつまりは、1次産業、2次産業、3次産業それぞれで大きく違うために、すべてにまたがって企業経営するということが難しいということだろうか。

まあ、ほとんどの企業が、そのどれかの領域の範囲でやっていることを考えれば、これらをまたいで経営多角化するのは、相当な手練れでないと厳しいのかもしれない。