ゲームにより学習してしまったことを忘れるのは、たぶん容易ではないと思う。(ゲーム依存性について考えるシリーズ⑧)

ゲームをすると脳を破壊されるというような、大げさな表現だと、そんなのは起こらないよ、と反論されてしまうと、議論がうまくなりたたなくなるだろう。

しかし、現実に、ビデオゲームのし過ぎや、最近の携帯アプリゲームなどで、おかしなことになっちゃっている人達がいるのも事実である。

こういったことをどうやって表現するのかという問題がある

で、思いついたのは、「脳が学習するという機能について、これは、学習する方向に対してはスムーズに働くが、じゃあ逆に、それを学習する前に戻せといわれると、まったくもって容易ではないということ」がいえるのではないだろうか。

つまり、「学習」と「学習前に戻すこと」には非対称性があり、パソコンのファイルを扱うようには、戻せないのである。

そういう立場で考えれば、ビデオゲームをやることで、ビデオゲームにより、プレイヤーは、学習することになる。
ニューロンとかがなんやかんやで色々やって、最初はよくわからなかったゲームも、クリアするころには、スムーズに操作できるようになっているだろう。
アクションゲームなら顕著だし、RPGゲームでも装備の名前、ストーリー、そして、ゲームデザイン的に、何を押せば何が起こるのか、といったそういう関連付けなども学習するだろう。
ゲームソフトとは、そういったプレイヤーがどういう風に学習し、どういう行動をとるのかということをしっかり考えられてデザインされている。

その結果、プレイヤーは、プレイすることで、ビデオゲームを学習してしまうのだ

そして、その学習は、すぐに忘れてしまうように思えるが、それは、単に意識にのぼらないというだけで、ニューロンにはそれらが残っているだろうと思う。記憶として。

そして、やっかいなのは、報酬系に作用すると考えれるからだ、これは、何をすれば何がおこり、わるいことが起こるのを避けて、いいことが起こることをしようといった風な仕組みだ。

ビデオゲームをプレイした人は、最初、マリオがすぐにやられても、すぐに上達して進んでいけるようになるだろう。つまり、学習が起こっている。何をしたらマリオはダメージを受けるのか、何をすればいいのかを学習するからだ。
つまり、ビデオゲームは、画面の中で起こっているが、学習はプレイヤーの頭の中で起こっており、操作する腕や指を動かしている。

当たり前の話だが、明らかに、プレイヤーに影響を与えており、その与え方は、ビデオゲームを終わっても、保持される。

どういうことかというと、マリオをプレイして上達した人は、次の日プレイしても、上達したままなのだ。なんと、脳が学習しており、つまり、ビデオゲームは、脳に影響を与えている。

まあ、当たり前の話だが、なぜか、みんな見落としているような気もする。
つまり、
ビデオゲームをやると、まちがいなく、脳に影響をあたえて、その影響は長期に持続する。

おそらく、10年マリオをやらなかったとしても、当時やっていた人間なら、少しならしただけで、すぐに操作がうまくできるようになるだろう。それほどまでに、しみついている。

つまり、ビデオゲームで学習したことは、10年経っても、すぐに発揮されるほどのレベルの影響だということだ。

考えてみるとやべぇ気がしてくる。

同じように、RPGでも、10年ぶりにリマスターとかやると、当時の記憶がよみがえってきて、ここでこんなイベントがあった気がすると覚えていることだろう。

つまり、この記事でいいたいことは、ビデオゲームで経験したこと、学習したことは、脳が学習しているということであり、それはニューロン的な作用で、長期にわたって記憶化されており、まあいえば、死ぬまで残るということだ。

そして、逆に、それらの記憶を脳から消し去れ、ビデオゲームをやる前の状態に戻せといっても、それは全く不可能なのである。

こう考えると、脳が完成していない子供に、報酬系がデザインされまくったコンピューターソフトウェアを安易に渡すことはよくないことは理解できるだろう。