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ビデオゲームは虚。

子供の頃から、たくさんのゲームソフトをプレイしてきたが。
結局のところ、ほぼ無駄だと思う。

テレビも、Youtubeも、スポンサーにゲーム会社がついているので、ゲームを否定的に語らない。

でも、やはりビデオゲームは、そんなに素晴らしいものではないと思う。

おそろしいのは、こんなに、ゲームなんて無駄だとか、意味ないとか、よくわかっているのにかかわらず、新作ゲームが出たら気になってしまうし、新しいゲーム機がでたら買ってしまいそうになるし、つまり、依存性が高いことだ。

でも、やったところで、別に、たいして得るものがないのである。

おそらく、人生が充実していれば、ゲームをしようがしまいが、気にならないのだろうが、そんなに充実してないと感じているので、ゲーム内でそれを満たそうとする感覚があって、
でもゲーム中はごまかされても、プレイが終わると、虚だったと気づかされてしまうのだ。

そして、ビデオゲームに時間やお金を使うことで、より、人生が充実しないという悪循環におちいるわけである。

そして新しい技術を使ったゲームや、新しいジャンルのゲームや続編ならば、何か得られるのではないのか、と購入して試してみても、結局、やっぱり、ほしかったものは得られないと感じる。

これは、つまり、ビデオゲームに求めるものが間違っているのであり、間違っているから、虚しくなるのだろう。

ビデオゲームが提供しているものを、ちゃんと認識していれば、それが提供するであろうと思っているものと、実際に提供されるものが一致するので問題はないはずである。

つまり、最初から、ビデオゲームは虚だとしっかり認識しておけばいいのだ。

お金を払っても何も得られません。
プレイしても何も得られません。

そう思って、プレイすれば、何も得られなくてもがっかりしないだろう。

しかし、ではなんでそんなことをするのかというと、おかしな話である。

ビデオゲームをすると、悪い影響があるとか、そういった意見は昔からある。
今僕が書いているのは、ビデオゲームをしても結果的に、「何もない」ことをについて書いている。
ビデオゲームしても、ゲーム外で、つまり、現実で何も起こらない。それがやっかいなのである。

何も起こらないのに、何かが起きているように錯覚するようにデザインされている。

何かを体験しているように錯覚するようにデザインされていて、プレイするのはそれを感じるためだろう。

しかし、全部、錯覚なので、結果的に、何もない。

そういうことを書いている。