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僕が大学サッカーをやる理由

京都大学体育会サッカー部4年で副将の酒井雄飛と申します。


僕が大学サッカーをやる理由。

これ、実は一言で言い表すことは難しい。

あまり大っぴらに他人に話したことはないのだが、グチャグチャに悩みながらここまでやってきた僕にとって、それは時事刻々と変化してきた。

少しばかりお付き合いくださると嬉しい。

【大学サッカーとの出会い】

最初は漠然とした憧れからだった。

高校の時、母校の膳所高校サッカー班は京都大学サッカー部と年に1〜2回ほど“リクルーティング試合“というものをしてもらっていた。

大学サッカーや京都大学サッカー部について説明を受け勉強や受験の相談などに乗ってもらった後、実際に大学生と練習試合をやるというもので、高校生の進路の選択肢に京都大学や大学サッカーを入れてもらおうという趣旨のものだった。

いわゆる”井の中の蛙”であった僕にとって、この体験は衝撃的だった。

僕は当時、膳所高校の“文武両道“の校風に浸かり、自ら文武両道を体現していると図に乗っていた。実際、勉強もサッカーもそこそこ上手くいっていた。

しかし、西日本随一の秀才が集まる京都大学にあって、そこにはサッカーにも全力で取り組んでいる人たちが大勢いた。

『あ、俺の上位互換だ』

田舎の進学校でサッカーをしているだけで図に乗っていた自分は、打ち砕かれた。

そして同時に、『いつの日かここでサッカーがしたい』と心の底から思うようになっていた。

それから、高校を卒業し1年の浪人生活を経てやっとの思いで京都大学サッカー部にたどり着いた。

『ようやく憧れの場所でサッカーができる』

僕は胸を躍らせた。

しかし、これは試練の始まりに過ぎなかった。

【最初の2年間】

入部直後から自分は怪我とコンディション不良を連発し、公式戦に出ることもままならない日々が続いた。チームはどうかというと、入部した2018年は関西2部との入れ替え戦で敗北、翌2019年は入れ替え戦にすら進めず関西3部残留。

結果を出せないトップチームに加え、できて当たり前のことができないBチーム、グループリーグを突破できない新人戦チーム、シーズン中に主力が退部していくなど、明らかに良くない組織のそれだった。

何より、1925年の創部以来“学生主体”を掲げ続けてきた組織であるのに本当に主体的な人間はごく一部に限られるという、許せない側面もあった。

こんな調子だから、全くもって高校時代に憧れたような組織ではなかった。

それでも、来年こそ昇格できるだろう、来年こそリーグに出られるはずだと、なんとなく練習を続けていた。チームや自分の現状に対する違和感はあったような気がするものの、本当の意味で“気づいて”いなかった。

サッカーをただやるだけの状態だったこの頃の自分にとって、大学サッカーをやる理由は特になかったのかもしれない。

高校の頃抱いた憧れは、知らぬ間に消えて無くなっていた。

僕は体育会サッカー部の部員で、サークルとは違う。単位もしっかり取っていて、勉強と部活を両立している。他の部員とも違って、僕は主体的に活動に取り組んでいる。

そんな表面だけを見て、実際は大したことをしているわけではないのに、現状に満足していた。

そう、高校の時とさほど変わらない、“井の中の蛙“だ。それに気づけていなかった。

【世界が変わった3年目】

さて、転機は昨年2020年、新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた春の時期だ。

3回生になった自分は、新歓隊長として新歓に臨んだ。

京都大学にはスポーツ推薦がないため、新入部員を獲得するためには勧誘をしなければならない。

新歓では、組織の魅力やこれからの可能性を言語化して伝える必要がある。

そもそもそれ自体簡単なことではないが、ましてやコロナ第一波の真っ只中だ。練習参加はおろか、対面でのアプローチは全面不可。ZoomによるオンラインでのプレゼンやSNSの投稿など限られた方法でしか勧誘ができない。

ここで、僕は困ってしまった。

『何も伝えられることが無い』

対外的な言語化を迫られて僕は初めて“気づいた”。

周りの部活が明確な魅力を新入生に伝えているのに対し、僕の口から出てきたのは“学生主体”とか“文武両道”とかいう上っ面の見栄を張ったような、中身の無い言葉だけだった。

新歓隊長がこれでは“京都大学体育会サッカー部“という組織に憧れて入部を決める新入生など現れない。実際、サッカーが大好きなプレイヤーたちは集まってくれたが、スタッフの獲得は僅かになるなど厳しい結果を叩きつけられた。

そして何より、盛らなければ組織の魅力を語れないような自分に失望した。

この時、自分がサッカーをしたいからとか、単純にもっと上手くなりたいからとか、自己で完結するような“サッカーをやる理由“は捨ててしまった。

退部することも考えた。魅力のない組織にわざわざ身を置いておく必要はない。僕がサッカーをやる場所は、京都大学サッカー部でなくても良くなったのだ。

【4年目、井の中の蛙は大海へ】

しかし、

しかしだ。

その時僕の目の前には、期待に胸を膨らませた新入部員たちがいた。彼らを蔑ろにできない。彼らに自分と同じ思いをさせたくない。

今年だけではない。来年も、再来年も。その先も。

これからの京都大学サッカー部を担う未来の戦力たちに、自分と同じ思いをさせたくない。

それと同時に、この現実から目を背けることは、単なる逃げだ。甘えだ。

自分の機会損失になるから組織を抜ける、確かにそれもまた一つの正解となりうるだろう。

しかし、そんなことをする自分を見たら、憧れを持って京都大学を目指していた頃の自分ががっかりするのではないか。

ここで逃げるわけにはいかない。

再び、京都大学サッカー部でサッカーがしたいと思ったと同時に、もっと自分が強くなって、この組織を根っこからポジティブにひっくり返したいと思うようになった。

そこからは必死だった。

とにかく時間がない。2020年は飛ぶように過ぎていった。数えきれない数のミーティングを重ね、年が明け自分たちの代のチームをなんとか始動させ、ここまでやってきた。

今、『関西3部優勝』という成果目標と『京大サッカーに熱狂する』という理想像に向かって進む長い旅の真っ只中だ。

どれだけの時間とお金と努力をサッカー部に、サッカーに費やしたかわからない。自分のコンディションが悪いとか、怪我をしてしまったとか、テストや研究室で忙しいとか、大学院入試が近づいてきたとか、周りに同じ目線の人が少ないとか、言い訳の材料は腐るほど出てきたが、全て自分の成長材料にした。

食事、睡眠、トレーニング、タイムマネジメント、、、全てが人生最高の状態にあり、その前提のもとで、

誰よりも部にコミットしているという自負があるし、

歴代のどの副将にも無かった価値を部にもたらしているという自信があるし、

僕がこれからの京都大学サッカー部の礎を築く人間になるという確信がある。

2021年、僕の4年目の大学生活は、まだ短い人生の中で最大の修羅場である。

良い現実も悪い現実も、全てを成長材料として受け止め、真摯に向き合い、根っこからポジティブにひっくり返す。それを自己だけでなく、組織のスケールでもやる。

この組織と誰よりも向き合い、愛しているのは間違いなく僕である。

僕が大学サッカーをやる理由。

それは、この京都大学サッカー部に“存在すること自体“だ。

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