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私が大学でサッカーをやる理由

こんにちは。立命館大学サッカー部1回生の阿部寛大です。
まずは、このような文章を書く機会をいただき感謝しています。自分なりに大学サッカーへの想いを文章にしたので最後まで読んでいただけると嬉しいです。


「私が大学でサッカーをやる理由」
それは「後悔」「恩返し」

自分は新潟県の「阿賀FC」というチームでサッカーを始めた。練習は週2日だったが、それ以外の日もほとんど毎日ボールを蹴る生活を送っていた。本当にサッカーが大好きだった。「上手くなりたい」この一心で毎日暗くなるまで家の庭でボールを蹴っていた。自分のサッカー人生の原点になる時間だ。

中学生の時は「EPOCH横越」というチームでプレーした。自分はこの3年間で大きく成長することができた。チームメイトの存在が大きかった。スピードとフィジカルが武器のストライカー。パスセンス抜群の司令塔。誰よりも走ってチームを鼓舞するキャプテン。ライバルともいえる仲間たちに出会うことができた。このチームでのプレーは本当に楽しかった。仲間たちと切磋琢磨した3年間はかけがえのない時間になった。

中学3年の夏、進学先を考えていた時に福島県の尚志高校から声をかけていただいた。悩んだが、最後は親が背中を押してくれて福島に行くことを決意した。「選手権で点を取る」という目標を掲げてスタートした3年間は自分が思い描いていたようにはいかなかった。1年生の頃はルーキーリーグでも出場機会を掴み順調に目標へと向かっていた。しかし、2年生になるとトップチームで試合に出場する同級生も増えていくなかで自分は全くトップチームに絡むことができなかった。そして迎えた最終学年も新チームの立ち上げ時にはトップチームにいたが、気が付けば下のチームに落とされていた。そこから自分がトップチームに呼ばれることはなかった。チームは10月の選手権県予選で敗れてしまい自分の高校サッカーが終わった。

試合終了のホイッスルを聞いたとき、自分がピッチに立てなかったことの悔しさよりも、自分を応援してくれていた人たちや支えてくれた家族への申し訳なさで頭がいっぱいになった。新潟に帰るたびにたくさんの人が声をかけてくれた。「頑張れよ」「テレビ出ろよ!」「応援してるぞ」そんな言葉がいつも自分のモチベーションになっていた。また、両親は自分がサッカーを本気で打ち込むためのサポートをしてくれた。私生活でも何一つ不自由のない生活を送らせてくれた。祖父はスパイクを買ってくれた。姉や弟には俺のせいで我慢をさせてしまったことが何度もあっただろう。


それなのに。
自分は何も結果を残すことができなかった。ピッチにすら立てなかった。3年間努力してこなかったわけじゃない。だけど、もっと何かやれたことがあったんじゃないか。後悔が残った。このままサッカーをやめたらもっと後悔が残るのではないか。そんなことが頭をよぎった。

推薦入学が決まってから、大学でサッカーを続けるかは迷っていた。しかし「このままじゃ終われない」「4年間もう一度本気でチャレンジしたい」
この日からそんな想いが強くなっていった。


「結果を残して恩を返す」


これが自分の4年間での目標だ。活動が開始した2月から充実した時間を過ごせている。もう後悔はしたくない。このチームには刺激しあえる仲間がいる。お手本になる先輩がいる。成長できる環境もある。目に見える結果を残す。Iリーグ関西優勝。全国優勝。トップチームで試合に出る。点を取る。
自分はプロを目指しているわけじゃない。それでも、大学サッカーに自分なりの強い想いを持っている。4年間本気で挑戦していきたい。応援してくれる人やお世話になった人に結果という形で恩返しをする。

最後まで読んでいただきありがとうございます。目標に向かって4年間頑張ります。応援よろしくお願いします。

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