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13 月に群雲 花に風

01 居待ち月
12 星の紛れ

 隣村に住むアーロイスという名の少年が村と村を隔てる川に落ちて死んだのは、降誕節も近い安息日の午後のことだった。
 その日は待降節ということもあって隣村からも村人達が大勢ミサに参加しており、アーロイスも親に連れられてやってきた一人だったのだろう。姿が見えなくなったという話が出たのが午後一時過ぎで、川の中で見つかったという知らせが入ったのはもう日が傾き初めてからだった。
「クリスマス前だってのに辛気くさい話だな」
 冷たくなってしまったアーロイスを川から引き上げたのはディーターとトーマスの二人で、ディーターはこのような事態を経験しているということで自分から進んで川の中に入り、子供とは言え遺体を引き上げるには見かけに寄らず体力と腕力がいるということでトーマスがそれを手伝った。幸いと言うべきか遺体はさほど深いところにはなく、ディーターは膝ぐらいまで水に浸かりアーロイスの体を岸に引き寄せられた。
「おい、ジムゾン! 子供達はその辺にいないだろうな!」
「大丈夫です、皆レジーナさんの所にいますから」
 少し高めの川岸からジムゾンがカンテラであたりを照らす。
 ディーターは川からジムゾンのいる所を見上げた。隣村から来ていた子供達も皆自分達の家に帰され、ジムゾンの側にはアーロイスの両親が呆然と立ちつくしている。そこから少し離れた所にヴァルターとパメラが毛布を持って立っている。
 その様子を確認し、ディーターが冷たく硬い体を持ち上げようとしたときだった。
「ん……?」
 アーロイスの硬く握った右手には何かが掴まれていた。それはカンテラの灯りでは暗くてよく見えないがどうやら紫水晶のようで、そしてアーロイスが持っているその水晶にディーターは見覚えがあった。
「どうした、ディーター?」
 トーマスが覗き込もうとするのをディーターは得意のポーカーフェイスで首を振り、掴んでいた水晶を無理矢理引きはがしそっと自分のポケットに入れた。
「いや、光の加減で一瞬生きてるように見えたんだ」
「これだけ綺麗な顔ならそう思う気も分かるがな」
 トーマスの言う通り、アーロイスは苦しんだ様子のない安らかな死に顔だった。溺れて死んだにしてはその表情は誇らしげにも見える。
「ガキが誇らしげに死ぬ理由があるかね」
 ディーターは誰にも聞こえない声でそっと呟く。
 これは自殺ではない。無論簡単な事故でもない。
 裏に何かが絡んでいる。自分がポケットに放り込んだ水晶が、おそらく何もかも知っている……。

 アーロイスはミサの後、川に近づき誤って足を滑らせて落ちたのだろうということになった。隣村の子供達の話では、アーロイスは綺麗な石を集めていたようで、よく川に一人で近づいたりしては大人に怒られていたらしい。今回もおそらくそんな風に石を拾おうとして滑り落ちたのだろうと、アーロイスの両親は涙ながらにそう言った。
「どうしてこんな寒い季節の川なんかに……」
 アーロイスの柩の前でジムゾンが悲痛そうな表情をする。それは本当に死を悼むものであり、自分が人狼だなんて一つも思っちゃいない聖職者の顔だ。ディーターはそれを見ながら煙草の煙と一緒に溜息をつく。
「川や砂浜に行くとたまに翡翠とかが落ちてるんだよ。俺もガキの頃はそれを拾って日銭にしたもんだが、それとはちょっと違うだろうな。ここの川にそれほどそのガキが夢中になるような石が落ちてるとは思えねぇ」
 そう言うとディーターはポケットに入っていた六角形の水晶のかけらをジムゾンに見せた。それはランプの灯りを通し、危ういように儚いすみれ色をしている。
「それは?」
「紫水晶だ。うまく結晶で出てくるとこうなる。なあ、この辺は水晶が取れたり、鉱山があったりするか?」
 するとジムゾンはゆるゆると首を振った。ディーターが何を言おうとしているのか、少しずつ確かめるようにゆっくりと。
「いえ、そんな話は聞いたことがありません。鉱山があれば流行病があったとしても、ここはもっと大きな街になっているでしょう」
「分かった。それだけ聞きたかったんだ」
 ディーターは石床の上に煙草を落とし靴で踏みつけたあと、吸い殻だけを拾った。そしてジムゾンの方を見て真剣な表情をする。
「いいか、お前等の狩りの練習は予定通り隣村でやるからな。人が一人死のうが、ちょっとぐらいのトラブルがあろうが変更する気はねぇ。あと、このくたばったガキに関して何か知ってることがあったら教えろ」
 ディーターの表情は狩りをする人狼そのものだった。迂闊なことを言えば仲間すらも踏み台にする……ジムゾンにその勇気はないが、ディーターは狩りを上手くやるためならどんなことでもやるだろう。そしてそこで嘘を吐くことは許されない。
 ジムゾンは深く溜息をついた。
「アーロイスは、ミサに来るたびによくリーザにちょっかいを出していました。髪を引っ張ったり、背中に虫のオモチャを入れたり……多分気を引きたかったのだと思います。時折リーザに珍しいお菓子を押しつけるように渡したりしてましたから。私が知っているのはこれぐらいです」
「それだけ聞けば充分だ」
 ディーターはジムゾンの言葉を遮ってニヤッと笑った。
 多分自分が考えている事は事実だ。その事実は普通に考えればきっと「あり得ない」事なのだろう。だが自分達が人狼だということが「あり得ない」ならば、アーロイスが死んだ原因の方がよっぽど「あり得る」話だ。
「さて、と」
 ジャケットを羽織り、ジムゾンから借りた靴をディーターは履いた。いつも履いているブーツはアーロイスを引き上げるときに濡らしてしまった。ズボンの替えはあったから良いようなものの、靴をこんなに濡らすとは思ってもいなかった。冬をここで過ごすつもりなら靴の替えも考えておく方が良さそうだ。
「ディーター、お出かけですか?」
「ああ、ちょっと出かけてくる。アルビンに会ったら俺が履ける靴があるかも聞きたいしな。お前の靴ずっと借りて履いてたら、つま先が痛くなりそうだ」

「ペーター、ちょっといいか?」
「何? ディーター兄ちゃん」
 ペーターはレジーナの宿屋でココアを飲んでいるところだった。だが、あたりにリーザの姿は見えない。ディーターがきょろきょろしていると、ペーターは何かを察したのか少し不機嫌そうな声で「リーザならニコラスの部屋だよ」と言った。
「いや、今日は用があるのはペーターだけだ。もしよかったらちょっと外出ないか?」
「いいよ。ちょっと爺ちゃんに散歩してくるって言ってくるから」
 ペーターは自分が飲んでいたココアのカップを台所にさげてからモーリッツの所に行き、マフラーと帽子を被ってディーターの前にやってきた。
「何かクリスマスマーケットに行くみたいだね」
「二人で行ってもいいなら行くか? まだやってるんだろ」
 ディーターの言葉にペーターはにこっと無邪気に笑った。
「じゃ、二人で行こうよ。話すことがあるなら歩きながらお話ししよう」
「ああ。そうするか」

 結局隣村に行く間、ディーターとペーターは他愛もない話しかしなかった。アーロイスのことにも触れず、今日のクリスマスマーケットはオットーぐらいしか店を出してないとか、リーザやジムゾンにお土産を買っていこうとか、そんなことばかり話していた。
 ディーターが話を切り出すチャンスはいくらでもあった。だが、いきなり本題に入ったところでペーターが素直に話してくれるとは思えない。ペーターは見た目無邪気で裏のない感じがするが、ディーターはその光の部分になにか違和感を感じていたのだ。
 光が強ければ、その影は同じように強く、暗い。
 ペーターにはまるで月のように隠している「影」の部分があるように思えるのだ。
「今日はお店少ないね」
「まあな、今日は安息日だし、ガキも一人死んでるからそれどころじゃない店もあるだろうさ」
「そうだね。アーロイスってば川に落ちたんだっけ?」
 ペーターはディーターに買ってもらったアーモンドの飴がけをかじりながら人の波をすいすいと渡っていく。
「このクソ寒いときに水泳なんかしたら、一瞬で死ねるだろうな」
 そう言ったときに通りがかったのは、水晶やガラス球などが売っている店だった。そろそろ本題に突っ込もう。確かめたいことは山のようにある。
 ディーターはポケットから紫水晶を出してペーターに見せた。
「なあ、この紫水晶……この前皆で来たときにここで買ったやつだろ?」
 ペーターはそれを見た後下を向いて一瞬考えたような仕草を見せたが、顔を上げたときにはもう笑顔だった。
「うん、そうだよ。僕なくしちゃったかと思ってずーっと探してたんだ。見つけてくれてありがとう」
 その笑顔で確信した。
 ペーターは全て分かってやっている。
 善と悪とかそんなものではくくれない、ペーター自身の正義に従って生きている。そしてそれに触るようなことがあれば、ペーターは迷いなく自分の正義に忠実な鉄槌を振り下ろすだろう。
 ディーターの背中を冷たい物が走った。これは、ひょっとすると人狼よりももっととんでもないものに関わってしまったかも知れない。
「…………」
 ディーターはその紫水晶をヒョイとペーターの手の範囲から避けた。これを渡してはいおしまい、というわけには行かないのだ。
「ペーター、正直に話せ。お前この水晶を何にどう使った?」
「えへへっ、やっぱディーター兄ちゃんには気づかれると思ったんだよね」
 他愛ないいたずらを見つかった時のようにペーターはニコニコと笑っている。
「全部話すよ。ディーター兄ちゃんはこれを皆に絶対言わないだろうから」
「何でそう思う?」
 煙草をくわえたディーターに、ペーターはどこからともなくマッチを差し出した。ディーターがそのマッチと紫水晶を取り替えると、ペーターは手にしたそれを大事そうに手に包み込んだ。
「それが僕のだってすぐ分かってたなら、もっと前に皆に言ってるはずだもの。でもディーター兄ちゃんは誰にも言わなかった。だからそう思ったんだ」
 返事の代わりにディーターは口から長く煙を吐いた。

 ……隣村との境にあるあの川は、結構浅い所もあって流れも緩やかなんだ。夏なんかは魚取りとかも出来るぐらいなんだよ。今の時期橋以外に近づいちゃダメって言われるのは、山から流れてくる水がものすごく冷たくなるからなんだよ。
 僕、ずっとアーロイスのことが大嫌いだったんだ。
 だから丘の裏になってるあの川のほとりから、四つんばいになって右手の先がギリギリに届くぐらいの場所にこの紫水晶を置いたんだ。流れが緩やかだからこれも流れていかないし、頑張れば指先には触れられるもんね。置くときはちょっと濡れちゃって冷たかったけど。
 で、ミサが終わった後アーロイスに「この前一人で丘の向こうに行ったとき、あの川に綺麗な石が落ちてたのを見たよ」って、そっと教えてあげたんだ。
 ミサが終われば皆バラバラに帰るし、レジーナさんの宿屋で集まってお話ししたりするしね。それにアーロイスはいつも先に一人で帰っちゃうから、皆も居なくなってもそんなに気に留めないんだ。僕は一緒に行ったら目立つから、先に行って待ってて、アーロイスがきたら石のある場所を教えるって。
 そしたらね、アーロイスってばすごい一生懸命石を取ろうとしたんだ。僕それが可笑しくて、手伝う振りして背中からドン! って……。

 ドン! と手を突き出す仕草をしたペーターに罪悪感は全く見られなかった。それどころかその一瞬で心臓マヒを起こしたであろうアーロイスが動かなくなった事を確認し、そっと別の道から帰るという冷静さも持ち合わせている。
 ディーターはペーターの持っている菓子袋から飴がけのアーモンドを何個かかじりながらその話を聞いていた。確実に殺意があったのは分かった。だが、その殺意は本当に自分が思った理由なのだろうか。
「なあ、ペーター。何でお前はアーロイスを殺そうと思ったんだ? ただ嫌いだからって訳じゃないだろ」
「何でって? だってあいつ、ミサとかで村に来る度にリーザをいじめるんだもん。だからいなくなったらリーザが喜ぶかと思ったんだよ」
「なるほどな」
 やはりリーザか。ディーターはそれが分かって少しだけほっとした。
 理由のない殺意や、愉快犯ほど厄介なものはない。もし単に面白そうだから殺したとか言う理由だったら、狩りの練習はペーターから開始しなければという危機感がディーターにはあった。そんな人間が村にいるのは危険すぎる。
 そしてもう一つ聞かなければならないこと……ペーターは自分達が人狼だと言うことを知っているのだろうか?
「なあ、正直に言え。お前は何処まで知ってる?」
 ディーターの問いにペーターは小首をかしげた。質問の意味するところが分からないのか少し考え込んでいる。
「うーん、どこまでって言われても困るんだけど、リーザがよく一人で草むらにいる事とかかなぁ。ディーター兄ちゃんと神父様が一緒にリーザの所に行ったのも見てたよ。その時のリーザはすごく嬉しそうだったから、よかったなって僕は思った」
 ディーターにはだんだんペーターの真意が見えてきた。ペーターは別に人狼に手を貸そうだなんて全く思っていない。それどころかこっちが人狼だなんてちっとも分かっていない。
 ペーターは、ペーターの正義と信念に従って生きている。なら後は核心に迫るだけだ。
「じゃ、お前の望みは何だ?」
「ディーター兄ちゃんさっきから難しいことばっか聞くよね。僕はリーザがずっと村にいてくれて、リーザが幸せになればいいって思ってるよ。リーザが僕の側にいてくれたらいいんだ。だから、ディーター兄ちゃんがリーザを何処かに連れて行こうとするなら、僕は絶対許さない」
 それは明らかに敵意を含んだ物言いだった。ペーターが今日やったことを考えれば、リーザのためなら人を殺すことすら辞さないのだろう。無論ディーターにそんな気はさらさらない。
「それは絶対しない。その代わりこれから俺達がやることにも目をつむれ。それがお互いの約束だ」
「取引じゃないの?」
 その言葉にディーターはペーターの頭をくしゃくしゃと撫でた。全く、どこでそんな言葉を覚えてきたのやら。
「男と男の約束だ。お前はもう一人前のリーザのナイトなんだろ? それを子供だましの口封じなんてのは俺が俺を許せねぇからな」
 ペーターはじっとディーターの顔を見つめた。それは真剣で、何もかも見透かしそうな瞳だ。無論ディーターもそこから視線は逸らさない。
「うん、分かったよ。でも一つだけ僕からお願いしてもいい?」
「何だ? こっちの首が絞まらない程度の頼みなら聞いてやる」
 ペーターがディーターの耳に囁いた言葉に、ディーターはニヤッと笑って頷いた。

「『月に群雲 花に風』って言葉知ってるか?」
 ベッドに座ってつま先の靴擦れに薬を塗りながらディーターがジムゾンに問いかけた。ジムゾンの靴を履いたまま、ペーターとあちこち歩き回ったのが良くなかったらしい。ジムゾンはディーターの隣でそれを心配そうに覗き込んでいる。
「あれですか? 月が出ていれば雲に隠され、花が咲けば風に飛ばされる。世の中は思うようにいかない、って意味合いの言葉ですよね」
「そうだな。全く、思うようにいかないな」
 ペーターからの願い。
 それは『ニコラスをこの村から追い出すかどうにかして。ディーター兄ちゃん達がやらないなら僕がやる』
 リーザが何を思ってニコラスの側にいるのかは分からないが、ペーターはおそらく本気だろう。ニコラスがそれを察して旅立っていけばいいが、レジーナから聞いたところではアルビンと一緒に年明けまでこの辺にいるらしい。それが本当ならばペーターは何をしでかすか……下手するとこっちの身が危うくなることもあり得る。
「味方は近くに置け。敵はもっと近くに置けって言うが、あんな恐ろしいのを味方に付けなきゃならんとはな」
「何か言いました?」
「いや、考え事だ」
 群雲がかかろうと風が吹こうと、月は月だし花が花であることに変わりはない。
 ペーターがどんな考えを持っていようと、ペーターがペーターであることに変わりはない。だが……。
「本気で計画立てねぇとな。ちっ、面倒なことになってきたぜ」
 ディーターは布団にもぐりながら狩りの練習と、村襲撃の計画を立て始めた。

14 月長石


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