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罪人達の船 第十三章

罪人達の船 第一章
罪人達の船 第十二章

 生きたいと思わねばならない。そして死ぬことを知らねばならない。
 ナポレオン

 あれから春が来て、夏が過ぎた。
 あの後僕たちは吹雪の中半日以上かけて街道に出て、なるべく村から遠くて大きな街へ出ることにした。
 近場の街の方が銀細工の工房を持たないかと声を掛けてくれた人や、僕の作品を買ってくれた人たちも多くて生活するには都合が良かったけれど、僕たちはあの村からなるべく離れることを選んだ。
 全く知らない街、知り合いもいない場所で暮らすのは不安だったけれど、それでも出来るだけ遠くへ、遠くへと馬車を進めた。
 人狼の噂が聞こえないほど遠く。そうしているうちに、僕たちはある大きな街に着いた。
「また、よろしくお願いします」
 僕は出来上がったばかりのネックレスを箱に収め、上品な身なりの夫人に手渡した。村にいた頃は作ったことがないような細かい細工の多い物だったけれど、出来上がりを確認したその表情からは完成品に満足している事が分かった。
「こちらこそ。貴方の作った銀細工は、晩餐会でもとても評判がいいのよ。そうそう、こちらではネックレスなんかの修理もして下さるのかしら」
「はい。元の形が分からなければ、僕が一からデザインすることになりますが」
 この街にたどり着いた後、狭いながらも何とか皆で一緒に暮らせる場所を見つけた僕は、自分が持って来た銀細工を売ったお金を元手にして、小さな工房を開いて暮らしている。
 幸いこの街は国境が近くお金に余裕のある人が多いということと、アルビンがこの街にも銀細工を売りに来ていたようで、皆で食べて行くには全然不自由しないぐらいの稼ぎは得られている。村にいた頃よりは忙しいけどそれも仕方がない。
「そう。じゃあ今度お願いに伺うわ。ごきげんよう」
「ありがとうございました」
 頭を下げて見送って振り返ると、リーザがそっと僕の方を見ていることに気がついた。
「どうしたの、リーザ」
「ううん。これからヴァルターさんとお出かけしてくるから、ヨアヒムお兄ちゃんに言っておこうと思ったの」
「そうかい? 気をつけるんだよ」
 ヴァルターさんはあの時の傷の後遺症もあるのか、今は仕立屋を引退してペーターやリーザに勉強を教えていたりしている。手先の器用なリーザは裁縫が上手なようで、楽しそうに小物の作り方を教えているヴァルターさんを見ていると本当に親子なんじゃないかと思うぐらいだ。
「ヨアヒム兄ちゃん、僕何か手伝うことある?」
 ペーターは最近、銀細工に興味があるみたいで、時々僕の手伝いをしてくれている。そういえば、僕が父さんに銀細工を教わったのも、ペーターぐらいの年の頃だ。もう少し注文が落ち着いてきたら、簡単な彫金とかから練習させようかとも思っている。
「今日はもういいよ。リーザと一緒に出かけておいで」
 そう言うとペーターは少し笑って頷いた。何だかペーターは最近急に大人びてきたような気がする。
「うん、分かった。今日はヴァルターさんとリーザと街の図書館に行ってくるよ。クララさんって司書の人がいて、どんな本でもすぐに見つけてくれるんだ」
「そうなんだ。今度、僕も一緒に行こうかな。あ、帰りはパメラと一緒かい?」
 僕の言葉に、出かける準備をしているリーザが振り返る。
「うん。パメラお姉ちゃんを工房に迎えに行って、一緒に市場でお買い物して帰ってくるの」
 この街で女性が一から商売を始めるのは難しいので、パメラは街の仕立て屋であるエルナの工房に働きに行っている。村にいた頃は普段着などを作っていたけれど街ではドレスの仕立てなどをすることが多く、大変ながらもなんだか楽しそうだ。
 帽子を被ったリーザやペーターに手を引かれながら、ヴァルターさんが僕に振り返った。
「じゃあ行ってくるか。ヨアヒム、留守を頼んだよ」
「行ってらっしゃい。気をつけて」

 一人になると、僕は今でも村での人狼騒ぎを思い出す。
 いや、僕だけじゃない。パメラは今でも時々包丁を使うことを怖がったり、夜中に声を上げて飛び起きたりするし、リーザは昼間でも皆の姿が見えなくなると、泣きそうな顔で僕の工房へ顔を覗かせに来たりする。
 ペーターは何もなかったように強がっているけれど、夜にモーリッツの日記を読みながら声を殺して泣いていたりするのを僕は知っている。ヴァルターさんだってケガが完全に治ったとは言い難く、外へ出るときは杖を持つようになった。
 あの後、僕は行商人達の噂であの村の近くがどうなったかを聞いた。
 山間の小さな村々に異端審問官達が行き、その辺りの村は軒並み審問にかけられ容赦なく焼かれてしまったらしい。
 僕たちがいた星狩りの村には生きている人は誰もいなくなっていたけれど、隣村やそのまた隣村には異端審問官達が来たのだろう。
 でも、どうしようも出来なかった。
 ゲルトが殺され人狼が村にいると分かった後、僕たちは世界へと繋がる橋を落としてしまった。だから隣村にもどこにも何かを知らせることは出来なかった。放っておいたらどうなるか知っていたのに、それをしなかった。
 人狼を退治した後、一体どうしたら良かったのだろう。ディーターの最期の忠告を聞かずに、あのまま審問にかけられるのを黙って待つべきだったのか。
 でもそうなったら、僕はディーターの忠告を無駄にしたことになる。それに人狼とずっと一緒にいた僕達を、皆が信用してくれるとは思えない。
 僕に分かるのは、たった一つだけだ。

「……僕も、罪人だ」

 僕は人狼が村にいたことに全く気付かなかった。
 村人を守る守護者だったのに、その存在を悟ることも出来なかった。
 結局、ディーターと神父様、そして誰が人狼だったのか僕はいまだに全然分かっていない。神父様はトーマスが仲間だと言った。ペーターもトーマスが人狼だったと言った。けれどニコラスはペーターが嘘をついていると言った。僕は誰を信じたらいいのか、今でも全然分からない。
 そして、僕達は罪のない人を殺した。アルビンやフリーデルの処刑を止めることもしなかった。
 あの村の中で、誰が一番罪深かったのか。
 人狼であったディーターや神父様だと言うのは簡単だ。でも僕達はその前に病で苦しんでいた神父様を、やんわりと見捨てようとした。感染るのを恐れ、腫れ物に触るように接してきた。そんな神父様を人狼にしたディーターが罪深いなら、僕達は一体何だったのか。
 皆のことが大好きなのにそれを裏切ったと言ったヤコブ。ペーターの為に自分の魂を悪魔に売ってしまったモーリッツ。己の信ずる道の為に罪なき者の処刑さえ厭わなかったフリーデル。
 ずっと二人だけで人狼を殺したという秘密を守っていたオットーとカタリナ。村の皆に『恩を売った』と言い、処刑されることを黙って受け入れたアルビン。自分の目の色の事をずっと皆に隠していたニコラス。
 リーザをずっと預かって、騒ぎが起こっても気丈に振る舞って皆を励ましていたレジーナや、言葉は少なかったけど処刑という嫌な役を引き受けたり、何かあった時は一番最初に行動してくれたトーマスだって皆同じだ。
 僕達は等しく生きようとして、そして同じように罪人だった。ただそれだけだ。
 だから、僕は今でも考える。
 もし……もし、フリーデルが僕たちの村に来なければ、あのままずっと仲良く暮らせていたんじゃないかと。そして春になって村を出て行く人たちを皆で暖かく見送れたんじゃないかと。
 そして、最初に人狼に襲われ殺されたゲルト。
 もしかしたらゲルトは村に人狼がいることを知っていたんじゃないだろうか。今思えば、どうして新年に人狼の話が出たときにあんなにその存在を否定したのだろうか。
 知っているのに黙っていた理由は僕には分からない。ゲルトにはゲルトにしか理解できない、確固たる理由があったのかも知れない。
「………」
 知らず知らずのうちに涙が溢れた。この涙は悔し涙なのか、それとも悲しいからなのか分からない。考え事をしているといつも僕は泣きたい気持ちになる。
 僕は本当に罰当たりなのかも知れない。もし皆が生きていたら怒られるかも知れない。
「それでも僕は……」
 ずっとあの村で皆と一緒に暮らしていたかった。
 それは声にならずに、押し殺した声になって消える。

 ディーターと神父様がどうなったのか、その行方は全く分からない。
 崖下に続く血の痕は見えたけれど、あれからずっと天候が荒れていて崖下を見ている余裕もなかったし、ディーターに言われたように僕達はすぐ村を出たからだ。だから死体も確認していないし、生きているか死んでいるかどうかすらも分からない。
 もしかしたら何処かで生きているのかも知れない。時々そう思うことがある。僕が射た矢は結局ディーターに当たったのだろうか。でも点々と続く血の痕だって、すぐ雪に消えてしまった。
 でも生きているならそれでもいいと僕は思う。
 だから何処かですれ違ったとしても、僕は何も見なかったふりをして通り過ぎるだろう。誰にも危害を加えないのなら、黙っていたって構わない。
「…………」
 この街は大きくて人狼の噂も聞かない。教会に集う人たちからもそんな話を聞いたことがない。たくさんの人達が暮らす、至って平和な街だ。
 まだ僕達の心に残る傷は生々しくて時々その痛みに苦しむこともある。人狼の噂が出始めたのだって、まだ一年ほど前の話なんだから仕方がない。随分昔のことだったような気がするけれど、実際はそれぐらいしか経っていない。
 でも傷は大きいけれど、きっと立ち直れる。そんな気がする。
 もし人狼が出たらその時はまた僕が守ればいい。
 だから、きっと大丈夫だ……。

 秋の冷たい風がドアの隙間から入り込んだ。
「ヨアヒムただいまー。あら、こんなに暗くして。もしかしてお仕事疲れて眠っちゃってたの?」
 その声に顔を上げると、パメラがリーザに手を引かれて家の中に入ってくる所だった。どうやら考え事をしているうちに少し眠ってしまっていたらしい。
「あ、ごめん。気がつかなかった」
「もう、風邪ひくわよ」
 ヨアヒムは慌ててランプに火を付け、泣いていたことに気付かれないようごしごしと目をこする。
「今日はね、ヴァルターさんとリーザとペーターで夕ご飯作ることになったの」
「クララさんに料理の本貸してもらったんだ。今日はカボチャのシチューだよ」
 ペーターとリーザはパタパタと元気に入ってきて台所の方へ向かい、その様子をヴァルターが目を細めて見つめている。
「お父さんも無理しなくていいのよ。外に仕事に出てるって言っても、そんなに疲れてる訳じゃないんだから」
 心配そうなパメラにヴァルターは困ったように小さく息をついた。
「ペーターとリーザもそろそろ料理を覚えていい歳だ。それに、私もたまには何かしないと鈍ってしまうからな。それとも私の料理は不安か?」
「もう、言いだしたら聞かないもんね、お父さんは。だったらお言葉に甘えてヨアヒムとゆっくりしちゃおうかしら」
「じゃあ、お茶でも入れるよ」
 缶から茶葉を出し、ヨアヒムはポットにお茶の葉を入れた。ふと見るとパメラの胸に月長石のついたペンダントが光っているのが見える。それは人狼の噂が出始めた頃、クリスマスプレゼントに作って渡した物だ。
 そういえば、あの騒ぎの間もパメラはずっとペンダントをしていてくれた。どうしてそんな事まで忘れていたのか。自分に呆れつつもヨアヒムはパメラの目の前にカップを置く。
「はい、今日もお疲れ様。お茶が出るまで少し待っててよ」
「ありがとう」
「どう? エルナの仕立屋は」
 そう聞くと、パメラはカップを指でなぞりながら安心したようににこっと笑う。
「舞踏会シーズンとかはドレスの仕立てとかが多くて結構大変。でも縫製の勉強にもなるし、エルナとは歳が近いから楽しいわ。ドレスって見てるだけでも素敵で目の保養になるのよ。流行りのデザインも分かるし。あ、端切れのレースとかももらったりしてるの。今度リーザの服とかにつけてあげようと思って」
 慣れない土地で暮らすことに少し心配していたのだが、それは杞憂だったらしい。パメラは村でも腕の良い仕立屋だったので、ここに来てもその技術は生かされるだろう。その様子にヨアヒムはほっとする。
「そう言うヨアヒムはどうなの? 忙しすぎて疲れてない?」
「僕はあまり変わらないよ。それに今までが遊びすぎてたんだよ」
「ならいいんだけど」
 パメラがカップから手を離して立ち上がった。そして外に見えるショーウィンドーに近づいていく。そこには黒いビロードの布の上に、銀のティアラが乗せられていた。
「ヨアヒムが村から持って来た銀細工、もうこれしか残ってないのね」
 そう言って頬笑んだパメラは何故か寂しそうだった。ヨアヒムが持って来た銀細工は売って生活の足しにしてしまったが、これだけはずっと残していたのだ。
「うん、それは売り物じゃないから」
 言うなら今しかない。
 ヨアヒムは立ち上がりそっとティアラを取ると、それをパメラの頭に乗せた。
「これは、最初からパメラに渡すつもりで作ってたんだ」
「えっ、どういうこと?」
「その、あの……結婚を申し込むときに」
 そう言ったヨアヒムは耳まで赤く、その様子にパメラが笑いながら、じわっと涙ぐむ。
「ヨアヒムってば、本当に私でいいの?」
「本当にって……」
「ふふっ、冗談よ。来年の春になったら結婚しましょう。お父さんも絶対許してくれると思うわ」
 パメラを抱き寄せ、ヨアヒムは小さく呟いた。
「うん、皆の分まで幸せになろう」

「ヨアヒム兄ちゃん、パメラ姉ちゃん、そろそろご飯だよー」
 台所ではリーザがつたない手つきでパンを切っていた。ペーターが皿を並べ、ヴァルターは湯気の上がる鍋をテーブルに運んでいる。
 その時だった。
「痛いっ」
「リーザ?」
 手が滑ったのか、リーザが血がにじむ左手の人差し指を立て、泣きそうな顔をした。ヨアヒムがそっと手を取って傷を見るが、さほど深くは切っていないようだ。
「指切っちゃったの」
「大丈夫かい、リーザ」
 するとリーザは切った指をヨアヒムに差し出した。
「ヨアヒムお兄ちゃん、リーザにおまじないして欲しいの。ケガが早く良くなるようにって」
 その傷口に、ヨアヒムはいつものように笑いながら口を付け、リーザの指ににじんだ血を舐める。
「いいよ。痛いの痛いの食べちゃうぞー。はい、痛いのは僕が全部食べちゃったよ。パメラ、リーザに手当てしてあげて。残りのパンは僕が切るから」
「はーい。リーザ、こっちに来てね」
「最初は失敗するのは仕方がない。次に気をつければいいさ」
 パメラが薬箱を出し、ヴァルターが心配そうに息をつきつつリーザの頭を撫でる。
「ヨアヒム兄ちゃんにおまじないしてもらったから、これでもう大丈夫だね、リーザ」
「うん!」
 その様子に、リーザとペーターが顔を見合わせて、くすっと悪戯っぽく笑った。

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