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03 弓張り月

01 居待ち月
02 二十三夜待ち

 窓辺のカーテンから柔らかな日差しが漏れる中、ヨアヒムはベッドの上で毛布にくるまりながら気持ちよく眠っていた。日は既に高いのであろうが、そんな事はお構いなく幸せな時は続く。
「ヨアヒムー? ちょっとヨアヒム、もしかしてまだ寝てるの?」
 だがそんな至福の時は近づく声や足音と共に突然遮られた。くるまっていた毛布が不意に剥がされひんやりとした空気で飛び起き、寝ぼけた頭で目をこすると目の前には毛布を持ったパメラが立っている。
「ヨアヒムってばもう昼近くよ、いつまで寝てるの?」
「パメラ……勘弁してよ、昨日遅くまで仕事してたんだ。もう少し寝かせて」
 そういいながらベッドに倒れ込もうとしたが、パメラがスッと枕を取り上げたのでヨアヒムは慌てて手で体を支えた。うっかりこのまま倒れ込むと縁に頭をぶつけてしまう。
「ダーメ。せっかくの良い天気なんだからシーツとか洗濯して布団も干さなきゃ。ほらほら、さっさと着替えて」
 ヨアヒムはその言葉に「はぁ……」と溜息をついて、観念したようにのろのろとベッドから立ち上がった。こうなったパメラを止められる自信は全くない。
 彼女はヨアヒムの幼なじみで村長の娘だ。普段は父親であるヴァルターと一緒に洋服の仕立てをやっている。
 自分と同じ年ながら既に自立して立派に農場主として生計を立てているヤコブとは違い、いつまでも熱心に仕事をせずマイペースに暮らしている自分を心配してかパメラはしょっちゅう洗濯をしに来たり、何かと世話を焼きに来る。それがたまに鬱陶しい時もあるが、正直ありがたい部分と嬉しい部分が大きい。それは自分がパメラに好意を持っているからなのだが、それを面と向かって言い出せるほどヨアヒムには勇気がない。
 服を着替えて小さな居間に出ると、テーブルの上にはパメラが持ってきたのか、シュリッペ(ドイツ特有の小型の白パン)にチーズやハムが挟んであるサンドイッチと新鮮なミルクが乗せられていた。
 それをもそもそと口に運んでいると、棚の上などを整理していたパメラは何かに気づいたように声を上げる。
「あっ、このティアラ素敵。もしかして夜遅くまで仕事してたって、もしかしてこれのこと?」
「そうだよ。作業に没頭してたらずいぶん時間が経っちゃってたみたいでさ、正直今も眠たいんだ」
 飾り棚の上には、銀で作られたティアラが黒いビロードの布の上にそっと置いてあった。それは窓から入る日を浴びて、柔らかな銀独特の光を放っている。
「これは売り物? それとも誰かからの依頼品かしら」
「いや、それは売らないよ。自分が好きで作ったやつ」
 そう言いながらヨアヒムは心の中で「パメラをイメージしたんだけど」と付け加えた。きっとこのティアラは、パメラのダークブラウンの髪に良く映えるだろう。まあおそらくこれを渡せるのはまだまだ先の話になりそうだが。
 パメラはそれを手に取り色々な角度から見た後、ヨアヒムの座っている椅子の向かいに腰掛けた。
「本気で仕事したらこんな村にいるような腕じゃないのにね。お父さんから聞いたわよ、街からの誘い断っちゃったって」
 ヨアヒムはたまにヤコブの農場を手伝ってみたり、オットーのパンの配達を手伝ってみたりと一見ふらふらしているように見えるが、本当は代々続く銀細工師だ。だが、元来の性格なのか職人気質なのか、気が向いた時しか作品を作らないので普段はのんびりしていて、たまに村にやってくる行商人に作品を売ったり依頼を受けたりして生計を立てている。
 そして先日、その作品を気に入ったある街の大富豪から誘いが来たのだ。『こんな小さな村で作品を作らず、街で工房を構えて弟子を取ったりしないか』と。それほどまでにヨアヒムの作る銀細工は見事な物なのだ。
「もったいないとか思わないの?」
 パメラの言葉にヨアヒムは首をかしげる。
「何で? 僕は人にせかされて作品を作るのは嫌なんだ、依頼だって気に入った時しか受けない。大体好きな時に好きな物を作れないなんて考えただけでもうんざりするしこの村が好きだからね。それに僕に街の暮らしが合うとは思えないよ」
「ヨアヒムのお父さんにも同じような誘いがあったけど、やっぱり断っちゃったってお父さんから聞いたわ。何か理由でもあるのかしら」
 空になったコップにミルクを注ぎながら、パメラはなおも食い下がる。
「実はこの村の水と空気がないと、あれだけの銀細工は作れないんだよ」
「それ、今考えたでしょ」
「うん」
 …………。
 一瞬の沈黙の後、パメラは立ち上がってヨアヒムの背中を叩いた。乾いたいい音が居間いっぱいに響く。
「パメラ、痛いよ」
「はいはい、とにかく村が好きだってのは分かったから、さっさと食べて食器片づけてね。掃除もするから、その間外でひなたぼっこでもしててちょうだい」
「わかった。でも工房だけは絶対入っちゃダメだよ」
 残りのサンドイッチをミルクで飲み込んで食器を持って立ち上がると、パメラは笑顔で返事をする。
「当たり前でしょ。ヨアヒムのお父さんがいた頃から言われてるし、職人の場所に立ち入っちゃいけないことは、仕立て屋見習いの私だって分かるから」
 そう言って微笑むパメラを見て、ヨアヒムは少し幸せな気分になった。やっぱりこの村にいるのが一番いい。銀細工はどこででも出来るかも知れないが、パメラの笑顔はこの村じゃないと見られないからだ。
 食器を台所に持っていき水で洗う。天気はいいが、水が思ったよりも冷たいのを感じると確実に冬が近づいている気がする。
「まあ、マイペースなのもヨアヒムのいいところなんだけどね」
 水音に紛れてパメラが何か言ったような気がした。
「えっ? パメラ、何か言った?」
「なーんにも。早く食器片づけてって言ったのよ」

 パメラに家から追い出されたので、ヨアヒムは村の中を散歩することにした。
 子供の頃からずっと変わっていない風景。四年前の流行病で自分の両親やパメラの母親達が亡くなった時も、この風景だけは変わらずにヨアヒム達を包んでいた。たまに訪れる行商人や旅人達などが街などの様子を知らせてくれることもあるが、この村は至って平和そのものだ。
 最近村で変わったことがあったと言えばここしばらく具合の悪かった神父が元気になった事と、その教会にディーターというちょっと変わった男が住み着いたことぐらいだ。
 だがそれも、時の流れと共に村の風景になってしまうのだろう。それがヨアヒムにとっての幸せでもある。
「ずっとこのまま平和だったらいいな」
 そんな事を考えながら村の広場に出ると、ペーターとリーザが遊んでいた。ペーターは利発な少年で、リーザは少し人見知りな少女である。確かペーターが八歳でリーザは一歳年下だ。それを覚えているのは自分とパメラが同じだったからで、他の村人全員の年齢を覚えていられるほどヨアヒムは器用ではない。
 それを微笑ましいと思いながら見ていると、ペーターが気づいて大きく手を振る。
「ヨアヒム兄ちゃーん、一緒に遊ぼー」
「遊ぼうって……何して遊んでるんだい? 走り回る遊びじゃなかったら、一緒に遊んでもいいよ」
 二人に近づいて隣にしゃがむと、二人は木で出来たパチンコを持っていた。
「あのね、リーザ達が神父様の所に行ったらディーターお兄ちゃんが作ってくれたの。ドングリとか玉にして的に当てて遊ぶんだって」
「へーぇ、子供嫌いっぽい感じな人だったけど意外だな」
 リーザから渡されたパチンコをヨアヒムはちょっと引っ張って構えた。それはなかなかしっかりした作りで、上手に使えるようなら鳥などが狙えるかも知れない。子供のオモチャにしては少々物騒な気もするが。
「でね、僕たちさっきからそこにある箱を狙ってるんだけど全然当たらないんだ。ディーター兄ちゃんは結構遠くから聖書の背に当てたんだよ。そのあと神父様に怒られてたけどね」
「ははは……。的って、そこの箱でいいのかい?」
 教会で聖書を的にするなんて無茶なことをするなと思いつつ、ヨアヒムは地面に置いてあったドングリを拾いもう一度パチンコを構えた。
「あそこの箱なの。リーザまだ一回も当ててないの」
「わかったよ」
 ニコニコと微笑んでいたヨアヒムの表情が変わった。真っ直ぐに的を捕らえる目は真剣で、構えた右手には緊張の糸が走る。すうっと一回深呼吸をした後ゴムを離すと、パシッという音と共に箱が一瞬跳ね、地面に転がった。
 じっと見ていたペーターとリーザは一瞬あっけにとられたような顔をした後、歓声を上げる。
「ヨアヒムお兄ちゃんすごーい、格好良かったの」
「すごいや、人は見かけによらないって言うけど本当だね、ヨアヒム兄ちゃん」
「ペーター、それあんまり褒めてないよ」
 生意気なことを言いたい年頃なのか……と、ヨアヒムは頭を掻きながら持っていたパチンコをリーザに返そうとしたが、リーザはよほどさっきの見事な命中が気に入ったのか、もう一度やってくれとせがんだ。
「もう一回見せて欲しいの。リーザ的立ててくるから」
「仕方ないなぁ。もう一回だけだよ」
 また同じようにドングリを拾う。パチンコを構えた途端、ヨアヒムの表情はまた真剣なものになる。リーザもペーターも息を飲んでその様子を見つめる。
 ヨアヒムが放った弾はさっきと同じように箱の中心に当たり、跳ねた箱が地面に転がった。ふぅ、と大きく息を吐く。
「はい、これでお終い」
「えーっ、もう終わり? ヨアヒム兄ちゃんのケチ」
 ペーターの言葉にヨアヒムは困った顔で笑った。そういえば自分がペーターと同じぐらいの年の頃も、大人に向かってこんな言い方をしていたかも知れない。
「僕が打つのは終わりだけど、ペーターやリーザに打ち方は教えてあげるよ。それにこれじゃ僕ばかり遊んでるみたいだからね」
 そう言うと、しばらくヨアヒムはペーター達にパチンコの打ち方を教えた。最初はおぼつかない手つきだったペーターも、力がなくて上手くゴムを引けなかったリーザも、練習しているうちに結構的に当たるようになってきた。
「はははっ、上手上手」
「えへへっ」
「そろそろおやつにしようか。オットーの所でお菓子を買ってあげるよ」
 三人はオットーのパン屋に行って、天板で焼いた四角いケーキを一切れずつ買った。冬が近づくこの時期はケーキの上にリンゴとクッキー生地が乗っている物が美味しい。まあオットーが焼くパンと菓子はどんな物でも美味しいのだが。
 それを広場にあるベンチに並んで一緒に食べる。この村の子供達はずっとそうやって育ってきた。もちろんヨアヒムが子供の頃は、オットーの父親が焼いた菓子を買ってパメラやヤコブと仲良く食べたものだ。
 まだほのかに暖かさの残るケーキを食べながら昔を思い出していると、不意にペーターが話しかけてきた。
「ねえ、ヨアヒム兄ちゃん。僕不思議に思ったんだけどさ」
「なんだい?」
「あんなにパチンコ上手なら、ウサギとか鳥とか狩る人になれない?」
 ペーターの言葉にヨアヒムは慌てて首を振る。
「とんでもない。ウサギだって当たると痛いしかわいそうだろ? 僕にはそんな恐い事出来ないよ。それにそういうのは生き物に当てちゃダメなんだ、だからペーター達も人に向けたりしちゃいけないよ」
「でもヨアヒムお兄ちゃん、この前ヤコブお兄ちゃんが畑で取ったウサギのシチュー食べてたの」
「そ、それはね……」
 子供はこういう時鋭い。ヨアヒムは困ったようにケーキをかじりながら考える。
『どうして生き物に当てちゃいけないの?』
 そういえば同じ質問を自分も父親にした。その時はさほど考えていたわけではなかったのだが、それはヨアヒムの心の中にずっと残っている。
 ふと顔を上げると空はあの日と同じように青く、高い。
「それは……生きていくために必要な狩りじゃないからだよ。遊びで当てるなら的で充分なんだ。最後まで責任を取れない狩りはしちゃいけない。僕がウサギに当てて狩ったとしても、その後料理したりは出来ない。だから僕は生き物に当てないようにしているんだよ」
 珍しくゆっくりと諭すように話すヨアヒムの言葉を、ペーターとリーザは黙って聞いていた。その真剣な二人の顔を見てヨアヒムは苦笑いをする。
「ま、まあそんな難しい事じゃないからね、要するに人に当てちゃダメって事だよ」
「分かった。ペーターも分かったよね?」
「うん、ヨアヒム兄ちゃんの言ってる事は難しいけど、間違ってないと思うよ。僕たちがウサギ捕ってもヤコブ兄ちゃんみたいに料理出来ないもんね」
「じゃ、おやつ食べたらまた一緒に遊ぼうか」
 ヨアヒムがそう言うと二人はにっこり笑って頷いた。

 子供達と遊んで日が落ちかける頃家に帰ると、テーブルの上にパメラからの書き置きが置いてあった。
『夕ご飯作っておきました。今日は仕事があるから早めに帰るけど、明日はもう少し早起きしておいてね』
 皿の上にはケーニクスブルガー(肉団子のホワイトソースがけ)とジャガイモを茹でた物が乗せてあり、書き置きの下に小さい文字で更に何かが書いてある。ヨアヒムはそれをじっと見つめた。
『ヨアヒムが村から出ないって聞いて嬉しかったのは内緒』
 くすっ、と自然に笑みがあふれ出る。だが嬉しい反面、ヨアヒムには少し後ろめたい事情があった。
「…………」
 皿に乗せられていた蓋を閉め、今朝パメラに「入らないように」といった工房のドアをそっと開ける。
 机に並べられた彫金の道具、壁に飾られた細工模様の下書き……。今まで作って残しておいた作品を飾ってある作りつけの棚の一部を外して隠し扉を開けると、そこには銀の矢や投げ矢が数本と、見事な細工が施されている弓が立てかけられていた。
「ごめんよ、パメラ。これだけは君にも言えないんだ」
 これは生きるものに対して使ってはいけない武器。神から祝福されざるもの……人狼や吸血鬼などの魔物から村を守るための物。ヨアヒムの父がそうだったように、それは自分の血を引く者以外、誰にも教える事は出来ない。
 自分はその存在を明かす事は出来ない村の守護者……。
「僕がこれを使う事がありませんように」
 この平和が続いている限り自分の力を使う事はないだろう。ヨアヒムはそれが永遠に続くことを願いながら隠し扉を閉め、誰にも言えない祈りを捧げ続けた。

04 かささぎの橋

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