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多摩

 キャバクラに行きたくなるときがあるんですよね、エッチなお店じゃだめですよ、ただお酒を飲んで私の話を聞いてほしいだけなのでね。そんなことをときたま想いながら今日も生きています。していざその時になって、自分語りを試みるであろう私ですが、何の話をすればいいのか、困ることでしょう。なにせ貴方は万人受けする話題である"恋愛"だとか、乱交パーティの話だとか、半グレていた過去の話だとか、そんな引き出しはないはずです。じゃあ何を聞いてもらいたいかなっていうと私の為人と価値観についてですね。間違いなく。で、私はまだ18年しか生きていないシャバ僧なので、岐路なども特に多くなくて。受験くらいしか本当になんか能動的に行ったことがないんですよね。思い返すと本当にない、特に。そういう訳でそのキャバクラ行ったとき用に連連と駄文を残しておくか、と思ったのでね。気楽に。
 私はまぁ中学の成績が大してよくはなくてですね、150人中30位くらいの成績でした。という訳で偏差値60くらいの自称進学校にでも行くかと思っていたのですけれどね、中学3年になる前にコロナのパンデミックがありまして、その時に私は家でブレワイやってたんですけれども、皆さんが私以上に勉強をサボっていたのか分からないですがなんか3年春のときに6位を取ってしまいまして。おいおいおいどうした急にと思ったんですが、なんかずっと一桁取れるようになったんですよ。皆さんは一桁なんて簡単だろと思うでしょうが、私にとっては快挙ですよ。それでなんか塾行ったら件の高校の一つ上の高校に受かりまして、まぁこれが人生の分岐点だったでしょうね。私よりも頭の良い友人がいたのですが、彼も私と同じとこ受けるだろうなと思っていたらなんかよく分からない私立に行くって言って去ってしまいまして。折角成績上がったのに〜…と項垂れていましたがまぁ新天地でなんとか頑張ればギリギリ生きていられるかなと思いました。
 かくして新学期が始まったわけですが、まぁうちの中学は田舎の馬鹿中でですね、10人しかいなくて話せる人もいなかったんですね。平均的に頭の良いJ中だとか奇人変人の集いH中、高校から近場のA中が主で、もうクラス分けされたときからグループが形成されていました。低身長ながらもなんとか周りをキョロキョロ見渡して探したのですが、灯台下暗し、話してくれる人が前の席にいましてね、またそいつも変わり者なんですが。まぁその人が入る部活っていうのと、我が兄も私と同じ高校にいてその部活に所属していたので入ろうと思って入りました。そこで、今でも私に関わってくださる素敵な皆さまと出会えました。感謝でいっぱいです。まぁ文化部でですね、なんかまぁ頭の良い人が多いんですよ。色々吸収させてもらいまして、受験の話とかもよくしましたね。で、私その頃は行きたい大学も成りたいものも何もなくて、ただ幸せな生活をしたいなと思っていたんですよ、愚かにも漠然と。そんな中デレステとウマ娘やってたんですけれど、馬鹿な私でもこれウマ娘やる余裕ないなって。あれ時間かかるくせにお金入れないと強くなれないんですよ。だから辞めるかって、でもなんかデレステだけっていうのも淋しいなぁ、なんかアイドルマスターに他のブランドあったよな、やろうと思い至って。なんか育成らしいという噂だけを嗅ぎつけてシャニマスをインストールしたんですよ。なんかハマってしまいましてね、もとからアイドルマスター好きだったんですけれど、特に二次創作が好きでですね、その中でも今はもうほぼないんですけれどNovem@sってのがありまして、文の系式をとっているんですけれど、私の知的レベルにあっていまして。楽しくテキストを読むっていうのをやっていたためにシャニマスもテキストメインなので当時の私に相性良くてですね、色々調べてやって。
 高校一年の秋くらいですかね、大学の進路をそろそろ調べなきゃいかん〜ってなったんですよ。わが家は私立は県内まで、国公立なら国内までという条件()だったので、学びたいものもない、けれど馬鹿にはなりたくないなと思った私はシャニマスの舞台を調べて、そこから同心円状に大学名調べていこーとなったわけです。で、シャニマスの舞台を調べたら「聖蹟桜ヶ丘」だと。たいそうな名前だなと思いましたよ、「聖蹟」ですよ「聖蹟」。聖蹟桜ヶ丘っていう場所は東京都南多摩地方の多摩市にあることが分かったんです。じゃあ調べるかと。まず見つけたのは国士舘大学っていうところで、知らなかったので名前だけ書き出して。その次が帝京大学、これは知ってました。明星大学、中央大学、法政大学の或る学部など、中堅以下の大学しかなかったので諦めるしかないかなぁと思っていたら見つけてしまったんですよ。やべぇ大学を。
 聖蹟桜ヶ丘駅から北に4.5kmの位置に鎮座する最上位に近い大学。見た瞬間惚れてしまって。もうここ行くしかないなって。ここに行くしかないという強迫観念が存在していた理由として、私の能力が低いことがあります。東京にはもとから憧れがあって、生まれである愛知県をいつか出て住みたいというのがありました。愛知県の一流大学として名古屋大学がありますが、そこに通ってしまうと、就職は愛知県にしかできない気がして。能力のない私は東京に就職することができないのだから、大学期間以外に行くことはできないと思っているのです。だから東京の国立大学受けるしかなくて。東京の国立大学って総じてレベル高いんですよね。芸術系と語学系を除いたら文系はもう東大とそこしかないんですよ。で、そこの大学の出身の有名人って本当にすごい経歴の方ばかりで、受かればこんな私にも生きていられる未来もあるなと。逆に言えばここに行かなきゃ生きてはダメだと思いました。(今でも思っているので苦しいです。)しかし現実は非情で、やはり学力は本当に遠く及ばなくて。その葛藤というか蟠りがこのままずっと大学への熱意と形を成して高まっていく一方実力が及ばないままだと心が耐えられないと脳が判断していたのだと思います。その結果熱意は多摩へのものに移り変わっていきました。イドの範疇で逃げ道を作った訳ですね。その大学に行きたい→多摩にさえ行ければいいと変換することで、スケールを縮小したわけです。まぁもとから多摩はとても好きでしたし、本当に美しいところだと思っていました。しかしここまで呪いのようになったのはそういうことだと思います。で、重要なことがたくさんありましたが2年はただ勉強したり交流していただけなので割愛。
 3年。模試の成績は悪く、我が校はスクールカースト(のようなもの)が顔の良さの基準と頭の良さで構成されていたように感じます。クラスで私は顔も良くなく人当たりも悪く成績も悪かったので4軍くらいに位置していました。そのくせ志望校だけは異常に高いままで。正直言って今よりも本当に死にたかったですね。能力のない人間の人生というものを知覚していました。走馬灯って見えるらしいじゃないですか、漫画の話だけとかではなく、落ちるビジョンしか本当にありませんでした。成績も特に上がっていくことはなく、まぁまぁのところで停滞。色々な人に止められましたが、本当にもう呪いでいて、突っ込むことしか頭にありませんでした。なんかこう書くと私が被害者みたいですねw。そういう心算はないです。運命ってそういうものでしょう。いつまでも上手く行かない方の星の下に生まれたのです、私だけは。
 して、結果は惨敗。惜敗などの綺麗な"物語"ではありません。80点足りませんでした。笑うしかない。その大学のやばさを思い知らされましたね。問題のレベル凄かったですよ。でもすごく清々しかったんです。落ちた感覚はしました。というか落ちた感覚しかありませんでした。それでもかねてからの望み通り死のう、だとかはそこまで思わなくて。ただ、解放されたなって。それだけでした。物凄く楽しかったんです。皆さんと受験勉強して、上手くいかなかったけれど、素敵な方々と関われて、いいところは受からなかったけれど、才能のない私も頑張ったなって、それだけは思いました。後に後悔とかが浮いてくるんですけれどね。
 「多摩の呪い」は消えませんでした。依然変わりなく。こんなことを書いている今日にも、つまらない男が多摩への慟哭の言葉を虚空に投じているとか。恐ろしや恐ろしや。

 御読了ありがとうございました。つまらない世界の舞台装置のうちの一人が書いた駄文ですが楽しんでくれたら何よりです。


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