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10代から20代の時に書いた詩(7)

「世紀末」
――こんな世間でも戦争になれば、女は祈る事しか出来ない。力はどうしても男の方が上になっているから。私は争う気がしない。思うように、この世に無い物、今の平和を願うだけ。――
 
I can’t understand that this world in heaven.
 

――龍安寺――
 
「無想」
国々の民族衣装で、今まで血を流して来た。〝そろそろやめよう、平和を手に入れよう〟と一つの民族が思っていても、他の一つの民族がやめなければ収まらない。平和ボケしていたあの頃は、もう過去の話。その行き先がこの様だとは、民族衣装を着たままではお互い話す気にもなれない。神様の言う事、人間の言う事は違う。これも又、悩む程の事でもないのか。必然的に起きているのならば。
 

Stay Dream…――――――――――
 
「我身~真性~」
今の俺は俺じゃない。周りのこの神の与えたもう試練に惑わされているんだ。そのどこかで俺は行き道を取り違えた。そしてこんな自分になったのだ。俺の愛するのは、両親だけだ。恋人も友人も、俺には間違いだ。友人とは心を交わし、話をする。でもそれはただ話をするだけ。この世でのその場凌ぎだ。欲があれば、〝女が欲しい、親友が欲しい〟そんな戯言に惑わされ続けるという。そんなのは行き違った自分だ。きっと本来の自分を取り戻す。でもその時はもうこの世には居ないだろう。その自分を取り戻すには死ぬ程の勇気が要るのだ。それが俺だ。
 
「静情生活」
―――人の為に生きる事、それが幸せだと聞く。一人で静かな場所に居た。森林の中で、少しの寒気を覚えながら、見えない空を見上げた。一人で居ると、矢張りやけに人恋しくなる。人寂しい心では又、この世を生きて行くのは難しい。生き抜く事と、生きる事。時々、どちらか迷う。碑を一つずつ歩いてみても、それが世間の歩幅と合わない時がある。そんな時でも自分は平然として居られるだろうか。この森林を抜けて世間ではあらゆる不条理が飛び交う。人を憎むのは自分、人を愛したいと思うのも自分。〝本当の幸福(しあわせ)〟を探す、とよく人は言う。本当の幸せがどんなものかも、時によって変って行くのに。人の好い加減さは欲望のもの。その欲望を誕生させたのがどんな方か。それを思えば、その不条理への距離が付きまとう。
 

「真命記(しんめいき)」
人が生れて来た事を、どう語って聞かせればいいのか。まだこの人生を終ってもいないのに、それを全部過去の経験には出来ない。でも行き詰まる度に、その人生論を聞かせてほしい、と、心が尋ねる。その心を鎮める為に又、在る事無い事デタラメで納得させる。人生を終っていない輩が〝人生〟を語るなど出来ないのだ。ああ、また言い聞かせなくては。〝死ぬにはまだ早い…〟。
 
「砂の愛撫」
乾いた砂の中に湧き水があると、他人(ひと)から聞かされ歩いて来た。太陽はまだずっと、沈む気配もなく地上を見下ろす。その地面を這い回っている虫は、水気が無い砂の上で風だけが頼りだった。異常にまで上がったその虫の熱は、ただ苦しませ、降る筈もない雨を期待させていた。他人(ひと)から聞いただけの幸せを、湧き水に例えるなんて、唯の狂気だと虫は自分を納得させた。蜃気楼が遠くに見えていたが、虫はそれをものともせず、湿った土を求め始めた。突風が吹いて、その虫の肌に乾いた砂がサラサラ当たったのは、湿った土を求めて歩き始めた直後だった。砂埃に塗れた虫はその砂を払い、また湿った土を求めて歩き始めた。暫く歩いていた。見渡す限り砂の地平線のその場所で、虫は遂に腰を落とした。〝また後から頑張って歩けばいい〟と、気休めを呟きながらその儘じっとしていた。そして少し落ち着いた頃に、よく下を見ると、乾いた砂が湿っているのに気付いた。虫は大慌てでその砂を掻き分け、湿って行く土の行き先を急いだ。疑心から確信に変わりつつあった時、僅かな水に手先が付いた。虫は喜び、乾いた砂を突き抜けその湿った土の中にその身を置いた。手を伸ばし、乾いた砂をその湿った土の上にまぶして、身を護った。それまでの疲れで、湿った土の中で虫は眠った。随分長い間虫は眠っていた。その間体は当然の如く動かず、湿った土の為すが儘だった。…気が付いた頃、虫は我が身の異変に気付いた。黒緑色した何かが体にこびり付いているのである。何か?と疑問に思いながら触って見ると、眠気は一気に覚める程に驚嘆した。カビである。虫はまぶした乾いた砂を跳ね除け、その湿った土から急いで外に出ようとした。しかし掘ったその穴が結構深かった為、上から砂が落ちて来るばかりで、一向に外に出る事が出来なかった。そのカビは徐々に広がっていき、体全体を覆おうとしていた。虫はより早くそこから出ようと試みた。〝植物は湿った土(水分)があれば育つのに…〟と、その瞬時に思いながら、やっとの思いでそこから出た。外は以前よりもずっと暑く、熱風が吹いていた。下から当たる砂を覚えながら、虫は途方に暮れて、何れ又〝そこに無い物を求めるのだろう〟と、仲間を見付けようと歩いて行った。
 
「札幌・Snowy」
北の街を一人で歩いていた。行き交う人は市場(いちば)の活気に紛れて行く。人の心は覗けず、この街でもすれ違いをしてゆく。長く緩い上り坂を、上着の襟を立て風を避(よ)けて上って行く。今までの過去は今までの事、これからの道には行き着く市場も無い。同じ場所に今までずっと居た僕は、この街の雰囲気に入ろうとはしない。でもその街をもう少し見ていたい。過去の場所と新しいこの場所とがあるこの世間に、生まれた意味を知りたかった。何を言っても、〝自分〟というこの現状は変わらない。それを楽しむか、楽しまないか。

〝具体的に楽しむとは?〟と突っ込めば、汚れた世間と善者との世界が分かれる。――――でも今は、さっきから降って来たこの白い雪を触りながらその事をも忘れてしまおう。
そんな僕の事を、誰かは忘れたが〝無責任〟と言ってくれた人が居た。人の事を思い出しながら少し笑って、まだ今宵眠る場所を探して歩き始めた。
 
「独り身」
男、一人で生きて行くのは至難の業さ。でもやっている。思い方が違っててもやってやる。こんな辛い自分を見るくらいなら、初めからやってやる。死んでから振り返って、〝これが僕の生き方だった〟と言えるくらいに。無口になりたいから無口になったんだ。人がどう貶そうと、これが僕の生き方だ。

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