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メイドカフェに行って

「メイドカフェに行って」
「メイドカフェに行って」として、「別の用事を済ませた後で、当初の目的であった秋葉原観光をし、電気街の間道を、人の多さに躊躇しながら蛇行を重ね、密集する電気屋、その内に設けられたゲーム、カード、パソコンコーナーを廻り、又、フィギュア店へも足を延ばして、相応に堪能したつもりである。又、一寸、その密集地帯から外れたビデオ店へも入り、そこでは昨日に引き続き、『切り裂きジャック』ものはないか、と探索していた。とにかく人が多く、鬱陶しい程の混雑の雰囲気から醸し出される衝動への点火装置なるものより、気の焦りと、又、先日ニュースにもなった、『秋葉原通り魔連続殺傷事件』への気掛かりをも生じさせられながら歩くことになった。その日は、朝から雨が降っており、用事を済ませた後に、戸山学舎敷地内にある雑貨兼書店で傘を買い、さして歩き、すれ違う人とぶつからないようにすることにも気を遣っていた。結構、滅入るものである。一通り歩いた後、もう一つの目的であった、メイドカフェの確認へと赴く。どのようなものであるかを知る為に、直に確認したく、故に、店内の空気に触れ、その上で吟味する、ということが必要となり、その達成の為に、それらしき店を探し廻っていた。すると、若い女の声が聞こえ、探している最中でもあった為か私にはピンと来て、声のする方へ歩いてゆくと、およそ、京都、いや、大阪の街中でも見られないであろう、雰囲気を醸し出す格好をした女が、店頭呼び込みをしている光景に遭遇した。王道をゆく、メイドの恰好である。フリル付きのワンピースのような、俗称『メイド服』を我が物顔で着こなしているその女の様は、呆気にとられると同時に、苦笑してしまう程の、何か、レールから逸脱した有様に思えた。その、呼び込みをする言動には、一生懸命が在るのだろうが、如何せん、私の偏見を含んだメイドへのイメージが私の思惑を覆ってしまう故に、唯、愉しんでその事をしている、又、かるいもの、としか見受けられないものがあった。日雇いながらにどんな仕事でもしなくては一日の生活がままならなく、巡り巡って、そこに落ち着いた人には申し訳ないが、その私が覚えた偏見とは、現実のものである。『No・1メイドカフェ、メイドリーミン(MaiDreamin)は3Fになりまぁーす!』と、持ち前の声高で、その人通りを声で覆うように叫んでいる。私は、気恥ずかしさもあり、一旦、その呼び込み女を避けて通り過ぎ、その延長で、交差点で信号が変わるのを待つ振りをする等の訳のわからない行動をした後、『いやまて、これでは何の為にここへ来たのかわからない、よし、入ってやる』と決心し、再度引き返し、又呼び込み女の横を通り過ぎて、店へと向かったのである。そのような『決心』をしなくては入ることが出来ない独特のバリヤーのようなものを、その女が醸し出す雰囲気にやはり感じていた。それでも、何事も経験の為とまた刹那、大学時代の気構えを思い出し、踏ん切りを付けて、颯爽と入口へ向かう。大学時代は、そうして好奇心を満たし、糧としていたのである。以降、入口へ向かったのは良いが、どこにあるのかが定まらず、まごついた。何しろ、その辺りも密集している為、入口がどこかわからない。まるで一平米に、五~一〇の会社が組み込まれている様子だったのだ。一度、間違ってうどん屋へ入り、『いらっしゃい!』という店員の威勢の良い声を尻目にして、直ぐさま退店し、一度、その細長いビルを少し離れた所から見上げる、という行動を取った。漸く入口を見付け、辿り着くにはエレベーターで上がらなければならないらしく、そのままエレベーター前で待つ。さすが都会、と驚いたのは、男女のカップルもその私と共に待っている客の内に居たことだ。『どんなかな?こんな雰囲気じゃない?こんなこともあるって誰かが言ってたよ』等、ボソボソ喋り合いながら、カップルがエレベーターを待つ。内一人の、オタク系の男も、黙って待つ。これまでの私の経験からすれば、不思議な光景、情景、だ。確かに、私は初めて来たので、そう思えてしまうのは当然かも知れない。しかし、勝手がわからないというのは、それだけで、気疲れするものだ。しかし、経験の為、糧とする為、と再呼し、頑張って、店内へ入った。店内へ入ると、それらしいメイド服を着た店員が所狭しと歩き廻っており、名物の『お帰りなさい、ご主人様』も、他所耳に聞えた。『この店内での約束案内を読みながら、少しお待ち下さいませ』と、店員うち一人の、茶髪にカールをかけた『今風』の女が、微笑と共に話し掛けて来た。『ハイ、ありがとう!』等と、あるまじきか、声を少し大にして私は応えた。勝手を知らず空気も読めないので、とにかく元気に振舞っていた。負けたくなかったのである。私なりに体裁を保っていたのだ(他に仕方無く)。店内の様子は男女が入り混じり、又、熱気のようなものがムンムンとしていた。それだけで私は嫌気が差した。ワン・フロアーというもの狭過ぎる感じがし、喫煙席へと案内されたのはカウンターで、座れば、隣の客と体が触れる程の鮨詰めである。カウンターは三人掛けで、三席とも埋まっていた。正に密集である。私の左隣に座っていた男は黒髪で、メイドとの会話を聞く限りでは常連らしく、関東出身者の様だった。顔は、気難しそうで、『オタク顔』に見える面持であり、友達には要らないと思わせる風貌である。というより、彼の言動が私にそう思わせた。笑っていたかと思えば、瞬間で又、真顔に戻る。自分の『笑顔』が他人からは弱さと見抜かれ、挙句、足を掬われるのだとでも思っているのか。傷付く事に敏感な心の持ち主の様だった。民衆が共有する空気から逸脱するのが怖いのか。あと、単に、癖か。ふと、ファミリーマートでのバイト時に一緒に働いていた、Hを思い出した。彼もこの男と似たような習癖を持っていたのだ。又会話から、何歳かは知らないが年輩らしく、『若い内からこんな処にハマるのもどうかと思うんだけど(笑)』等、早口に喋る。そう東京人は、会話が妙に、早いのだ。早口に言わなきゃ言い負かされる、又、相手より声を大にしていなければ主張も出来ない、というような対人の節が、見て居て在るように思えた。『頭と口とは別だ』という、私の以前に認めた提言を、声を大にして言ってやりたいくらいの気分である。(一度は、語りたくない、と断言・断筆した私が、又これ以上語るのを止める)。東京弁が光る。私の頭上を飛び交う。私とは関係の無い処で交わされている会話のようである。早口に、ペチャクチャペチャクチャ…、まるで、自分が分っていれば良いというような、そんな体裁である。『ついてこれないでいい』という処に、主導権を握りたがっている彼等が潜む。そんな体裁だ。又、その様だけ見て問うならば、幼稚とも採れる。そのような空間と情景の内で、恐らく私をカウンターまで案内したメイドがメニューを持ってやって来た。『今から夢の国へご案内しますね。』と、模型の蝋燭に息をふっと吹きかけ、騒がれたメイド文化の成れの果てを思わせてくれるような独特のルールを以て、独自の世界へ誘ってくれる。元々、こうしたテリトリーと何の共通点も無かった私は、ここでも又苦笑した。『アイスコーヒー』と私が言うと、『あ、それではセットにしますか?…そうじゃなきゃつまんなーい』と早口で透かさず、尋(き)く。これが東京ならではの、都会の中を生き抜く為の戦術とでも言おうか、所謂、目的を勝ち取る勝利のテリトリーでの、日常行為の産物であろうか。又、これがご主人様に仕えるメイドか?と少し疑う。一つ、根負けしてセットにし、二つ目、又、そのアイスコーヒーにアルコールを入れたら?等とサービスを追加して尋いて来る。さすがにそこまで来ると、尚、私は嫌気が差して、『いや、これで、アイスコーヒーだけでいいですわ(苦笑)』と返すとそのメイドは、およそメイドとは思えない程の嫌気が差した顔をしたまま店の奥へと一旦引き下がり、又、騒がれるメイド根性とでも言うべきか気丈な笑みを浮かべて早々現れ、次に、『チェキ』とかいう、写真をメイドと一緒に撮るサービスを追加して受けるか否かを尋いて来た。もういい、全ては経験の為だ、と何処かで開き直り、それに就いての説明を態とらしく尋ねた上で『あハイ、じゃお願いします』と少し不愛想気味に、私は応えた。(私の知人である)Tはこんな処に来たのか(笑)、芸能人のあいつは、あの娘は来た事あんのかな、等、ボソボソ呟きながらセットが来るのと、写真を撮ってくれるのを待った。左隣のあの男は鬱陶しい程に東京弁でよく喋る。又右隣の男は、彼は彼で寡黙に、又如何にもオタク系の雰囲気を醸し出している。自分の世界に浸り続ける面持あり、寡黙を続ける。私としては嫌になる空間である。メイドだけを見れば、確かに気分は良い。しかし現実では、これ等『オタク』と呼ばれている『客』あって初めて成り立っているものだと気付かされ、両者は引き離せず、少し落胆するのである。世間にオタクが一人も居なくなり、『客』として来なくなれば、店内はメイドだけとなり、商売も成り立たず、解散するだろう。又、別路を捜すかも知れない。そう成った時、メイドは『メイド』としては存在していないかも知れなくて、それ等の可能性に就いて想えばもう『メイドカフェ(メイド喫茶)』とは限定出来ず、他の、あらゆる職種への可能性を考えなければ成らなくなる。故にこの『オタクが存在する世の中』である故に存在出来る、というものに成る。それ等を踏まえながらに私が想うこと。それでも、私一人の為だけのメイドハーレムが欲しい。このメイドカフェに来る客をオタク系と想定した上での記述である。暫くして、『早く帰りたい』という思いに駆られ始めて、帰る算段を私はし始めた。している内に、やんなくてもいいのに、と思わせてくれる、客の内の一人が誕生日だという事で、誕生日パーティをし始める始末。何故か私はメイドにタンバリンを持たされ、一緒に祝っていた。それ等の一連がやっと終わってから、私はメイドとのツーショットをお立ち台に上らされて撮られた。『萌え萌えキュン』等と、店内に入ってから既に十数回聞かされているその言葉を、私も言わされ、その後、やっと帰された。正直、店内へ入った瞬間にも思った事だが、他のメイドカフェが全てこのような雰囲気ならば、私の気質からして合わない、二度と来たくない、等、酔わされた思いに又拍車を掛けさせられる自分があった。今、手許に、メイドがデコレーションした、メイドとのツーショットの写真がある。過去の空間を、写真を通して見て想う事は、やはり不思議と一つの思い出となってしまう、という事実に就いてであった。メイドの写りが、良かったからかも知れない。」

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