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帰省したのに、元日をネットカフェで過ごした話 #帰省ブルー

居心地が悪いリビング

2019年12月末、3年ぶりに実家に帰省した。新幹線で京都駅まで向かい在来線で最寄駅、そこからバスで15分。静かな住宅街の一軒家。

上京してから、9年が経っていた。

僕の家庭は貧乏ではなく、かと言って裕福でもない。いわゆる中流家庭。父親は電機メーカーで40年近く勤務して昨年無事に定年退職を迎えた。母親はその間ずっと専業主婦。2人合わせて、130歳を超える年齢になっていた。

玄関を開けると温かく迎えくれる両親の姿。が、焦点をズラすと乱雑なリビングが目に入る。12畳のリビングには新聞や衣類が散乱している。両親は壊滅的に片付けが苦手な人だったことを思い出して、溜め息が漏れた。

夜食卓に着くや否やお酒を熱心に勧めてくる父と「何が食べたい?」と何度も聞いてくる母。リビングの正面にある40型テレビでは年末のバラエティ番組が付けっ放しで流れている。

「居心地が悪いなぁ」

ここ数年、僕が実家に帰っていなかった理由を思い出して心でそう呟く。乱雑な部屋と過剰なおもてなし。親とはいえこの他人の暮らしが今の自分には何もかも合っていない。段々と虚しい気持ちになってくる。

狭い階段と謎のキリン像

僕の兄弟は男3兄弟。昨年結婚した兄は奥さんの義理の実家に行っているが、弟は実家に帰ってきていた。久々に会う物静かな弟は一人暮らしを始めて前よりふくよかになっていた。

もともと自分の部屋だった2階の角部屋は母親の私物で埋め尽くされていた。それは3年前とほとんど変わっていない光景。衣類や紙袋が床やベットの上に敷き詰められていて足の踏み場もなかった。共にかつての自室が失われている僕と弟は、2階の両親の寝室で過ごすことに。

僕たち兄弟が帰省してる間、両親は1階の畳部屋で寝るという。そこで、母から「私たちの布団を2階から1階に降ろすのを手伝ってほしい」と言われた。帰ってきて早々、布団を移動させられるのか。言いたいことは山ほどあったが、一時滞在者である自分の寝床を確保するためにしぶしぶ体を動かした。

うちの実家の階段はそこまで急ではないが、途中でカーブしていて一段一段の幅は狭い。母親は2週間前に何かを運んだときに階段で足を滑らせて腰を軽く打ったらしい。これでは母親には任せられないと思い、僕が布団を下ろす。

階段の踊り場には2メートルはある謎のキリンの像が置かれている。旅行のお土産なのか、両親の趣味なのかは全く分からない。可愛げのないリアルなやつ。それに階段の入り口付近には本棚が並べられていて通りにくい。誰がどう見ても、それらの場所をズラすか移動させた方がいい。2つの障害物が足を滑らせた原因にもなっているだろう。母親にそう告げるも、

「大丈夫だよ、うちの階段広いから」

と要領を得ない返しが来る。「また怪我するよ?」と言っても通じない。これでは埒が明かないので、僕はキリン像と本棚をせっせと動かして転ぶリスクを小さくすることにした。

母親には何を話してもさっぱり伝わらなくなっていた。片付けるという意味を「モノを地点Aから地点Bに移動する」ことだと本気で思っているようだ。不要なモノは処分するという発想が綺麗さっぱり抜け落ちている。

2階で物置化している部屋にある不要なモノを捨てれば、1階から2階への布団の移動は減らせるのに。そんな当たり前のことを粛々と説いても全く響いてないご様子。これには参った。ただここは僕の家ではないので、諦めてそれ以上口を挟むことはしなかった。

これだけは言わせてほしい

リビングで食事をしていても周りの雑然さに、気が滅入ってくる。6人がけのテーブルには化粧品やら文房具、父のパソコンが鎮座しており半分が使えない。実質3人分のスペースしかないので、4人が揃うと縮こまって食事をしなければならない。なぜ広いリビングでこんなに窮屈な思いをしないといけないのか…。

幼少期からあるソファは酷く軋んでいて、座り心地もデザインも明らかに古びている。そのソファの上には服やタオル類が置かれていて、人間が座るという本来の役目を果たせていない。

お風呂に入ろうと思い、「バスタオルとして使って」と指定されたのはどこかでもらってきたような薄っぺらい1枚のタオル。体の水分をふき取るとびしょびしょになるため、そのあと髪を拭いても水気が取れない。お金はあるのだから、もっと上質なタオルを買えばいいのに。

両親ともに思いやりがある人なので、子どもたちは皆優しい性格に育っていると思う。だが、こと生活に関しては、僕が成人してから話が通じないことが多くなっていた。断捨離を勧めたこともあるが、家にモノは増える一方だった。

「あなたにとって大切なものはなんですか?」とか「どんな暮らしが理想ですか?」とこんまり流にコンサルしたい衝動に駆られるが、現状に満足して心地よく生活している60代の高齢者2名に僕が口出しできる立場にない。

ただそれでも、言わせてほしい。

母親よ、僕が好きで観ていた漫才のテレビ番組で「この人、あんまり好きになれないんだよねぇ」とわざわざミルクボーイを否定しないでほしい。

父親よ、NHKの紅白歌合戦に悪態をつくのなら観なければいい。「どのテレビも面白い番組やってないな」と嘆くのならば、他の娯楽を楽しめばいい。

NetflixやHuluなどで映画を観てもいいし、ラジオやYoutubeもある。ただ父親は何も行動を変えようとしない。それでは、居酒屋で自分の会社を愚痴ってる人と変わらないじゃないか。

兄弟が帰りたがらないのはこういう所にもあるんだと思う。

元日、ネットカフェで6時間

より良い生活や暮らし方を想像して、現状を見直して新しいものを取り入れたらより豊かな生活ができるのでは、という思考回路が両親にはもう絶たれている。

なんというか欲望のない一世代前の人々の暮らしを目にしているのだなと切実に思う。「こんな実家には帰りたくない」、そう思わずにはいられなかった。

今回の帰省も、自分の意思で本当に選んだかと問われると怪しかった。世間体というか両親の立場で考えるとその方が喜ぶからという理由が少なからずあったのだと気が付いた。

リビングではテレビが付けっ放しにされていて、かつ自分の部屋は失われている。1人きりになれる場所がこの家にはない。だんだん頭がぼーっとしてきた僕は、元日の朝にたまらず家を出た。京都駅まで電車で移動して、人生で初めてインターネットカフェに入った。

そこはフルフラットの個室部屋。実家から物理的に距離を置いて一人になってみるとだんだんと体も心もリラックスしてきた。僕は実家や両親に多くを求め過ぎているのだろうか。

そうやって自問自答しつつも、元日から実家を離れてネカフェで過ごしているという事実にメンタルがやられてしまいそうにもなる。「早く自分の家に帰りたい」、ここまで強く思ったのは初めてだった。

きっと変わったのは僕自身

この文章に明るい結論はない。両親とは血が繋がっているのだし産んでもらった恩があるので、適当にあしらうことはできないが、適度な距離感で接していこうと改めて思った。

人生の先輩ではあるが、ライフスタイルに関しては到底尊敬することはできない。僕はもっとモノが少ない丁寧な暮らしがしたい。

身近な両親を反面教師にするのは気が引けるが、自分はどういう家でどういう風に過ごしたいのかを考えるきっかけになったことは感謝したいと思う。

ずっとリスペクトしていた両親の今の姿に絶望したが、きっと変わったのは親ではなく僕自身の方なのだ。現在27歳。自分のこだわりや理想のライフスタイルが明確になってきている。それが実家と両親の行動様式に合っていないことがようやく分かっただけなのだ。


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