self-quarantine diary 5/26/2020
いまは9:14pm、パープルのつめたいぶどうがたわわになる下を、白いワンピースを着て静かに歩き回る芝生のうえ、といった感じの数字。今はとくに雨が降っているから、9とぶどうとの相性がいいみたい。わたしは冷蔵庫から取り出して、しばらくテーブルに置いといた巨峰を見るのがすきです。果物の皮に浮かぶ結露ほど、すずしいものってあるだろうか! ベッドルームからオンの泣き声が聞こえてくる。4月以降、夜の時間をほとんど松樹に任せるようになっていた。ふたりがまだ起きていて、それでもドアのこちら側、気配だけを感じながら、こうして窓の外をにらみつつパソコンを打っている時間が、いつもいちばん孤独。それでもきのう25日には緊急事態宣言が解除されたから、きっとこれからまた生活が変わる。戻るんじゃなくて、ただ変わる。パンデミックがあってから、もうなにひとつ元に戻らないような気持ちになってるけど、そもそもこれまで生きてきて、なにかが元に戻ったことなんてあったっけ? 最近、わたしはいろんなことを忘れている気がする(マスクその他の政府の対応についてはたぶん忘れないけど)。
7時半起床、週に2日のこども園(再開した!)に行くオンのためにお弁当をつめる。きのう母からもらっていたホウボウのお刺身を海苔で巻いて焼いたもの、かぼちゃとブロッコリー蒸したの、母が作ったちくわの煮物。ごはんは園で炊いてくれる。オンが通っているこども園はもともとすごく規模が小さく、いまはまだお休みしている人もいるので、幼稚園部と合同でそれでも5人ほど。ふたりを送り出してまたひと眠り、とにかくひどい夢を見た気がするけれど、今ではほとんど思い出せない(頭にタコの足が絡みつくとかそんな感じだった気がする)。昨日の夜はベッドに入ってもぜんぜん眠れなくて、このまま一生眠れないんじゃないかと恐怖した。朝からからだががちがち。
9時半起床、歯を磨いて、朝の「儀式」。いままで書いてこなかったけれど、実はわたしもわたしになりに朝のルーティンを持っていて(忘れる日もあるし、起きたら昼になってることもあるけど)、ひとつは去年の夏に参加したシュタイナーの言語造形で教えてもらった、自分のからだと心を整える子音3つをからだに入れること。もうひとつは、部屋の窓から富士山にむかって、ある念仏を唱えること。これは松樹がお客さんから教えてもらったもので、そのお客さんもじつに不思議な成りゆきでその習慣を取り入れることになったのだった。今日は曇りで富士山は見えないけど、わたしは見えない富士に向かうほうがすき。
きのうの夜、自粛解除されるぎりぎりだと思ってまた広場に行った。きっともうじき、ここにもカップルたちが戻ってくるかもしれない。羽織ものなしで出かけるのは今年はじめてで、肩にかけたトートバックまで軽い。ベンチに座ってこのまえやったインスタライブを見返して、それから並行して読んでいる何冊かの本を数ページずつめくる。ふと顔をあげると、いつの間にか誰もいなくなっていて、それでも「こわい」という気持ちはいっさいなくて、それが東京によるものなのか、それとも自分の心持ちによるものなのか測りかねた。かまぼこ型の天井を見上げながら、ここがドルナッハだったら、なんて想像もした。曲線状の建造物を見るたびに胸が熱くなってしまう。それで「シュタイナー/建築」とグーグル検索して、出てきた画像をしばらくスクロールして泣く(とくにゲーテアヌムの壁の色、下から上へ、ピンクから最後は青へと変化していく虹色を追うだけで本気で涙。いったいわたしはどうなってるんだ)。オイリュトミーをはじめてから、直線と曲線が心に与える影響のことをずっと考えている。だって違うのだ、たとえ同じ距離の移動でも、まあるく半円状に歩くのと、わき目もふらずまっすぐ歩いてみるのでは。わたしが空間を動くだけで、たったそれだけでこの場が変わる、あの感じ。場が変わると、心も変わる。からだが心に与えるもの、目に映るものが心に語りかけるもの、そしてそれらがぐるり循環してまた、わたしがこの世界に返していくもの、そんなことをもっともっと知りたいんだわたしは。
今日も10時半からzoomでレッスン、ちなみに昨日もまた同じ先生、別の講座でレッスンだった。昨日はハレルヤと五芒星、きょうは北原白秋の詩「薔薇の木に薔薇の花咲く なにごとの不思議なけれど 薔薇の花 なにごとの 不思議なけれど 照り極まれば 木よりこぼるる 光りこぼるる」と高浜虚子の「万緑の万物のなか おおぼとけ」を動いた。言葉を、ほんとうにその言葉のまま、言葉の音も言葉の響きもそして言葉が与えてくれるイメージもぜんぶぜんぶこのからだで、たとえ口は動かずとも、喉はつかわずとも、からだひとつでできるっていうこの感覚にいつも感動してしまう。言葉があることを、からだが本気でよろこんでいる。
ところできのうベンチで読んでいた本は、竹内敏晴の『ことばが劈れるとき』というもので、
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