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self-quarantine diary 6/23/2020

『きみの鳥はうたえる』のサウンドトラックを聴きながらこんにちは。窓が開け放たれ、音楽ががんがんにかかったカフェでこれを聴いていると、冒頭の鳥の声がぜんぜん耳に入ってこなくてだからボリュームを上げて爆音、いつのまにか次のトラックに移って刻むビートに心臓が飛び出そう。2年前に見た、この曲にのってクラブで踊る石橋静河の姿がずっと忘れられなくて、だからTokyo Love Story 2020を一気に見てしまった。そういうことにかまけてずっと更新ができなかった、というのは大げさだけど、ここ最近はほんと何もやる気になれず、本もほとんど読めず、適当にドラマを見たり、こうした歌詞のない音楽(OMSBのかっこよいラップ以外。それにしても、『THE COCKPIT』からもう5年!)ばかり聴いています。ほかにはあのfuzkueさんが出している「本の読める音」(music for fuzkue)や、Anne Laplantineのアルバムいくつか、それから瞑想アプリにある激しい雨の音の録音(最近はこれだけのために登録している感じになっちゃったよ)。

それにしても、あのクラブでのシーンは本当に最高で、昨日そこだけ久しぶりに何度も見返してしまった。身体が左右に動いて、腕がぐーんと伸びる、手がひらひらする、首をがくんとする、そういうしぐさだけで人間ってよりうつくしく見える。からだがあることがスペシャルに思える。でもいま、目の前の坂をのぼっていく人の指はケータイをつかんでがちがちで、腕はスーパーの袋をぶら下げてこちこち、これを打っているわたしの背中もばりばりだ。でもべつに悲観なんてしないよ、わたしたちはただ、こうしてケータイをにらんだりくだものを選んだり言葉をさがしたりしながら、このからだにうつくしさが入り込む瞬間を待っているだけ。隙をついて、きっといつか、ね?

金曜日から月曜日まで育った家に戻っていた。オンと母との3人で、気軽で静かな滞在。初日は大雨でずっと家にいて、オンは大すきなバア(母)に任せてわたしはほとんどの時間を、家の本棚をじっと眺めて過ごした。それでもやっぱり読む気にはなれないので、背だけ、じっくり(子どものころも、いつもこうして日常的に本棚の背が目に入っていた)。タイトルだけでも、見て得する本ってけっこうある。ご存知のとおり、本の使い道はただ読むだけじゃないよね。父の本棚に並んでいたのは、たとえば『ベルクソンとの対話』、トインビーの『文明の実験』、フレッド・ピアス『水の未来』、コリン・ウィルソンの『ラスプーチン』(これは表紙のインパクトにつられてちょっと開いた。「ラスプーチンの幼少期は仕合わせだった。馬が好きで草原が好きだった。学校へはほとんど行かなかった。父が読み方のイロハを教えてくれたが、書くことを学んでも仕方ないと思った。規律が嫌いで、坐って本を読んでいるよりも、魚取りや水あびの方が好きだったーー」)、『岩手県人』なんてタイトルの本もあった。それから宮沢賢治の作品集と、弟・宮沢清六の『兄のトランク』。いちばん手が届くところにずらりと並ぶのは『職業としての出版人』、『出版と読書』、『本の神話学』、『本の環境学』、『ゴランツ書店』、それから、わたしも数年前に取り憑かれるように読んだスコット・フィッツジェラルドの担当編集者マックスウェル・パーキンズの伝記、『名編集者パーキンズ』の古いハードカバー上下巻。へえ、パパもこれずっと昔に読んでたんだ、と眉をあげつつ、よく考えたら驚くことではなかった。いまはもう引退してしまったけれど、父は経済・ビジネス・参考書をつくる出版社の編集長だった。それでもわたしはいまにいたるまで、父と「出版」や「編集」については深い話をしたことがない。

母の書棚には『ことばと自然』、『大人になったピーターパン』、『育つ力と育てる力』、『ことばが子どもの未来をひらく』、『探検!ことばの世界』、『教育ルネサンスへの挑戦』、といった教育関連のものから、『はてしない物語』、『モモ』、『魔法のカクテル』、『エンデの遺言』、『モモを読むーーシュタイナーの世界観を地下水として』などのミヒャエル・エンデ本、それからわたしも大すきで思春期のころしょっちゅうめくっていた求龍堂グラフィックブックスシリーズの『赤毛のアンのカントリーノート』、『大草原の小さな家  ローラのふるさとを訪ねて』、『宮沢賢治幻想紀行』、『トム・ソーヤーとハックルベリ・フィン  マーク・トゥウェインのミシシッピ河』、それからオンが埋もれるほどの何冊もの絵本、絵本、絵本。このまえの声の配信でも話したように、母は元ラボのテューターで、教育者であり、基本的に言葉と物語と子どもたちの世界に生きていた。それから結婚前のいっときは、先ほどのグラフィックブックスをつくった出版社で経理の仕事をしてもいた。

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よく考えたら、よく考えたら驚くことでもないのに、父と母の本棚を見るたびにわたしはいつもガーンとなってしまう。ほんとに? ほんとにこれを読んだの? これを読んで、感動したの、あれこれ胸に抱いたの? それなのにどうしてわたしはそれ知らないんだろうーー。たとえば父がわたしの担当教授だったら?  たとえば母がわたしの恩師だったら?  一緒に食卓について話すことは、というかわたしが訊きたいことは何だっただろう。どうしてその仕事に就こうと思ったの?  何がいちばんの思い出で、何がいちばんの失敗だった?  やめるとき何がいちばんつらかった?  いましたいことは何?  そのうちのいくつかは訊いたことがあるはずなのに、いま、訊いたことがないと思ってしまうのは、「いかにも父であり母であり」、いまでは「オンのおじいちゃんおばあちゃん」になった彼らのせいではなく、きっとただ、永遠に素直になれないわたしの意地のせい。そしてその意地みたいなものはきっと、いまもどこかに残っているわたしのコンプレックス、いまだに「何者でもないわたし」であることのコンプレックスから来ているんだろうな、と金曜、久しぶりの和室でオンを寝かせながら考えたのだった。たったひとりの子どもが、いまだにほんとに子どもみたいで、いまだに何者にもなれず、ずっとまともに仕事もできず、ある時にはオンよりも世話がやける存在として今年37歳を迎えようとしてる。彼女の肩書きはいったい何? そして同時に、もうそんなふうなめそめそのなかに自分がいないことも、両親がわたしのことをそんなふうに思ったことがないだろうことも、いまではじゅうぶんすぎるくらいわかってる、わたしはいつも、ふたつのことを「同時につよく思う」ことができるから。だけどこの家にはまた別の磁力がはたらいていて、ふとしたときにバランスを崩してしまう、たとえばトイレに座り、いまではところどころシミができているドアをじっと見つめているときなんかに。

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