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self-quarantine diary 6/11/2020

まばらに聞こえる雨の音にこころ乱れながらこんばんは。きのう買った芍薬のつぼみが夜のうちに花開き、いまでは全開、「あんなに小さいボールのなかに、ここまでたっぷりの花びら隠し持っているなんてあなた!!」とほんとうに口に出して言っちゃうほど、わたしは心底おどろいた。小さなこと、小さなことを愛でること、ぜんぜんできていなかった過去を悔やむのではなく、いまここでめちゃくちゃに感動してにこにこしてる自分も丸ごと歓迎しよう。両手で大きく覆いをつくり、そのなかにふくらむ花を入れて、「すごいねえ、すごいねえ、ほんとすごい、信じらんないよ」と言葉で愛でる、そういういちいち・わざわざのたのしい力をわたしにください。ほんとに信じらんないことが、花の奇跡が、夜空の魔法が、虫たちの王国の勃興がそこらじゅうで起きている。わたしはそれに気づかず、気づいてもただ惚けて口を横に開けるだけ。

今日は8時半起床、オンの園の日。引きちぎられた夢の傷がヒリヒリしながら、ベッドの上からオンにいってらっしゃい。「ちょっとお手つなごう」と言ったら、「もう時間ないからちょっとだけね」と言ってかわりにナンナの手を握らされた。もう2年以上前、わたしが必死にまるめた羊毛ボールがきちきちに詰められた小さな手。「ナンナをベッドに置いておくから、きっちゃんはそこでちゃんと寝とくんだよ!」と言って元気に玄関に走って行った。オンはどうやら、じぶんが園に行っているあいだ、わたしがずっと眠り続けていると思っているな。夢の傷があまりに痛く、それ以上寝てはいられないのでソファに移動して瞑想。朝のオイリュトミー、身づくろい。お気に入りのワンピースを何気なく着られるほどには、自尊心が回復した。いつものカフェで読書と仕事と読書と仕事と。

ところで雨の音ってほんとは雨の音じゃなく、空から落ちてきてた雨がたどりついた先の存在、それと一緒につくってる音楽なんだよ。それを言ったら音じたいが、音を発した存在からわたしの耳にいたるまで、そこのドアにぶつかり壁にぶつかり、それからとにかくやわらかですぐ破れちゃいそうだから、ぶつかるなんて言葉とうてい受けとめられそうにないこの繊細な芍薬の花びら一枚一枚、そうした存在にぶつかり跳ね返り、というややこしい道程を経ているのだ(この文章こそややこしい)。たった一瞬の、長い長い旅のあいだに変化した音はわたしの聴覚器官にたどりつき、そしてわたしの脳に信号がおくられ、ようやくわたしの心に音が鳴る。でも、ほんとはそうじゃないかもしれない。色が、視覚と魂とのあいだに起こる複雑な相互作用を経てはじめて喚起されるのに対し、音は、音楽は、暴力的なまでに魂に直接入り込んできてしまう、といったのはゲーテだったっけ? しかし今日の雨はどうにもまばらで、まだわたしの胸を打ってはいない、魂には響いてこない。それともわたしが、あなたのノックを無視しているだけ?

きのう、Netflixでドキュメンタリー『13TH 憲法修正第13条』を見た。タイトルにある13条とは奴隷制の廃止条項で1865年に制定されたのだけど、廃止されたはずの奴隷制はいまも形を変えて残っているという。政治家が黒人に対し意図的に作り出すイメージと、さらに大量投獄できる刑法を不当に定めることで。そして民営化された刑務所はこの資本主義社会のなかでは利益を上げることを目的に運営されている。昨日、ロサンゼルスに住む友人とメッセージを送り合っていて、「自粛どう?」「こっちはもうほとんど解除されてる」「うん、こっちも徐々に」という会話についで、police brutality に反対するプロテストの話になった。police brutality とは最近ほんとによく聞く言葉で、警察による残忍な暴力のことを指すと思うのだけど、『WHEN THEY SEE US』を見たこともあり、わたしも自分が在米中に経験した警察とのいちれんのやりとりのことを思い出してしまった。警察がうちに乗り込んできたあの夜のことを。

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